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空白の五マイル

2010.11.29.23:32

先週の金曜日に、僕の婚約者(といっても口約束ですが)が
はるばるメソットまで来てくれて、
久しぶりにお互いの顔を思い出してました。
知り合ってからほとんど一緒に過ごしていないし、
写真もほとんどないので、
漠然としたイメージしかなかったりする・・・

実質、わずか1日の滞在だったけど、
やっぱりお互いの存在を実感できるのはいいですね。

で、日曜日の朝に彼女が帰ってしまいました。
バスターミナルまでチャリンコ二人乗りで送って、
そのまますぐ近くのクリニックで病棟を回診し、
家に帰ったら、まだ午前10時半。
いつもの日曜日なら眠い目をこすりながら、クリニックに向かう時間です。
なんか、なんにもやる気がしないから、
近くのコーヒースタンドでケーキとコーヒーを買って、
一人で彼女の誕生日祝いをして(彼女は甘いものはあまり好きではないらしい)
それから、本を読みました。
最近出版された、角幡唯介さんの、「空白の五マイル」
山のてっぺんから川面までの深さが6000メートル!という、
世界最大の峡谷、ヤルツァンポ峡谷というのがチベットにあって、
巨大な大河がヒマラヤの山中でUターンというかほとんど270度ターンをするんですが、
その峡谷の中に、長い間誰も入ったことのない、
入れなかった区間があり、
そこに巨大な滝がある、とか
桃源郷がある、とか、
いろんな言い伝えや噂が21世紀になっても残されていて、
そこを探検した方が書かれたノンフィクションです。

スケールは全く違いますが、
チベットで高山病で倒れ、命を落としかけた自分としては、
共感できる部分がいっぱいあって、
あえて誰も行かないようなところ、
身体的あるいは社会的に危険なところに行きたくなる衝動、
物理的に行きたい所へ行けて、見たいものを見れたにも拘らず、
なぜだかなんとなく満たされない気持ち、
絶望的な状況や、死にそうな状況になって
はじめて出てくる、生き延びたいという本能、
そして、多くの人に助けてもらって、
初めて分かる、「生き延びた」のではなく、
「多くの人の善意で生かされている」という事実。
裏を返せば、多くの人に迷惑をかけて、
生きることに喜びを感じている自分の発見。

チベットでは、有名なところから
誰も外国人が行かないような小さなものまで、
無数にお寺やお堂があります。
ぎりぎり死の淵から這い上がって来て、
そんな時にお堂の中で壁画に囲まれて目を閉じると、
自分が何をしたのか、客観的に、
でも無情でも冷酷でもなく、温かい雰囲気で、
教えてくれました。

この本を読んで、
他にもいろいろ思うところはありますし、
おそらく、おもしろいと思う人から退屈、
あるいはバカバカしい、と思う人まで様々だと思いますが、
現在の中国政府による非情なチベット支配、
実際には多くの警官や政府役人はチベット人だったりして、
非情な法律とそれを温かく運用してくれる地元の警察や役人の姿、
そういったところも垣間見れる、
面白くて懐かしい、そんな本でした。

それにしても、現在、個人的におもしろいと思う
ノンフィクションの作家の方々が、
ほとんど僕と同年代で、
比較するのも失礼ですが、羨むとか嫉妬するとかではなく、
すごい人はすごいんだなあ、
と自分との差を感じてしまいます。
人としての、「器の大きさ」の小ささには自信があるのですが、
以前から、海外で活躍する人たちをみてると、
器が大きい人が多くて、見てるだけで感服してしまう人が多いですね。
そのような人たちに会えて、話をすることができる率が高くなるのは、
海外でうろちょろすることの、一つの楽しみだったりします。
そういった出会いを、大切にしていくことが、
僕にできることですかね~
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新しい住人

2010.11.25.22:56

昨日、インドネシアからタイ北部のメソットまで帰る途中、
バンコクの電気街に寄って来ました。
一つのビルに、小さなパソコン関係のお店が並んでいて、
さながら「リトル・アキバ」な感じです。
今では秋葉原とか大阪の日本橋というと
オタクなところになってますが、
一昔前までは(今もそうですが)
電気製品の細かな部品とか、いっぱい売ってたイメージがあります。

そのバンコクの電気街ビルで、
安いプリンターを買いました。
900バーツ=3200円ぐらい。
日本のプリンターを持ってきても良かったのですが、
何せ重いし、
何より、こちらでは同じインクが売ってない?なかなか見当たらず、
それならこっちで安いやつを、ということで買ってきました。
これまで、いくつかの論文やガイドラインのプリントを
ネットカフェでやってたんですが、
そのたびに1000円から2000円もお金をとられてたんで、
(日本でも高い!っておもう値段です)
これでばしばし印刷できそう。

また、パソコンのバッテリー&電源コード専門店もいくつかあり、
僕が9月に秋葉原のビルマ人経営中古PCショップで買った
5年ぐらい前のパソコン用のバッテリーも発見!
今のバッテリーが15分ぐらいしかもたないため、
新しく買おうと思ってたら、
5年前のPCのため、もうメーカーは純正品を日本で売ってない・・・
ということで、思わず買ってしまいました。

そんなこんなで僕の机の上が賑やかになったんですが、
10日ぶりに帰って来た僕の下宿は、
本当になにやら賑やかな声が・・・

いつのまにか、人懐っこいネコが住み着いてました。
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僕の晩御飯を食べてるところ

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ごはんをもっともらおうとおすまし中

赤ちゃんではないけど、大人ではない、
1歳にまだなってなさそうな感じの、かわいいネコちゃんです。
うちの下宿には前から2匹の猫が出入りしてて、
(他にも犬とか子連れのニワトリとかいろいろ出入りしてますが)
台所のテーブルの上のおかずとか、生ゴミとか、
いろいろ漁りに来てたんですが、
2匹とも警戒心が強く、
僕(ていうか人間)の姿を見た瞬間にぴゅーって逃げちゃってました。
でも、この子は、誰かに飼い慣らされてるみたいで、
逆に甘えてくる始末。
みゃあみゃあ鳴いて近寄ってくれると嬉しいんだけど、
やっぱり猫だったら、狩りの技術を磨いて
ネズミなんかを捕まえてほしいなあ、と
甘やかすのはほどほどにしようと思ってます。
これまでは、部屋の机の上にパンとかをほったらかしにして置いてたけど、
これからはちゃんとしまっとかないと。

というわけで、あっちもこっちも賑やかになった、
10日ぶりの僕の下宿でした。

世界一の空港

2010.11.24.11:09

ジャカルタを出る前に、もう一つ日記書いておきます。
メソットにつくまで1日半、
ネットには接続できなくなるので。

これまで、いくつかの世界の空港に行きましたが、
一番好きなのが、ここジャカルタの空港です。
オレンジ色の瓦をのせた、
伝統建築っぽいつくりの建物、
そして広々として、かつ、常にきれいに刈り込んである庭園。
まるで、リゾートホテルというか、
大統領の別荘のような、
そんな建物です。
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廊下の窓から見えるお庭はこんな感じです。

近年、関空を皮切りに、
アジアの大都市の空港がどんどん建て替わり、
「近代的」なつくりになりました。
バンコクしかり、マレーシアのクアラルンプールしかり、
かつて旅行者から「公衆トイレ」といわれたミャンマーのヤンゴンの空港も
いつのまにやらきれいなビルに建て替わってました。
でも、どこに行っても、
関空の二番煎じのような、同じような造りで、
中に入っているお店も型どおりの免税店。
どこで買っても同じような煙草にお酒、化粧品など。
(実はしばらくお風呂に入れなくて臭いが気になる時は、
免税品店の香水の試供品をよく愛用してますけど)

でも、ジャカルタの空港は、
コストとかガラス張りのビルとか一切無視して、
ひたすら昔ながらのゆったりとした造りです。
決して近代的な美しさはないですし、
飛行機に乗る時や降りるときは
バスで移動してタラップを昇ったり降りたりすることも多いですが
(個人的にはタラップが好きだけど、雨の時はたまに困る)
でもトイレも廊下もちゃんと掃除してあって汚くはないし、
味がある造りだと思うんですよね。

もしインドネシアに来られることがあるなら、
ここの空港を味わってみてください。

ちなみに、ジョグジャカルタの空港も、
滑走路や飛行機が止まるところと待合ロビーが目と鼻の先で、
滑走路では10分おきに空軍のプロペラの練習機が離着陸を繰り返していて、
なかなか面白いところでした。
なかなか面白い空港です。

連日のジャブ+ボディーブロー攻撃

2010.11.24.10:47

僕は、お恥ずかしながら、
どちらかというと体はあまり強くはありません。
気管やのど、はなも弱いし、
おなかもすぐに調子を悪くします。
ただ、調子が悪くても、
そのまま、うまく自分の体をごまかしながら
日々の仕事をこなすことには慣れているので、
割と平気に生活ができたりします。

で、インドネシアに来る前、思いっきり高熱を出して、
下がってすぐにインドネシアに入ったのですが、

やはり火山の噴火の後ということで、
連日、埃というか灰がすごい。
喉がすぐにやられます。
しかも、泊まったホテルが、
どこもエアコン付きのインドネシアにしては高級なホテルだったので、
毎晩エアコンで喉をやられてしまい、
かなりつらかった。
自分では、
まず喉の表面が傷ついて、
それが治りかけてくると痰が出てきて、
それが喉にからむようになって、
そしてピークを越える、
って喉の状態が分かるんですが、
僕の周りの人は心配だったと思います。
「結核じゃないの?」
なんて冗談なのか本気で心配なのか、よく言われる(笑)

そして、極力長袖を着てたので、皮膚は大丈夫。
目も大したことにならずにすみました。

でも、思わぬ落とし穴・・・

それは、インドネシア流の接待攻撃。

どなたかのお宅にお邪魔したり、
ある集落で診療したり、
するたびに、お茶を出して頂きました。
こちらのお茶は、水分の吸収をよくするためか、
とっても甘い。
そして、お茶受けのお菓子も、もちろん甘い。
定番のクッキーにケーキ、
タピオカのおしるこにお芋でつくったおまんじゅうまで。
どれもおいしいんですよね~、残念ながら。
塩味のスナックも何種類もあって、
キャツサバという穀物でつくったチップや
さつま揚げのようなものあり、
おなかは常に一杯です。
ある時は、さんざんお茶とお菓子を食べた後、
「お茶を飲み終わったら次は昼飯を食ってけ!」
なんて言われ、まさにうれしい悲鳴とはこのことか、
と思いながらお昼を頂きました。
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ちなみに、インドネシア料理は、
インドネシアに無数にある島ごとに違いますが、
基本的にはどれも日本人の口には合うと思います。
ご飯+野菜の煮物やお肉や魚の揚げたもの、プラス汁物、
が基本でしょうか。
麺類も食べてますし
(いろいろ種類がありますが、うどんやラーメン、焼きそばなど日本にあるものとどれもそっくり)
豆腐、厚揚げ、納豆なんてものもよく出てきます。
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これはじゃがいもとお豆腐のピリ辛煮物と卵焼き
それにきゅうりと痛めた青菜のサラダです

インドネシア滞在中の一週間、
ほとんどおなかがすく瞬間がなかった(笑)
甘くて油っこいものを常に食べ続けてましたね。
パキスタンの時は、毎日空腹と満腹の波が激しかったですが、
今回はまさに、いつもボディーブロー状態。
というわけで、被災地からジャカルタに戻った昨日から、
休肝日ならぬ休胃日ということにしてます。

タイのメソットに戻ったら、
また毎日大食い生活が再開しますからね。

復興に向けて

2010.11.24.03:51

今回、インドネシア・メラピ火山は、
2回の大きな噴火がありました。
2回目の噴火から2週間ほど経過し、
みんな少しずつ復興に向けて活動をはじめています。

まずは、家の前や屋根に積もった灰や土砂の掃除
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街中では、除雪作業のような感じです。
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他にも、折れた木を集めて焚き木にする人、
降り積もったり流れてきた土砂
(実際に小規模の土石流が起きています)を集めて売る人、
みんな、したたかです。
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というより、多くの農民が、
農作物を失ったり灰で汚れてしまって安く買い叩かれたり
しているので、
なんとかして生きるために、
みんな必死です。

晴れ間がさしたり、夕焼けが見れると、
気分だけでもかなり違います。
一歩ずつでも、少しずつでも、何でもいいので、
少しでも早く、ここの被災者が自立できることを
祈ってやみません。
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5.4キロメートルの真実

2010.11.24.03:32

昨日は、食糧などの救援物資を支援の行き届いていない集落に配りつつ
診療を行いました。
火口から15キロメートル以内の集落に住んでる人には
避難命令が出されていますが、
昼間は自分の家に戻って家の掃除や洗濯をして、
お風呂に入って、
仲間とくつろぐ人が多いのが実情です。

火口から10キロちょっとのところでは、こんな風景
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好運にも噴煙をあげるメラピ山を収めることができました。
麓には、立ち枯れているヤシの木が並んでます。

ちなみに、枯れてないヤシの木はこんな感じ
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葉っぱが四方八方に広がっています。

それが、今回の噴火で、枯れてしまったのか、
葉っぱがしょぼんと垂れ下がってしまってます。
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ひどくなると、葉っぱが茶色く変色してしまってます。
灰の熱さと重さで木が傷んでしまうんでしょう。

もう少し先に進むと、今度は折れた竹が目立つようになります。
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竹って、そう簡単には折れないはずなんやけど・・・
いかに灰が熱くて重いか、思い知らされます。

道路を進むと、両脇の木がどんどん枯れてきて、こんな風景に。
木の幹も葉っぱも灰と砂で汚されてしまってます。
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そして、さらに進んでいくと、
日本の高原のように、
一見すると落葉樹のように見える木が見えます。
ちょうど11月で落葉した後みたい・・・
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だけど、ここにはそんな木はない!!
今回、通訳をしてくださった、
ジョグジャカルタにある大学に留学中の学生の方が、
たまたま林業が専門で、いろいろとお話を伺うことができたのですが、
本来なら葉っぱが落ちる木はこのあたりにはないらしいです。
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つまり、全部灰で葉っぱが落ちて、木も枯れてしまったらしい・・・
ぞっとします。
凄惨としか言いようがない風景。

で、このあたりの集落はどうなっているかというと、
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まるで洪水の後かのように、土砂混じりの灰がいたるところに積もってます。
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この家の住人は、避難所とこの集落の往復をする体力がないのでしょう、
灰で汚された洗濯物が寂しさを訴えています。

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女性と子供の多くは避難所にいるので、
集落の中は男たちばかりです。

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自宅の庭で、久々のお風呂(というより水浴びですが)

みんなで避難所に帰る人たち。
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この女性は子供を連れて帰って来てました。
掃除や洗濯でもするのでしょうか?
自宅に住めないのは、やはり大変です。
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この集落が火口から5.4キロ地点。
これより奥は、倒れた木や竹が道を塞いでしまって
進むことができませんでした。

少し戻って、10キロ地点前後にあるちょっとした町でも、
夕方になると人がいなくなり、
シャッター商店街状態です。
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木も竹も、もちろん畑の農作物も、
そして町中の店までも、
全部枯れてしまい、
人気(ひとけ)のなくなったこの地域。
でも、人も草木も動物も、
みんなこの試練に立ち向かって、
復興に向けてがんばっています。
次回はそれをご紹介します

人を大事に、出会いを大事に

2010.11.23.21:14

いつのまにやらインドネシアに来て一週間が経ち、
僕の活動期間が終わりになりました。
ろくにブログの更新もできないままですみません。

今回は、医師3人、看護師1人、医学生1人に通訳の方が1人、
現地のNGOの方が1人という、かなり小さいチームで動きました。

実際、火山の被害は深刻ですが、
医療面で言うと、かなりあちこちから援助団体が入っていて、
いろいろと奥の集落も回りましたが、
全く誰にも診てもらえず、薬ももらえず、という人は
それほど多くはない印象です。
今回の我々の活動も、
医療活動が半分で、後の半分は、
被害の実態の把握、特に数字には表れない、
被災者が何を求めているか、の調査と、
可能な範囲で、被災者が求めているものを提供する、
そういった活動も含まれていました。

で、この少人数でどうやって被害の調査と援助という
そんなたいへんなことができたのか・・・?

それは、ひとえに、現地のNGOの代表の方にかかってました。
長年築き上げてきた人脈をフルに発揮して、
いろいろな集落の有力者にコンタクトをとり、
どこの人たちがどこの避難所に逃げているのか、
彼らが何をほしがっているのか、
そういった情報を集めて回り、
医療援助が届いていないところをみつけて
我々の診療活動の場所を決め、
食糧や毛布、衣服などの物資の援助は、
具体的に何があるといいのかをみんなで相談し、
馴染みのルートで安く仕入れて
トラックを持っている人たちに
それを配ってもらうように依頼して、
いや~、ほんとによく働いてくれて
とってもお世話になりました。
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冗談が大好きで、いつも笑っていて、
どこにでもいそうなオッチャンなんですが、
この人がいなかったら、
今回の活動はほとんどできなかったと思います。

人脈、またの名をコネといいますが、
よく、○○さんはコネがあっていいなあ、という人をみかけますが、
これは、ほとんどの場合
―もちろん生まれた時から持ってるものもありますが―
これは与えられるものではなく、自分で作っていくものだと思います。
毎日毎日、ヒトは多くの人と出会いますが、
その時に、相手の人を大切にするかどうか、
お互いに自分の心をどれだけオープンにできるか、
そういった所で、コネができるかどうか、変わってくるのだと思います。
一朝一夕にできるものでもないし、
生まれた時から持ってたにせよ、
コネを維持するには、普段の自分の言動が重要です。

今回の活動では、
本当に、現地のNGOの方の仕事が大きく見えました。
自分の仕事が小さく見えたわけではなく、
純粋に相手の仕事がものすごく大きく感じました。
よく、
「国際協力に興味があるけど、私は医療従事者じゃないから、医者や看護婦がうらやましい」
と話しかけてくる方がおられますが、
とんでもない!!
ってよく思います。
医療チームの中で、
一人の医者や看護師の仕事は限られています。
確かに「医療チーム」という名前がある以上、
医者や看護師の存在は必須ですが、
医療以前の問題を先に解決しなければならないことも多々あります。
医療資格を持っていないけど、
医者以上に重要で、必要とされる人はたくさんいます。

だから、僕ももっと毎日の出会いを、
過去にお会いした人も、今日お会いした人も、
大切にしていきたい、って思ってはいますが、
先ほどのお世話になったNGOの方に、何をしてあげられたかなあ?
そういえば、ガハハって冗談を言って笑ってるところ、
写真に撮りたかったなあ・・
言葉がしゃべれない(もちろん文字で書けもしない)僕にとって、
写真は一番手っ取り早いコミュニケーションの手段なんですが、
今回撮った1000枚以上の写真を見返しても、
自信を持って渡せる写真がなくて、とっても残念。
今朝も朝4時起きで僕を空港まで送ってくれたのに、
いつもよりちょっと寂しいお別れになりました。
インドネシア語で手紙が書けるなら、
「あなたはただ車を運転しただけだって言ってたけど、
僕の仕事よりはるかにすばらしいことをしてましたよ。
あなたは素晴らしい人脈をもってるけど、
それはあなたがすばらしい人だからだと思います」
って一言書いて送りたいです。

灰だらけの人たち

2010.11.21.14:45

インドネシアに来る前、
火山の噴火による健康被害って何だろう・・
って考えてました。

やっぱり喉がやられて咳が増えるんかな~

程度しか分らなかったんですが、

やっぱり、咳を訴える人は多いです。
でも、鼻水もとっても多い。
僕は万年アレルギー性鼻炎+軽い喘息なんで、
ちょっとホコリが多いとすぐに鼻水+咳が出るんですが、
ここでは、みんなそんな状態です。
もちろん、僕も軽い咳がひっきりなしに出てます。

薬を出してどうのうこうの、というより、
やっぱりマスクで喉を守るのが一番。
(別にハンカチでもスカーフでも口を覆えたら何でもいいですが)
喉を潤すために、水をのんだり飴ちゃんをなめたりも重要です。

もちろん、現地では、お金に余裕がある人たちは
みんなマスクをしています。
防毒マスクみたいなものをしてる人まで・・・
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大きな道沿いや観光地では、
マスク売りが急遽出現しています。
さすが、途上国では細かなサービス?というか
商売のチャンスは逃しません。
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それ以外に、
目や皮膚の痒みや痛みを訴える人も多い。
眼は分るけど、皮膚もかゆいのか。
僕なんかは、すぐに日焼けしてヒリヒリしてしまうから、
良く分らなかったけど。

あとは、
疲れた状態で、避難所で大勢の人が暮らしていると、
どうしても、下痢などが広まってしまいます。
下痢というと、薬で治すものと思っている人が
日本でも世界でもインドネシアでも、
とっても多くいますが、
血便でない限り、薬を使っても使わなくてもほとんど同じ。
むしろ薬を使うと良くないことも多い。
水分+塩分+糖分の補給だけで十分、というか
それ以上は何をしてもあまり効果がありません。
とりあえず脱水にならないように急場をしのいで、
後は、栄養状態とか、基礎体力とか、精神的なストレスとか、
基本的な健康状態を良くしていかないとだめなんですね。

それにしても、巷に大勢いるマスク売り、
灰がなくなったら次はどんな商売をするのかな?

灰色の空、灰色の街

2010.11.21.03:41

インドネシアに来て4日目。
なかなかブログが書けなくてすみません。
インターネットに接続できる環境はあるのですが、
どこもいま一つ環境が悪くて、
切れたりつながったり、なかなか作業が進みません。
この日記も、2時間書いて消えてしまい、
3時間書いてまた消えてしまい、
いい加減にしてほしいですね・・・

今回は、インドネシア中部にあるメラピ火山という火山が
先月と今月初め、2回にわたって噴火して、
大勢の住民が避難生活を余儀なくされたため、
その方々に対する診療活動を行っています。
現在は、火山の麓にジョグジャカルタという
仏教遺跡で有名な街があり、
そこに滞在しながら、毎日いろいろな避難所まで
片道2時間ほどかけて通ってます。

実は、今回、
初めて火山の噴火の被害というものを見たんですが、、、

火山灰って、かなり重たいんですね。
土砂も混ざってるし、噴火後はよく雨も降るし、
そんな重たい灰が10cmも20cmも積もると、
木々は折れ、簡素な建物も壊れます。
重いだけでなく、当然熱いので、
多くの植物が枯れてしまい、
ココヤシの木々が何本も立ち枯れている姿は
異様な光景です。
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街は、何もかもが灰色で、
道路や地面には何センチも灰が積もり、
車が走るたびに舞い上がって視界が遮られます。
観光客が去った街では、
多くの店が閉まり、より一層寂しさが際立ちます

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もちろん、灰色に沈んでいるのは、農村部も同じ。
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灰色の空、灰色の雲、人気のない、灰色の街、
まるで、僕が長年住んだ日本海側の田舎の冬の風景です。
屋根に積もった灰を下したり、
道路の灰を脇によけたりするのも雪と同じ。
思わず、先の見えない閉塞感を感じます。

それでも、助け合いながら
復興にむけて頑張っている人々を見ていると、
少しでも手助けができたら、と思います。

ここ、どこやねん!?

2010.11.18.01:43

今日(11/17)インドネシア・ジャワ島の中部の街、ソロ(スラカルタ)に到着しました。
当初は、ジョグジャカルタという街に行く予定だったのですが、
火山の噴火の影響で、飛行機の予約が取れず、
すぐ近くのスラカルタという街に着きました。

ここから、最近噴火した火山までは数十キロの距離です。

ジョグジャカルタといって、ピンと来た方もおられると思います。
ここの近くには、ボロブドゥールという世界的仏教遺跡があって、
ジョグジャカルタは一大観光都市になってます。

スラカルタ、ときいて全然ピンとこなかったけど、
ここも、遺跡のすぐそばということで、
やっぱりものすごく観光地化していました。

去年のスマトラ島の地震の際には、
日没後には街はほとんどまっくらでしたが、
ここは、まぶしくてしょうがない。
地震の後ならしょうがない、と思うでしょうが、
そもそも、スマトラの町にはコンビニなんぞなかった。
そして、走ってるのはオンボロ中古車ばかり。
それが、ここに来たら、
高級ホテルはピカピカとパチンコ屋なみにイルミネーション光らせてるし、
街中の立派に舗装された道では真新しい車が駆け抜けていくし、
24時間営業のコンビニはいたるところにあるし。
街中のいたるところで普通の車のタクシーが客待ちしてる。
(一昔前の東南アジアでは、タクシー=バイクだったり人力車だったりトゥクトゥクだったり、
まず4輪車のタクシーは見なかった)

このまま日本に持って行っても、何の違和感もないぐらい。
我々のチームを迎えに来てくれた車の窓から、
「ここ、どこやねん!?ほんまにインドネシアなん??」
と何度つぶやいたことか。
東南アジアの経済成長、タイだけではないんですね。
もちろん、中国と同じように、
地域格差は超激しいと思いますが。
そして、きらびやかなところだけではなくて、
実際の地元の人たちの生活を、
この地域に密着しているNGOの方々に
聞いていこうと思います。
緊急医療援助で、
避難されている方々に、とりあえずの応急処置はできますが、
その後にこの地域(の人たち)に、何を続けていくべきなのか、
あるいは何もする必要がないのか、
やっぱり、そこが一番興味がありますから。

バンコクの闇

2010.11.17.12:55

昨日、バンコクからインドネシアに向けて出発しました。
今はインドネシアのジャカルタのホテルで、飛行機を待っているところです。

実は、先日、バンコクの国際空港にアクセスする鉄道が開業しました。
ありそうでなかった、この鉄道、
これまでタクシーで片道350バーツ=2000円ぐらいかかってたところが、
たった15バーツ=50円ぐらいで空港まで行けるようになりました。

その窓から見えるもの、
正確には高架から見下ろした風景の中に見えるもの、
そこには、バンコクのスラム街がありました。

バンコクのスラムといえば、
映画化された小説「闇の子どもたち」にも出てきて、
かなり興味を持っていたのですが、
「闇の子どもたち」の舞台が90年代後半のためか、
急激に発展した2010年のバンコクでは、
それらしき風景が全然見当たらなかったんです。

でも、まだあった。

沼地の中に木の杭を並べて、
その上に、掘っ立て小屋が並んでます。

でも、この快適なエアコン完備の電車の中まで、
そこの臭いも騒音も入り込んではきません。

そこでどのような生活が起きているのか、
もし機会があれば、話を聞いてみたい。

メソットでも、ゴミ山に暮らす人たちがいます。
今はまだ、自分にそこまで手を拡げる余裕がないのですが、
少しずつでも、自分の視線を拡げて行きたいです。

ちなみに「闇の子どもたち」
小説版も映画版も、かなりショッキングな内容ですが、
主人公の女の子が住む地域は、タイ北部、
ちょうどメソットと同じようなところです。
多くの女性が、ある人は親に売り飛ばされ、
ある人は誘拐され、
バンコクに売られていく、
そしてその多くがHIVに感染してしまう、
そこに書いてあることが現実なんだと、
メータオでのHIV陽性患者の率の高さをみると実感してしまいます。

一縷の望み

2010.11.15.19:39

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彼は13歳、左手の爪が紫だったり、指輪をしていたり、
オシャレに気を使う男の子ですが、
3ヶ月前から、うまくしゃべれなくなり、歩けなくなり、
文字も書けなくなってきました。
全く手足が動かないわけではなく、
すごくぎこちない動き、
・・・特に動き始めが大変です。
大人だと、パーキンソン病のような、そんな動きです。

家が裕福だったようで、日本円で数万円、
我々の実際の感覚で10数万円も出して、
両親が頭のCTを撮りに連れて行ってくれました。
CTだけでは、残念ながらはっきりした診断はつかなかったけど、
その後も血液や尿の検査を受けることができて、
Wilson病(ウイルソン病)という診断がようやくつきました。

この地域の医療で日本と違う点として、
CTを撮った病院では、診断もつけずに撮りっぱなし。
患者さんにCTの生写真を渡しておしまい。
別の病院で診断をつけたら、今度は診断をつけっぱなし。
そこから治療にすすむとは限らない。
つまり、今に至るまで、
多くの医療スタッフがかかわってきましたが、
誰一人「主治医」として今後の検査方針や治療方針を説明もせず、
家族と相談もしていないんです。
患者さんは、ただ、「Wilson病」と書かれた診断結果と
その根拠となった検査結果を持って、
右往左往することになります。
おいおい・・・

Wilson病というのは、
肝臓と脳に金属の銅がたまってしまって、
だんだんとダメージを受けてしまう病気です。
多くの食物に銅はほんの少しだけ入っていて、
普通なら、それを体が上手に利用して、
いらない分は体の外に排泄するんですが、
その流れがうまくいかないと、
脳や肝臓にたまってしまうんです。
治療しなければ、数年で亡くなってしまう可能性が大です。
名前だけは医者の間では有名ですが、
非常にまれな病気で、そうそう見ることはありません。

突然の患者さんの登場に、
どうしたものか、どうしたらいいのか、
スタッフはいろいろ聞いてきます。
僕も日本で主治医として治療したことがないので、
だいたいのことは分かるけど、
細かな薬の量などは、慌てて本で確認!

そして、この病気は、非常に難しい側面が2つあります。
一つは、遺伝病であること。
そして、もう一つは、一生薬を飲み続けなければならないこと。
しかも、必ず空腹時に飲まないといけません。
薬を飲むと、ある程度は良くなりますが、
100%症状がなくなる保証はなく、
ある程度症状が良くなった後は、
病気を良くするためではなく、
悪化を防ぐために飲み続けなければなりません。
症状をとるために薬を飲むことは簡単ですが、
症状がない時に、予防的に薬を飲む、
しかも毎日食事の合間に飲むことは、とっても難しい。
そして、薬をしばらく飲み忘れて病気が進んでしまうと、
あとは助かる手段が非常に限られてしまいます。
一見平坦だけど、実は薄い氷の上を毎日歩いて行くような、
神経の磨り減る日々が一生続くことになります。

でも、初めて彼のCTを見た時は、
このクリニックでは助けることができない病気だと思いました。
実際、この病気の薬はうちのクリニックにはありません。
それが、両親の努力によって、
なんとか治療を受けられそうなところまでこぎつけました。
現在、Wilson病の治療は少しずつ新しくなってきています。
将来的には、革新的な治療ができて、
一生薬を飲まなくても良くなるかもしれません。
その日まで元気でいるためにも、
今の一日一日、治療を受けて生きていけることを
患者さんと一緒に喜びたいなあ、とそう思います。

地震と火山の国へ

2010.11.15.02:19

今日もメソットはいいお天気。
クリニックまで行く途中、初めて目にした露店。
それは、「凧」やさん。
DSC02151-2.jpg

こうやって、地面に棒を突き刺して、そこに凧をくくりつけて飾ってます。
DSC02147-3.jpg

思わず、この右端のタイの国旗カラー(赤、白、青)の凧を
値切って買っちゃいました。
でも、電線の近くで凧を上げちゃだめだよ~

今日は日曜日なので、外来もないし、
病棟も、回診は簡単に済ませてしまいました。
病棟の看護師は普通に働いているので、
あとはよろしく~
(といってもやっぱりみんな編み物に忙しいですが)

そして、昨日ちょろっとブログに書いたのですが、
明日から、インドネシアに行くことになりました。
今回も、AMDAというNGOの緊急援助のチームに加わります。
インドネシアは、火山列島なので、
地震、雷、火事、火山と一通り災害がそろってる国です。
先月末からの火山の噴火により、200人前後が亡くなり、
今なお多くの人が避難中、ということで、
1週間ちょっと、インドネシアに行くことになりました。
AMDAインドネシア支部は非常に大きくて、
大勢の医師や看護師を抱えているから、
行動も非常にアクティブかつスムーズ、
ということもありますが。

ともかく、残って働く人には申し訳ないですが、
しばらく、クリニックから離れます。
ブログもしばらくお休みになりそう。
(去年のスマトラ島地震の際にもインドネシアに行きましたが、
ネットカフェが意外と少なくて、あまりできなかった。)
海外はおろか、メソットの町すら自由に歩くことができない
ここのスタッフには恨まれそうです。
DSC02140-2.jpg

こんな感じかな?

幸せでいっぱい

2010.11.13.23:09

今日の日記は楽しい内容になるはずだったのに、
なんだか全然意図せぬものになってしまったので、
もう一つ新たに書き直します。

今日は、朝から病院中が幸せでいっぱいでした。

まず、小児科病棟の患者さん。
良く分らないけどなんとなく調子が悪い、
ということで一週間ぐらい前に入院した子で、
しばらく落ち着いていたんだけど、
なぜか2日前から心臓がほとんど動かなくなってしまった!!
激変ぶりには、本当に焦りました
(心筋炎という病気とは違うみたいで、原因は全く不明です)
でも、状態が急に悪くなってからは、
自分でもびっくりするぐらいスタッフが言うことを聞いてくれて、
できる限りの治療を素早いタイミングで開始でき、
今ではすっかり落ち着きました。
入院以来、ぐったり寝てるか泣いてばかりでしたが、
今日は初めて笑ってくれました。
(昨日は無断外出して焦りましたが、よくぞ戻って来てくれた
DSC02122-3.jpg

そして、クリニックでは、今日、
2組の結婚式が執り行われていました。
DSC02123-2.jpg

仕事が忙しくて全然見に行けなかったけど、
来た人みんなにご飯をふるまってて、
それにはありつけた
DSC02125-3.jpg
実は、日本でほとんど結婚式に出席したことがなかったんですが、
幸せそうな花嫁をみると、
こちらも幸せになる、ってすごく分ります。
なんと、新郎新婦で、
余ったご飯を各病棟の患者さんたちに配って回ってました。

この子は、番外編。
お母さんが出産のため入院していて、
病棟の外でお父さんと、お母さんの退院を待ってます。
おにいちゃんになる準備、できたかな?
DSC02112-3.jpg

そして、今日、何年ぶりか(8年ぶりぐらい?)に、
アウンサン・スー・チーさんが軟禁から解放されました。
幸せな空気が、このまま世界に広がって、世界を包んでほしい、
この激動の一週間が、幸せに終わってほしい、
そう単純に、純粋に、願わずにはいられません。

勝手に達成感

2010.11.13.22:12

今週は、バタバタしっぱなしの一週間でした。

前にも少し書いたかもしれませんが、
どうしても、病院ごと、医者ごとに
病気の管理の仕方、治療の仕方が変わります。
それはそれでいいんですが、
どうしても「それはちょっと・・」ていうのがあると、
なぜ、それがだめなのか、
どうすればよいのか、を説明しなければなりません。
一人一人に説明しているときりがないから、
「講義」という形で、
世界で一般的な「考え方」「対応の仕方」を
伝える必要があります。

で、その準備が大変。
「世界で本当に最新で標準的な治療って何?」
を調べるのは一苦労だし、
医学用語一つ一つの正しい使い方まで全部調べないといけない。
先週の日曜日に徹夜して、そのまま月曜日の仕事に入り、
熱を出し
熱が下がりきる前から再び教科書やパソコンにかじりついて勉強です。
そこへ飛び込んできたのが、インドネシアの火山のニュース。
前回パキスタンに連れて行ってくれたAMDAという団体が、
今度はインドネシアで救援活動をやるから、来てほしい、
と言われ、熱が下がりきらないままOKの返事を出してしまった。
来週月曜の夜にここメソットを出発することになりました。

結局、こうなったら、今週講義を2コマするしかない!と
独りで勝手に盛り上がりつつ
各部署のトップにお願いに行き、
連日の徹夜作業で、なんとか講義の準備をし、
昨日、まず1コマ目の講義を外来でしました。

9月に行った講義とほとんど同じ内容だったから
この2か月で新しく配属された人向けの講義のつもりだったんだけど・・・
まあ、もめるもめる・・・
前回僕がしゃべったことは明らかにみんな聞いてなかった、と再認識
もめるのは当然、それもそのはずで、
これまで自分たちがやってきたこと、考えてきたことを
否定されるわけですから、
こちらも慎重に言葉を選ぶ(ほどの語彙力はないが)
でも、結局は、みんなを混乱させただけで終わってしまった印象・・
あんな講義を受けさせて、迷惑だったんじゃなかろうか・・・

落ち込む間もなく、昨夜も徹夜して、
今日は全く別の内容を、病棟スタッフに講義。

こちらも、多数の質問・意見が飛び交いましたが、
ジュースの差し入れがあったせいか、なんとか無事に終わりました。

連日徹夜して、強引なスケジュールでみんなにしゃべって、
一番気がついたのは、
僕がいろいろとみんなにしゃべりたかったんだなあ、
みんなに僕の話を聞いてほしかったんだなあ、
ていうこと。

普段、たいして重要でないところはどうでもいいやって放置してるし
見て見ぬふりをすることも多いし、
細かいところを突っ込むと当然みんな嫌な顔をするし、
いろいろストレスたまってたんだ・・・

というわけで、極私的講義というか、
自分の興味のある分野を一方的に話してしまった。
効果のほどはさておき、
いろんな考えや意見を聞けたし、
何か行動をしないと、何も変わらない気がするし、
いろんな部署で講義をしたことで、
次からはこの講義内容を改良すればよいわけで、
話の持って行き方とか、問題点がいくつか見えただけでも
とりあえず意義はあった気がする。

昨日、今一つな講義をしてしまった小児科外来のスタッフには、
今日、感想のアンケートを作って配りました。
昨日・今日の一番の問題点は、
そもそもスタッフが誰一人として講義を希望したわけではないということ。
僕が勝手に講義するからみんな集まって、とお願いして回ったわけで、
これが、
スタッフのほうから、
「○○について、話を聞きたい」というようになれば、
全然手ごたえも違うはずです。
普段疑問に思ってないことを疑問に思うのは難しいですが、
普段の疑問を解決できるような、簡単なところから
講義、というよりは話し合い、をしていきたいですね

日常に戻る人と新たな日常を作る人

2010.11.12.00:00

先週日曜日のミャンマー総選挙の際の内乱で、
大勢の避難民が国境の川を越えてメソットまできましたが、
火曜ごろには情勢が落ち着いてきたため、
みんなぞろぞろと自分の家に帰り始めていました。
昨日(11/11)には、一時収容キャンプは空っぽです。

でも、元の生活に戻って行く人と対照的に、
多くの赤ちゃんが、メータオクリニックに運ばれてきました。
一人は、1200gしかない低体重児です。
まさに選挙の当日にミャワディーの公立病院で生まれ、
なんと、翌日そのまま退院!!
一般の赤ちゃんは、翌日にみんな退院していきますが、
自分でおっぱいも飲めないような赤ちゃんを
そのまま退院させるとは!!
というより、向こうの病院のスタッフが
何て言ったかは知りませんが、
医療費が高いから、未熟児だろうとなんだろうと
普通の人はなかなか入院できないんですよね。
で、連日のドタバタのせいでうちのクリニックに来ることもできず、
丸1日家で普通におっぱいを吸わせてみたりしてたらしい。
顔を見て、思わず出た一言「よ~来れたな~」
確かに、体重は小さいけど、
根性が座ってるのか、戦乱の中でも自宅で生きていけそうな、
しっかりした赤ちゃんでした。

そして、昨夜、ついに800gの赤ちゃんが生まれました。
「妊娠6か月」っていってたけど、
もう少し成熟してるかも。
人工呼吸器なしでがんばって呼吸はできてますが、
いかんせん、あっという間に体温が下がってしまいます。
そして、点滴が至難の業。
スタッフが苦心したけど、どうにもとれず、
鼻から胃の中にいれたチューブに
点滴用の砂糖水のようなものを入れて、
なんとか水分と糖分を補えるようにしてました。
お坊さんみたく髪の毛を剃って、
頭の表面のほそ~い血管にやっと点滴が入りましたが、
今後がんばっていけるか、
彼女の生命力に期待です。

妊婦さんに、精神的、あるいは身体的な負担がかかると、
どうしても早産で生まれてくる確率が高くなります。
そして、お母さん自体の健康状態が良くないと、
当然赤ちゃんは小さい。
体重が小さくても、おなかの中にいた週数があると、
肺や脳や皮膚や、他の内臓が成熟してくれてるんですが、
生まれてきた赤ちゃんがどこまで環境の変化に耐えられるか、
こればかりは見守るしかありません。

でも、こうやって書いてしまうと
「赤ちゃんがかわいそう」
とか
「おかあさんが大変だ」
「この子はこれから無事に育つんだろうか」
という話だけが強調されてしまうんですが、
そして、もちろんそういう面は非常に大きいんですが、
産科病棟の師長さんは、
この未熟児ちゃん(日本では、超未熟児、略して超未ちゃんっていいます)
の泣いてる姿を見て、
もうちょっと前向きな、
「この混乱の中で生き延びてくるだけの運があったんだ」
「自分でしっかり泣いて呼吸して、この子は強い」
と話してくれました。

今は本人も大変だし、母国も大変だし、
でも、今頑張れば、明日は変わっていくかもしれない。
変わっていくかも・・ではなくて変えていける。
そして、この子の周りにいる人みんなにとって、
これまでの日常ではなく、
あたらしい日常がやって来ます。
この二人の赤ちゃんを見てると、
そういう風に思えてきます。

自分への悔しさ

2010.11.10.23:09

僕が熱で寝込んでいる間、
混乱状態のビルマの街から
大勢の人々が逃げて来てたんですが、
2日間の間に、
僕の熱はあっさり下がり
ビルマの街はミャンマー政府軍の武力によって
とりあえずの平穏を取り戻したらしく、
今朝、一日ぶりにクリニックに出勤すると、
大勢のビルマ避難民がトラックにすし詰め状態で
ビルマのほうに帰って行きました。

どうでもいいですが、
やっぱり40度の熱が波状攻撃で来ると、
さすがにつらいですね。
昔、学生時代の、剣道部の合宿を思い出します
「あと一回!」「もう一回!」
頭の中と体の中で全力で運動してるような、
そんな感じでしょうか。
マラリアだとこれが何日も続くのか、と思うと、
手元にある抗マラリア薬が「伝家の宝刀」のように思えます。

で、クリニックの話に戻りますが、
僕が寝込む前からずっと入院してた子どもがいて、
肺炎ぽいんだけど、かなり強い抗生剤でも全然熱が下がらなくて
(本人は結構元気だったりするんですが)
どうも、肺に水か膿がたまってそう、というこどもがいました。
何度も何度もレントゲンを撮ってくれ、と
スタッフに頼んでたんだけど、
「上」の許可がないとレントゲンの指示が出せない、
そしてスタッフはなかなか「上」には相談したがらない、
それが祟って、診断が遅れてしまってました。
(うちのクリニックにはレントゲンがないので
地元の公立病院までわざわざ撮りに行かねばならない)
超音波の器械を使って、スタッフに、
「これが胸に溜まった水だよ~!」
って見せて、ようやく話が動き出し、
レントゲンを撮りに行ってくれたんですが
レントゲンを見てみると、想像以上に悪い・・・
ていうか、本人がなぜあんなに元気なのか??

1歳半という年齢と、これまでの経過と、
この地域で一般的な感染症、ということを考えると、
どう考えても、結核にしか思えない・・・
ビルマ(ミャンマー)の病院では、
普通の治療はかなり高額ですが、
結核とHIVの治療は無料です。
逆に、うちのクリニックでは、
普通の治療は無料ですが、
結核とHIVの治療はほとんどできません。
だから、このような患者さんは、
家族を説得して、ビルマに帰ってもらって、
向こうの病院に入院するように勧めています。
でも、このような患者さんの移動は、
ビルマに安全に帰れて、そして
ビルマの病院がちゃんと受け付けてくれる(営業している)、
ということが大前提です。

ビルマの内政状態の不安定さをどうこう言う前に、
さっさと気を利かせて
超音波で客観的に診断すべきだった、
診断があと5日早ければ、国境を越えられる時に
ビルマの病院に紹介できた、
と思うと、ちょっとのんびりしすぎたなあ、
と悔やまれます。
今日は、赤ちゃんの点滴も失敗続きで、
悔しいニュースばかりの1日でした

飛び火

2010.11.09.00:36

みなさんもテレビや新聞などでご存じと思いますが、
ここメソットの対岸、ミャワディは、
結構大変なことになっているようです。
みんな、ひっそりと息を静めて、
身の回りの物を整理して成り行きを見守ってるらしい。
もちろん、内戦になるのを恐れて逃げてくる人も多数で、
タイ政府は、とりあえず川を渡って逃げてきた人を
次から次へと収容しているそうです。
もちろん、国境の川と橋のあたりでは、
物騒な話が続いていて、
「○○が殺されたらしい」
「爆発があったらしい」
と、対岸の火事が飛び火しています。
国境付近の道路は原則封鎖され、
我々外国人などは近づけなくなったらしい。

まあ、そんな物騒なところには
近づきたくはありませんが。

そして、そんなニュースがクリニック内に伝わるたびに、
年配のスタッフはかなり心配そうにしてます。
若者たちは、暇な外来で編み物をしたり買い物に行ったりと
自由な時間を楽しんでますが(笑)

で、
そんな緊張感が僕にも飛び火したらしく、
今日はいきなり40度の熱!

なんでやねん!?

そういえば、昨日は夜遅くまで講義の準備をしていたので、
慣れない勉強をしすぎたせいかもしれない。
英語やビルマ語に「知恵熱」なんて言葉、あるんやろうか?

ここ数日、ストレスがかなりたまってて、
過食→かなりまんまるな顔になってたけど、
今日1日で少し元に戻すことができました。
「マラリアダイエット」売れるかなあ??

突然ですが臨時ニュースの時間です

2010.11.08.01:05

臨時ニュースといえば、
「また核実験をするなんて・・・」
ていう、ミスチルの曲が思い浮かびますが、

今度は婚約発表だなんて平和なニュースではなく、

ここメソット対岸のミャンマー(ビルマ)国境の町、ミャワディで、
日本人記者が拘束された、というニュースがありました。

日本人記者、というより
フリージャーナリスト、
それも、超大物のフリージャーナリストの方でした。

ちなみに、mixiで僕が愚痴っていた方とは、全く別の方です。

その記者は、正式な国境が閉まっていたにもかかわらず、
あえてメソットから対岸のミャワディへ入ったそうです。

「民主化を求めるビルマの声」というウエブサイトによると、
ミャワディという街で、
11月7日、ミャンマー総選挙当日、
ミャンマー軍と警察が、住民に投票に行くように、
(候補者は軍政の支持者ばかり)
発砲して脅してまわったため、
住民がミャワディを実質支配しているカレン族の一派
(カレン民主仏教徒軍)に通報し、
そのカレン族の軍がミャンマー軍と警察を追い払ったとあります。
そして、拘束されていた日本人の行方はよく分らないとか。

「ランボー4」で、
軍事政権支配下の少数民族の暮らしがいかに悲惨かを訴え、
ビルマ奥地に医療ボランティアに行くアメリカ人に向かって、
ランボーは、
「悲惨な状況は、銃を持って戦わないと変わらないぞ」
と言ってます。
当時のブッシュ政権がスポンサーか?と思わせるシナリオですが、
きれいごとではすまされない、
軍事政権対少数民族、の構図が、
僕のアパートの6キロ先で起きています。

ここメソットでは、
ここにいるビルマ人と外国人のほとんどが、
ミャンマー軍事政権に対し反感を持ち、
なんとか軍事政権を倒そうと思っている人たちですが、
僕は、正直、ビルマの内政はビルマ人の問題で、
部外者の僕がどうこういう権利もないし、
どうこう判断できるほどの情報も持っていません。

ただ、世の中には、
理念がなく、ただ戦争がしたい、というだけの
傭兵という人たちがいるのと同じで、
(ビルマで少数民族の軍に入って戦っていた日本人傭兵もいました)
僕は、目の前の患者を治したい。
目の前にある、患者を生み出す環境を治したい。
ただ、それだけなんです。
もちろん、戦地にあって、中立の旗をあげるのは、
双方からにらまれることになりますが、
そして、メータオ・クリニックで働いている時点で、
ビルマの反政府運動の活動家扱いにされますが、
そのあたりの政治的な部分は、いたって消極的です。
(日本の政治に対してならいろいろ思うところはありますが)

ともかく、
「日本人記者拘束」のニュースが流れた以上、
日本のマスコミもメソットにやってきそうです。
「ついでに・・」なノリで、
メータオ・クリニックにくるマスコミもあるかもしれません。
動機はなんであれ、もしここに来てくれるのであれば、
国境が閉まることで患者にどういう影響が出ているのか、
なぜビルマでは治療が受けられないのか、
それは伝えてほしい。
ここ1週間で、死んでしまう一歩手前の状態になるまで
病院に来ることができなかった肺炎の赤ちゃんが
3人も来ました。
国境の往来がもう少し自由だった時、
公式ルートが閉まっても密入国が黙認されていたつい2週間前までは
こんなことはありませんでした。
これからの1週間は、いったいどうなるのか、
不安でなりません。

片手落ちのコミュニケーション

2010.11.07.23:27

今週、小児科病棟では、
体の状態が差し迫った訳ではないけど、
長期にわたって再発を繰り返す難治性の腎臓病や
熱は下がったけど息をするのが苦しい
喘息を持った子どもの肺炎など、
少し難しい病気の子供が多く入院しました。

そういった病気の患者さんに対しては、
いつもの薬にプラスアルファで薬を使ったり、
重い副作用がでるかもしれない、
そんな薬を始めたり、
いろいろと考えたり家族と相談して
治療をしないといけません。

・・・が、
ここのスタッフはあまりそういうことはしません。
本来なら、基本的な治療というものがあり、
そこに患者さん一人一人に合わせて治療をアレンジするんですが、
アレンジというものがあまりない。
そして、基本的な治療(ガイドライン)そのものが
「なんじゃこりゃ?」
みたいなこともしばしばあります。
特に、子供は大人の治療と同じ、薬の量だけ減らせばいい、
という考え方は小児科医としては許せません。

ほとんど検査をしないため、
自分たちの判断が正しいかどうか、
確かめようがない、ということもありますし、
そもそも、
基本的な治療をして、だめならしょうがない、
という様に思っているスタッフがほとんどです。

で、回診をするたびに、どうしても
「この薬を追加して」
「何でこんな薬を使うの?」
なんて、彼らにしては嫌な言葉が連発して出てしまう。
極力、よっぽど、ということがない限り、
あまり口は出さないようにしてるつもりですが、
やっぱり、
こうしたらもっと患者さんが楽になるんじゃないの?
って思うと、ついつい・・・

スタッフにとっては、
長年信じてきた自分や先輩の知識を否定されたり、
単に口うるさかったり、
英語が分らないのに、相手をしたくなかったり、
とっても嫌だろうなあ、って思います。

前回9月に引き続き、
またまた講義をいっぱいしてやろう、と
そして、自分の言葉に説得力がでて、
みんなが僕の話をきいてもらえるように、
なるべく上の立場の人を巻き込もうと思って
走り回ってるんですが、
そんなとき、ふと思ったのが、
「これじゃまるで喧嘩やな・・・」
「ここのスタッフのやってることを全然ほめてないなあ」
ってことでした。

2,3年程度の教育で、
日本の看護師レベルの技術以上に、
外来や病棟で患者さんの病気を診断して、
薬を処方して、
未熟児に点滴入れたり、
大人には、
腰椎穿刺(腰骨の隙間に針を入れて中の液体を検査する)
胸腔穿刺(肋骨の間に太い針を入れて肺に溜まった膿をだす)
その他もろもろ、
よくぞまあ、ここまで頑張るもんだ、
って思うことだらけです。

英語だとなんとか褒める言葉も出てくるけど、
そういえば、ビルマ語でなんて言うか、
全然勉強したことがなかったなあ。

頑張ってるスタッフと討論するのはいいけど、
喧嘩して言い負かして勝ち誇ってもしょうがない。
日本人としては、そんな解決策はNGです。
まずいいところを褒めて、
次に僕がいいと思ってる方法を提案して、
最後は彼らに任せないと、いけないですね

沈黙の秋

2010.11.05.22:45

今週日曜日は、総選挙があります。
選挙といっても、日本ではなく、ビルマの話。

日本では、選挙の前後は、つまらないゴシップが流れる程度ですが、
多くの発展途上国では、ゴシップが流れるどころか銃弾が飛んできます。
そして、ビルマでは、
多くの国民に支持されているアウンサン・スー・チーさん率いる政党が、
軍事政権によって無理やり非合法化されてしまい、
軍事政権に逆らったりしない人しか立候補できなくなってしまいました。

こんな、初めから結果が見えている選挙に対し、
総選挙をボイコットしようとするもの、
治安を悪くして選挙ができないようにしようとするもの、
はたまたそういった軍事政権に刃向おうとする動きを
暴力で握りつぶそうとする軍事政権の支持者、
そういったいろいろな動きが、
水面下で進んでいます。

そして、少しでも治安を落ち着かせようと、
ミャンマー(ビルマ)軍事政権は、
7月からここメソットとビルマの国境を封鎖して、
人やモノの動きを制限してきました。
もともと以前から、正式に入国審査を受けずに
国境を越える地元の人たちは多数いて、
お互いの政府にとって暗黙の了解だったんですが、
その”公認の密入国ルート”が、どんどん締め付けられてきました。
そのため、地元の人が国境を越えることが、
難しくなってきてしまったのです。

地元の人、といっても、ビルマに行くタイ人は、
タイの商品をビルマで売りさばこうという貿易商ばかりですが、
ビルマの人は、タイに来て働いたり、
メータオクリニックのような病院に来たり、
毎日の生活がかかっていたわけです。

地元の人たちの生活を無視してでも、
ビルマ軍事政権は反政府勢力の締め付けを優先します。
おかげで、メータオクリニックに受診に来る患者さんの数は、
文字どおり激減してしまいました。
去年、小児科外来の一日の患者数は100~150人ぐらいでしたが、
7月に国境が閉まってからは50~100人程度になり、
10月に入って闇ルートにも制限がかかると、30~50人にまで減りました。

今日から、もう一段、国境の警備が厳しくなるという噂が流れて、
昨日は、入院中の患者さんの家族が
泣きながら、国に帰れなくなるから退院させてくれと
僕に頼んできました。
ある程度回復していれば、
多少早めの退院でも良いのですが、
不安定な人は、退院してまた病状が悪くなると、
治療をうけることができなくなるので、
退院させるかどうかは非常に悩ましい問題です。
ちなみに、今日の小児科外来の患者数は、20人にまで減りました。
ガラガラを通り越した、静けさが広がります。

ビルマの医療機関で治療ができるようになったのなら、
患者数が減っていくことは喜ばしいことですが、
残念ながら、ビルマの病院は非常に高いので、
治療が必要な人たちが、どこにも行けずに家で寝ている姿が
目に浮かびます。

一見平和でのどかに見える、ここメソットの街と、
メータオクリニック。
この静けさの後に、大変なことが起きないことを、
今日退院した患者さんが無事に落ち着いていることを、
このあたりに住むすべての人が、
平和に、安全に、水や食料、医療に教育といった
最低限の生活が保証されることを、
祈り続けようと思います。

クリニックで働く人たち・学校保健チーム編

2010.11.04.00:29

今日は、メータオ・クリニックで働くスタッフの紹介です。

DSC02078-3.jpg

このおじさん(失礼!)は、ターウィンさんといって、
タイ・ビルマ国境に200以上もある、難民・不法移民向け学校で
保健活動を指揮されている方です。

ところで、みなさん、
よく「○○に学校を建てました!」のような支援を行っている方がおられますが、
その際に、一番大事なものはなんだかお分かりですか?

机?
椅子?
文房具??
やっぱり学校/教室という建物??

いえいえ、そういった「モノ」ではなくて、
いちばん大事なものは、「ヒト」
つまり、先生と生徒です。

ちゃんと知識がある先生が学校にいること、
そして、生徒が学校に通えること。

これがないといくら学校を建てて、
机やノートを送ったところで、何にもならないですよね。
発展途上国では、学校の先生の給料が安すぎて、
生活のために先生がバイトをするため、
学校に来ない、
なんてことは日常茶飯事です。

学校保健活動で、一番力を入れているのも、この
「きちんとした先生の養成」
つまり、先生に対する教育です。
先生たちが、トイレの後には手を洗うとか、
ゴミはゴミ箱に捨てるとか、
そういったことの重要性を理解できたら、
先生は生徒に教えるようになるし、
生徒は家に帰って、逆に親に対して「教育」してくれます。
予防接種の重要性やビタミン摂取の重要性を分ってくれないと、
いくら予防接種プログラムを作っても、うまく働きません。

当初は10校程度で始めた学校保健プログラム、
現在は240以上の学校をカバーしています。
内容も、先生に対する教育だけでなく、
高校生程度の生徒にも基本的な応急処置などの教育を行ったり、
移民学校と地元のタイ人やビルマ人集落との
コミュニケーションをよくしたり
(日本も含め世界中で異民族の学校は、地元の人には
疎んじられたり嫌われたりしやすいですからね)
食事を通して栄養不良児を減らすプログラムなど、
どんどんと広がってきています。
病気の予防は治療より何倍も重要です。
学校を介して、多くの人たちに、
保健・衛生の知識が広まっていけばいいですね。
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♥. ♠. ♣Alice
プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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Toru Yoneda

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