空白の五マイル
2010.11.29.23:32
先週の金曜日に、僕の婚約者(といっても口約束ですが)が
はるばるメソットまで来てくれて、
久しぶりにお互いの顔を思い出してました。
知り合ってからほとんど一緒に過ごしていないし、
写真もほとんどないので、
漠然としたイメージしかなかったりする・・・
実質、わずか1日の滞在だったけど、
やっぱりお互いの存在を実感できるのはいいですね。
で、日曜日の朝に彼女が帰ってしまいました。
バスターミナルまでチャリンコ二人乗りで送って、
そのまますぐ近くのクリニックで病棟を回診し、
家に帰ったら、まだ午前10時半。
いつもの日曜日なら眠い目をこすりながら、クリニックに向かう時間です。
なんか、なんにもやる気がしないから、
近くのコーヒースタンドでケーキとコーヒーを買って、
一人で彼女の誕生日祝いをして(彼女は甘いものはあまり好きではないらしい)
それから、本を読みました。
最近出版された、角幡唯介さんの、「空白の五マイル」
山のてっぺんから川面までの深さが6000メートル!という、
世界最大の峡谷、ヤルツァンポ峡谷というのがチベットにあって、
巨大な大河がヒマラヤの山中でUターンというかほとんど270度ターンをするんですが、
その峡谷の中に、長い間誰も入ったことのない、
入れなかった区間があり、
そこに巨大な滝がある、とか
桃源郷がある、とか、
いろんな言い伝えや噂が21世紀になっても残されていて、
そこを探検した方が書かれたノンフィクションです。
スケールは全く違いますが、
チベットで高山病で倒れ、命を落としかけた自分としては、
共感できる部分がいっぱいあって、
あえて誰も行かないようなところ、
身体的あるいは社会的に危険なところに行きたくなる衝動、
物理的に行きたい所へ行けて、見たいものを見れたにも拘らず、
なぜだかなんとなく満たされない気持ち、
絶望的な状況や、死にそうな状況になって
はじめて出てくる、生き延びたいという本能、
そして、多くの人に助けてもらって、
初めて分かる、「生き延びた」のではなく、
「多くの人の善意で生かされている」という事実。
裏を返せば、多くの人に迷惑をかけて、
生きることに喜びを感じている自分の発見。
チベットでは、有名なところから
誰も外国人が行かないような小さなものまで、
無数にお寺やお堂があります。
ぎりぎり死の淵から這い上がって来て、
そんな時にお堂の中で壁画に囲まれて目を閉じると、
自分が何をしたのか、客観的に、
でも無情でも冷酷でもなく、温かい雰囲気で、
教えてくれました。
この本を読んで、
他にもいろいろ思うところはありますし、
おそらく、おもしろいと思う人から退屈、
あるいはバカバカしい、と思う人まで様々だと思いますが、
現在の中国政府による非情なチベット支配、
実際には多くの警官や政府役人はチベット人だったりして、
非情な法律とそれを温かく運用してくれる地元の警察や役人の姿、
そういったところも垣間見れる、
面白くて懐かしい、そんな本でした。
それにしても、現在、個人的におもしろいと思う
ノンフィクションの作家の方々が、
ほとんど僕と同年代で、
比較するのも失礼ですが、羨むとか嫉妬するとかではなく、
すごい人はすごいんだなあ、
と自分との差を感じてしまいます。
人としての、「器の大きさ」の小ささには自信があるのですが、
以前から、海外で活躍する人たちをみてると、
器が大きい人が多くて、見てるだけで感服してしまう人が多いですね。
そのような人たちに会えて、話をすることができる率が高くなるのは、
海外でうろちょろすることの、一つの楽しみだったりします。
そういった出会いを、大切にしていくことが、
僕にできることですかね~
はるばるメソットまで来てくれて、
久しぶりにお互いの顔を思い出してました。
知り合ってからほとんど一緒に過ごしていないし、
写真もほとんどないので、
漠然としたイメージしかなかったりする・・・
実質、わずか1日の滞在だったけど、
やっぱりお互いの存在を実感できるのはいいですね。
で、日曜日の朝に彼女が帰ってしまいました。
バスターミナルまでチャリンコ二人乗りで送って、
そのまますぐ近くのクリニックで病棟を回診し、
家に帰ったら、まだ午前10時半。
いつもの日曜日なら眠い目をこすりながら、クリニックに向かう時間です。
なんか、なんにもやる気がしないから、
近くのコーヒースタンドでケーキとコーヒーを買って、
一人で彼女の誕生日祝いをして(彼女は甘いものはあまり好きではないらしい)
それから、本を読みました。
最近出版された、角幡唯介さんの、「空白の五マイル」
山のてっぺんから川面までの深さが6000メートル!という、
世界最大の峡谷、ヤルツァンポ峡谷というのがチベットにあって、
巨大な大河がヒマラヤの山中でUターンというかほとんど270度ターンをするんですが、
その峡谷の中に、長い間誰も入ったことのない、
入れなかった区間があり、
そこに巨大な滝がある、とか
桃源郷がある、とか、
いろんな言い伝えや噂が21世紀になっても残されていて、
そこを探検した方が書かれたノンフィクションです。
スケールは全く違いますが、
チベットで高山病で倒れ、命を落としかけた自分としては、
共感できる部分がいっぱいあって、
あえて誰も行かないようなところ、
身体的あるいは社会的に危険なところに行きたくなる衝動、
物理的に行きたい所へ行けて、見たいものを見れたにも拘らず、
なぜだかなんとなく満たされない気持ち、
絶望的な状況や、死にそうな状況になって
はじめて出てくる、生き延びたいという本能、
そして、多くの人に助けてもらって、
初めて分かる、「生き延びた」のではなく、
「多くの人の善意で生かされている」という事実。
裏を返せば、多くの人に迷惑をかけて、
生きることに喜びを感じている自分の発見。
チベットでは、有名なところから
誰も外国人が行かないような小さなものまで、
無数にお寺やお堂があります。
ぎりぎり死の淵から這い上がって来て、
そんな時にお堂の中で壁画に囲まれて目を閉じると、
自分が何をしたのか、客観的に、
でも無情でも冷酷でもなく、温かい雰囲気で、
教えてくれました。
この本を読んで、
他にもいろいろ思うところはありますし、
おそらく、おもしろいと思う人から退屈、
あるいはバカバカしい、と思う人まで様々だと思いますが、
現在の中国政府による非情なチベット支配、
実際には多くの警官や政府役人はチベット人だったりして、
非情な法律とそれを温かく運用してくれる地元の警察や役人の姿、
そういったところも垣間見れる、
面白くて懐かしい、そんな本でした。
それにしても、現在、個人的におもしろいと思う
ノンフィクションの作家の方々が、
ほとんど僕と同年代で、
比較するのも失礼ですが、羨むとか嫉妬するとかではなく、
すごい人はすごいんだなあ、
と自分との差を感じてしまいます。
人としての、「器の大きさ」の小ささには自信があるのですが、
以前から、海外で活躍する人たちをみてると、
器が大きい人が多くて、見てるだけで感服してしまう人が多いですね。
そのような人たちに会えて、話をすることができる率が高くなるのは、
海外でうろちょろすることの、一つの楽しみだったりします。
そういった出会いを、大切にしていくことが、
僕にできることですかね~
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