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そば屋で飲む

2010.12.27.01:32

国際協力=異文化理解、なわけですが、
西日本の人間にとって、関東、そして東京はまさに異国。
中途半端に同じ国の中やから、
面子とプライドがぶつかってしまいがちです。
でも、どちらが正統、とかではなく、
単純に「異国情緒を楽しむ」つもりでいれば、
海外に行かなくとも、日常生活が楽しめます。

入籍した翌日、嫁さんと、初「そば屋で飲む」体験をしました。
関東でのそば屋さんは、関西ではうどん屋さんなんですが、
どうも単純に麺の種類が違うだけではないみたいで、
関西の町中のうどん屋さんは、ファーストフード店のようなところで、
さくさくっとうどんや親子丼を食べるところですが、
東京のおそば屋さんでは、平日の昼間から、
老若男女、みんなお酒を飲むわ飲むわ。

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飲んでから、しめにそばを食べる、そんな感じ。

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時々、「そば屋に飲みに行く」というようなことを
文章の中で見かけて、何が起きているのか全然意味が分からなかったけど、
こういうことが行われていたのか、と初めて知りました。

ちなみに、嫁さんによると、
関西では角打ち(酒屋さんでの立ち飲み)っていう文化があって羨ましい、らしい。
北九州でもちょくちょくあったなあ。
角打ちにしても、そば屋で飲むにしても、
長居は無用で、閉まるのが早いのは共通。

いずれにしても、お酒の飲めない僕としては、
どちらの文化も、タイで働くより辿り着くのが難しい、
憧れの世界です。
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ドキドキ、よりバタバタ、な入籍体験

2010.12.26.23:48

お久しぶりです。
今回、日本に1か月ほど滞在するのは、
もちろんお金を稼ぐのもありますが、
それより、婚姻届を出す、
いわゆる入籍ということをするためでした。

数日会っただけで、お付き合いすることを決め、
それから数日電話で話をしただけで、結婚を決め、
いわゆる”電撃結婚”なわけですが、
それができるほど、お互いにお互いのことがわかって、
深いレベルで分りあうことができて、
問題が出てきても、逃げずにそれに対処ができる、
そしてそれが一生続く
(”続ける”ではなくて、努力しなくても”続く”)
そう確信できる相手と出会えたことは、非常に幸せなことです。

で、
いつ入籍するか、という話を嫁さんとしたところ、
「絶対に忘れない日がいい」という返事が返ってきて、
個人的にはミーハーな感じで恥ずかしかったけど、
12月24日に入籍しました。
ちなみに、嫁さんの運転免許証の更新期限も
ちょうど12月24日だったんで、
同じ日に、婚姻届を出して、免許の更新もすることに。

さらに、嫁さんは、
「ちゃんとした格好で婚姻届を出したい」と言いだして、
二人で着物を着よう、
さらには、そのまま明治神宮に行って神様に報告したい、
ということになりました。
やっぱり僕としては、紙切れを役所に出すのにどうだっていいやん?と
初めは思ったけど、
着物を着て役所に入るのも楽しそうだし、
資金難により結婚式を挙げられないので、
できる範囲で、できることをして、
婚姻届を出す日=紙切れを出す日ではなく
人生の大きなイベントとして、
それを二人で盛大に楽しむことにしました。

当日は、朝から着付けの人にアパートまで来てもらって着物を着せてもらい、
押入れに入ってるものをひっくり返して小物を揃え、
冬晴れの気持ちいい空の下、二人で区役所まで歩いて・・・
までは良かったんですが、
区役所は、年末で、クリスマスイブに入籍したいカップルであふれていて、
婚姻届&本籍の変更やらなんやら
全部終わるまで2時間半もかかってしまいました・・・

それから、おなかをすかせた子どもに謝りながら
写真屋さんに行って記念写真を撮り、
免許センターに行ったら、
もう真っ暗になってしまいました。

明治神宮は、夜は閉まってしまうんです・・・
京都だったら、どこかにお参りには行けたのに・・
なんて思う元気もなく、最後はぐったり。
まあ、どう考えても、
予定を詰め込みすぎた、僕たちのミスです・・

しょうがないので、二人で着物姿でおでん屋さんに飲みに行って、
二人で乾杯しました。

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夜遅くに、自宅のアパートに帰って、
息子と記念撮影。(恥ずかしい?から写真は載せてほしくないらしい)
これは、息子が撮ってくれた写真です。

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高校がカトリックのミッションスクールだったこともあり、
世間のクリスマスのイベントにはかなり冷めてましたが、
「クリスマスイブに特別なことをする」ではなくて
「自分(達)の中で12月24日の意味づけを変えてやる」
ことはできたな、と思ってます。
そう、これからは、
12月24日は、クリスマスイブではなくて、
二人の結婚記念日です。
そう考えると、
この日を選んでくれた嫁さんには感謝ですね~。

入籍準備

2010.12.22.23:29

今月半ばに日本に一時帰国してから、
ブログの更新の間隔が空いてしまってます。
病院で働いている時間は圧倒的に短いんですが、
入籍の準備に引っ越しの準備、
そして、毎日の家事。
働きながら家事をこなすって、いかに大変か、よく分りました。
というか、いかにメソットで暇な毎日(笑)を過ごしているか、
改めて、実感です。
特に、夜、子供を寝かせて、それから何かをやろうとしても、
たいてい、自分も同時に寝てしまって、
やりたいことはできないまま、ずーっと放置状態なことがしょっちゅうです。

普段は、定期的に走ったり運動したりしないと、
体の中が気持ち悪くてしょうがないんですが、
今は、忙しいし、精神的に余裕がなくて、それどころじゃない。
おまけに、帰国する時に重い荷物を背負ったり担いだりした後に、
その後もばたばたしていたもんだから、
右肩を痛めてしまい、筋トレどころか
日常生活を送るのも大変になってしまって。
おそらく、新しい環境の中で、
物理的にも、人間関係の中でも、
早く自分の居場所を作らないといけない、というプレッシャーに
かなり押しつぶされていた気がします。

で、今日は帰国して約2週間目なんですが、
初めて心身に余裕を感じて一日を過ごすことができました。
忙しい当直明けだったんですが、なぜか心も体も元気。
引越しの準備のために前に住んでたアパートを片付けを少ししたあと、
嫁さんのアパートに戻って、洗濯に料理なんかしつつ、
治りつつある肩をいたわりながらも
買い物がてらゆっくり近所のスーパーまでジョギング。
運動したい、なんて思ったのは、久しぶりでした。

山積み状態の、やらねばならない仕事や課題は全然減ってはないのですが、
とりあえず、精神的に、新しい家庭の中で、
自分の居場所ができてきたかな、
そんな気がします。
新たに僕の子供となる、男の子との関係も、
少しずつ、お互いにお互いを受け入れられるようになった気がして、
二人っきりで部屋にいても、あまり気まずくならなくなりました。

突然始まった、新しい家族との生活。
はじめは、ほんまに大変だったし戸惑ったけど、
ようやくうちとけ始めて、なじんできて、
あさってに婚姻届を提出する予定です。

身近な「異文化理解」

2010.12.16.10:30

「国際協力」と言うと、セットで出てくる言葉が
「異文化理解」です。
相手の国や地域の文化、習慣などを理解し、尊重する・・

まあ、当たり前のような話なんですが、

でも、これってとっても難しい。

あらゆる物事に一人一人が身につけた「価値」「解釈」というものが、
無意識に、反射的についてまわるからです。
殴られて怒らない人はいないでしょうが、
手を触られたり、抱きつかれたり、腕組みされたり、
これはみんな、いろんな国での挨拶の時の敬意を表す動作なんですが、
慣れてないと、不快に思う人もいるでしょう。

そして、入籍前ですが、彼女と彼女の息子との同居生活を始めた
彼女のアパートの中でも、いろんな「異文化」が・・・

日本に帰って来てしばらくは、まさしく「主婦」ならぬ「主夫」のような毎日で、
朝起きて、みんなのご飯を準備して、洗濯機を回し、
彼女が仕事に行くのを見送り、息子が学校に行くのを見送ってから
自分のご飯を食べて、
洗いものに洗濯、掃除、片付け、買い物、そして銀行や役所での雑用など。
家事そのものはとっても楽しいんですが。

彼女や息子との付き合いになると、
息子にはため口で、朝は学校に持っていくものをランドセルに入れといて、とか
帰ってくると、ジャマだのパソコンでゲームしたいからネットを使わないで、なんて言われ
彼女には、何がどこにあるのか、とか、家族内の細かなルールとか、
聞きたいことは山ほどあるけど、
仕事で忙しそうで、夜中に帰って来てご飯食べたらすぐに寝てしまい、
結局何も聞けない、分らない、もちろん手伝ってももらえない、
なんて日が続き、
「嫁入り」した日本の奥様方の気持ちが、ちょっとだけ分った気がしました。

自分が予測してなかった場面に出くわすと、
プラスのことならうれしいけどマイナスのことなら、イライラしたり、怒ったり、
どうしてもしちゃいがちです。
でも、みんな、僕のことを嫌いなわけではなくて、
これまでの、彼女と息子の二人の生活をそのまま続けてるだけで、
同じ様に、僕にもその生活を当てはめてきます。
だから、そこに、いいも悪いもないんですね。
それが当たり前だと思ってるわけですから。

そう、僕がメソットのクリニックで
日々地元のスタッフに対して感じてることと全く同じことが、
今、日本の小さなアパートの一室でも起きている、
それに気づいたら、なんだかとってもおかしな感じです。

イライラするものを、しないようにすることはできません。
でも、仏教では、そのようにイライラしている自分を客観的に見て、
その「イライラ」を放置するように、言います。
消し去るわけでもなく、忘れようと努力するわけでもなく、
ただ単に放置する。
イライラにとらわれてこだわると、結局イライラはどんどん増幅して、
最後には相手が悪い、と考えるようになり、
相手の悪いところをどんどん探しに行ってしまいます。

なんだか、こう書くと、
まるで新婚生活が精神鍛錬の修行のように聞こえますが(笑)
息子もとってもいいやつで、
全く僕のことを拒絶、になってもおかしくないシチュエーションで、
ちゃんと僕が新たに家族に加わったことを認めてくれて、
いろいろと突然現れた僕のことを気にかけてくれて、
ため口で話してくるのも、むしろ気を許してる証拠なんじゃないかな、と
すぐに思うようになりました。
「悪妻を持つと哲学者になれる」とギリシャの哲学者は言ってましたが、
素晴らしい家族を持っても哲学者になれそうです。

そして、この体験が、今後の海外での活動でも活かせそう、と確信してます。

サプライズ・パーティー

2010.12.16.09:46

だいぶ更新の間隔が空いてしまいました。

先週、仕事と入籍の手続きのため、日本に帰って来て、
”新居”(今度結婚する相手のアパート)に移り、
いろいろバタバタしてるうちに、一週間近く経ってしまいました。

少し前の話になるのですが、
絶対にブログに載せたかった出来事がメソットであったので、
それを書きます。

ある土曜日の朝、クリスという同僚のカナダ人が、
「今夜空いてる?」
と聞いてきました。
なんだろうと思ったら、
「トルとキョウキョ(結婚相手の名前、キョウコと言いたかったらしい)のために、
パーティーをしたいんだ」
なんて、突然言われてびっくり。

なんていい奴なんだ~

先日、彼女がメソットまではるばる訪ねて来てくれて、
クリニックにも顔をちょっとだけ出してくれて、
かなり好印象だったらしく、
みんなで祝いたい、なんて言ってくれました。

でも、小児科外来のスタッフは、
ほとんどが結婚して子どももいる、「主婦」が半分以上。
クリスがみんなに、今夜空いてる?と聞いても、
みんなは忙しくて無理、と答えるばかりで、
僕も、実現は無理だろう、ていうか、
パーティーではなく男二人で飲み会になりそう、って思ってました。

ところが、その夜、
待ち合わせのレストランに行くと、
なんとみんなでトラックの荷台に乗って、
来てくれました!
総勢18人プラス子ども二人。

みんな席に着くと、みんなで出し物を・・・

なんてことはありませんでしたが、
料理が来るまでの待ち時間に、
クリスが準備してくれたケーキを18等分!して食べて(笑)
あとは各自勝手に雑談。
日本なら、慌てて「ひとこと」を考えてるシチュエーションでしたが、
こちらでは、主役も脇役も関係なく、食べてしゃべることに集中できました

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こちらはケーキを食べてる外来の師長さんとそのお子さん

何はともあれ、みんなに存在を認識してもらい、
気にかけてもらい、愛してもらっていることを感じることができて、
しあわせなひとときでした。

選ばれし者、選ばれなかった者

2010.12.08.03:24

今日(12/7)は、朝からいろんな出来事が続いた一日でした。

まず、いつも通り、産科病棟の回診から始めようと思ったら、
黄疸が強くて、ぐったりした生まれて4日目の赤ちゃんが入院してました。
良く見ると、おへそのとこが赤く腫れてて、
昨日、おへそのところにバイ菌が入った、ということで入院になったようですが、
スタッフは、みんな、
「感染が重症化してしまった。もう助からない」と半ば諦め口調で話してる・・・
ともかく、薬をどうするか、相談されたので、
髄膜炎までなってるかどうかを検査して、髄膜炎にはなってなかったので、
「まだそこまで悪くなってないから、やれることやろう」と
おへその感染症でいつも使っている薬をそのまま使うように指示して、
点滴の量を増やして、黄疸の治療を始めて・・・
とやれることを積極的にやるように指示をしました。
ぐったりしてたのは、黄疸がきつくて、ミルクが飲めなくなって、
脱水気味だったんじゃないかな・・・って思います。

ばたばた指示を出してから回診を始めると、
一人の赤ちゃんがおうちに帰る準備をしてました。
先月、1100gで生まれた赤ちゃんです。
ちょうど、7人ぐらい未熟児で生まれた赤ちゃんがいたのですが、
先に大きくなって退院したり、
転院を希望して強引に退院したり、
亡くなってしまったり、
で、最後に残った子が、ついに今日退院になりました。
かつてガリガリしてた赤ちゃんが、今ではふっくらぽちゃぽちゃに、
とってもかわいい。
このお父さんは、ほとんどつきっきりで一緒に病棟に泊まってて、
こまめに赤ちゃんの面倒を見てて
(どんな未熟児であっても、ここでは
ミルクあげたりおむつ変えたり体拭いたり、は家族の仕事です)
すごく頑張ってましたが、
いざ退院となると、やっぱり緊張するみたい。
赤ちゃんは、余裕たっぷりですけど。
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実は、明日から、しばらく日本に帰って、
入籍の手続き&バイト三昧で生活費を稼がないといけないんですが、
ぎりぎり退院するところを見れて、うれしかったですね。

そして、気がかりだったことが、もう二つ。
小児科病棟の重症の子供たち。

一人は、おそらく脳性マラリアといって、
マラリアによる脳障害の4歳の男の子。
熱が出て2日目にけいれんがあり、
その次の日になんとか病院までやってきたんですが、
その時にはもう意識がなくて、
使える薬は全部使ったんですが、意識が戻ることなく、
今日の朝方に亡くなってしまいました。

そして、もう一人は、肺炎の9か月の女の子。
ビルマで2週間、咳と熱が続き、
薬を買って飲んでもよくならず
(タイやビルマでは、抗生剤はなんでも薬局で普通に買えます。)
ビルマの病院に2週間入院してもよくならず、
(結核の薬まで使ったようですが)
結局1か月も肺炎が続いた状態でうちのクリニックに来たのですが、

普通の肺炎に結核、その他使える薬は全部使っても、
やっぱり良くならない。
経過とレントゲンからは、おそらく結核だと思われました。
それも、中途半端に薬を使って、薬が効かなくなったのか、
HIVなどの別の病気を持っていたのか、
全く薬が効いてくれない。
そうこうしているうちに、心臓のほうに負担が来てしまったのか
心不全になってしまい、
結局、今日亡くなってしまいました。

大人の病院なら同じ日に何人かが亡くなることはありますが、
うちのクリニックであっても、
子どもが1日に二人も亡くなるのは、滅多にありません。
ここ数日、土日も、暇を見ては診察して、検査して、
薬を足したり量を変えたり、いろいろみんなで頑張ったのに、
残念な結果になって、もちろん家族がいちばん辛いのですが、
スタッフもぐったり。
僕も、悲しいのと、残念なのと、悔しいのと、急にやることがなくなったのとで、
残りの半日はただぼんやり過ごしてました。

悔しい。ほんまに悔しい。
やれることを全部やったとしても、
患者さんやその家族をつらい状況から助けることができなかったら、
満足感なんて一かけらもない。

予定されていない突然の死。

大人の病気だと、ある程度自業自得の側面があることもありますが、
子どもの場合、本人は何も知らないし、何もしてないし、
キリスト教では神様の思し召しになるし、仏教では前世の悪業のせいになるけど、
やっぱり、やるせないのはやるせない。
生まれながらに選ばれる人間と選ばれざる人間がいる、この現実。
途上国では子供が死ぬのは当たり前でみんな慣れてるよ、
なんて言ってる人もいるけど、
とんでもない。
この3か月見てきた限り、泣き崩れなかった親はいません。

チベットでは、誰かが亡くなったら、
1週間お経を唱え続け、少しずつ家族が受け入れられるように、時間を作るんですが、
ここでも、家族の心の傷が少しでも癒されるように、祈ります。

振りかえり

2010.12.05.22:53

今日は、あっさりと午前中で仕事が終わったんで、
お昼からかなり時間がありました。
先週の日曜日は本を読んで過ごしたんですが、
今日は、山のように溜まった仕事を片付けにかかりました。

仕事が溜まると、何からやろうか、
その段階で悩んでしまって、何もできずに終わる、
なんてこともよくありますが・・・

今日、手をつけたのは、これまでに自分が診察した患者さんの中で、
珍しい病気の患者さんに重症な患者さん、
今後の治療が長くなりそうな患者さんなどの、
これまでの経過と今後の治療方針などをきちんと記録に残すことです。

病院で働いている医者や看護師、助産師の方には
「サマリー」と言えば、よくおわかりだと思います。
今の職場では、もちろんサマリーなんてなくて、
右から左へ、いろんな患者さんが通り過ぎていく感じなのですが、
自分の中で、ちゃんと何をしたか残しておかないと、自分の勉強にならないし、
ここで働いているスタッフに、どのようなことがあったか、
一緒に考えたほうがよいことも多々あるし、
そして、今このクリニックにいない方々に、
どのようなことがあったのか、説明するためには絶対に必要です。
特に、日本にいる方や日本の援助団体に、援助をお願いする場合など、
このような記録がないと、話がはじまりません。

これまでは、僕のメモ帳に乱雑に残ったメモ書きだけで、
いろんな情報が抜け落ちてて、
説明するときの資料としては不充分でした。
写真だけは撮ってあるけど、どんな病気の患者さんだったか、
ある程度の記録やデータは必要です。

で、なんで、今まで記録も残さずに来たかというと・・・

パソコンが苦手だから。

その一言に尽きます。

スポーツマンのくせにパソコンオタクな父を持ち、
ブラインドタッチやBASICというプログラミングは
小さい時から練習させられましたが、
字は汚いくせにあくまでアナログを追い求めてきた自分にとって、
ファイルメーカーなどのデータ管理ソフトを自分で使うだなんて、
もってのほかでした。
タイにいると、いろんなソフトが安く手に入るんですが、
買おうとすらしなかったな。

でも、このままでは年が越せない!
ということで、てっとり早く(というかやむなく)エクセルを使って、
サマリー書きを始めました。
エクセルでデータ管理って言うと、
パソコンに詳しい方には馬鹿にされそうですが、
全くその通りだからしょうがない。
問題はサマリーが残ってるかどうか!と開き直ってどんどん書いていくと・・・

つらい思い出の残った患者さんの記録がいっぱいあって、
思わぬタイミングでの再会になって、やっぱりつらい思いになります。
そして、そんな大切な患者さんの記録をきちんと残していなかったこと、
反省ですね。
でも、こうやって記録を残して、
患者さんたちが残していったものをみんなで受け止めて、
これから、このクリニックでできることを増やしていきたい。
そしてクリニックに来る前にできたはずのことができるように、
していきたいと思います。

ほんの一部の、思い出の写真から。
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クリスマス・プレゼント

2010.12.03.23:06

今日、仕事が終わって、すっかり暗くなってから、
ビルマからの難民の子どもが通う学校に行きました。

9月ごろから、多くの方から文房具とかおもちゃとかを預かってて、
それをいろんな学校に配りに行く予定だったんですが、
みんなの時間がなかなか合わず、
配りに行けなかったんです。
今日も、仕事が終わってから学校保健を担当している人に電話したら、
「今日の夜、ここの学校に配りにこう」って決まるぐらいバタバタでした。

なぜ、夜に学校に行くの?
生徒に渡すのではなく、先生に渡すから??
って思った人もいるかもしれません。

実は、ここの学校は、昼間は家の都合で働かねばならず、
学校に行けない子供のために、夕方から開くんです。
日本なら、塾のような感覚かもしれません。
タイの居住権をもつぐらい、余裕のある人は、
子どもを昼間に学校に行かせるし(なんせ義務教育ですから)
こどもだけビルマからタイに避難させるような場合は、
全寮制の学校に入るので、やっぱり昼間に勉強します。
家族と一緒にビルマからタイに逃げて来た、そんな家族の多くはとても貧しくて、
子どもも重要な働き手となってしまっています。

でも、子供なので、みんなで集まったら、
悲惨な雰囲気とか、悲壮感とか、貧しさに対する引け目なんて一切なくて、
純粋に、無邪気に、
みんなでわいわいがやがや、楽しそうに勉強してました。
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ここの学校には、
ノートや鉛筆、おもちゃ、塗り絵をプレゼント。
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ちなみに、ビルマ語で自己紹介・・・はできず、
片言の挨拶だけビルマ語でやって、後は英語でゴメンナサイ
この子たちは、この年齢で、タイ語に英語まで勉強してるのに!
僕も負けないようにがんばります。

ちょっと早い、クリスマスプレゼントでした。

言葉の壁・医療の壁

2010.12.03.01:14

最近、天気が良くなったせいか、
外来も病棟も患者さんがかなり減って暇な毎日なんですが、
今日は、言葉の壁と医療の壁にぶちあたったケースが2回もありました。

一人は、9歳の女の子で、HIVウイルスに感染している子です。
先月の下旬にうちのクリニックに、微熱があって何度も吐く、といって受診しました。
胃腸炎がはやっていて、よくある症状だったんですが、
どうも症状というか雰囲気がおかしい、ということで調べたら、髄膜炎でした。
しかも、ただの髄膜炎ではなくて、結核菌による髄膜炎です。
普通は結核菌が頭の中まで入ることはめったにないんですが、
HIVの患者さんや1歳にならない赤ちゃんなど、免疫が弱い人には、
しばしば起きることがあります
(これを防ぐために、日本ではBCG、つまりハンコ注射をやるんです)
うちのクリニックでは、薬が全然ないので、結核に対する治療が全くできません。
ビルマの人たちは、ビルマの病院に行かないと治療を受けられないのです。
そして、結核菌の髄膜炎は、治療が1年以上と非常に長くなります。
病棟のスタッフが、「家族に説明して、ビルマの病院に入院するように言っとくよ」
と言って、あとは任せっきりにしてたんですが、
今日、外来にお父さんがやせ細った女の子を連れて突如現れて、
「お前が診断してビルマまで行ったのに、全然よくならない、どういうことだ!!」
とまくしたててきました。

結核の髄膜炎は、初めは普通の髄膜炎と比べると症状がマイルドですが、
治療をちゃんと始めてもなかなか良くならず、
脳の中で出血したり石ができたり水が溜まったり、することが多く、
そうなると、手足が動かなくなったり、会話や食事ができなくなったり、
どんどん後遺症が出てきます。
まさに「真綿で首を絞める」ような、非常におそろしい経過をたどります。

その患者さんは、病気自体が進行したことに加え、
食事を摂れなくなった後、ビルマの病院では
点滴も栄養チューブも使わず何も栄養を摂ってなかったらしく、
持参してきたビルマの病院のカルテによると、2週間で体重が18キロから14キロまで減ってました。
骨と皮だけまでやせ細り、かろうじて目は見えるものの、
会話はできず、食べることもできず、手足も動かせず、
こちらもただただ悲しいばかりです。
でも、一番悲しかったのは、家族の方に、
どんな病気でどのような治療をするのか、一般的にどのような見通しなのか、
全く伝わってなかったことでした。
小児科では、この患者さんに説明する、という部分が
医療の中で大きなウェイトを占めています。
この患者さんの場合、栄養が摂れてなかったのは非常に問題ですが、
病気自体かなり重篤な病気であるのは間違いありません。
でも、お父さんは、そんなことは知らされず、
治療を受けたらすぐに治るものだと思ってたんでしょう。
病気の診断には、詳しい説明と
(しかも一度だけではなかなか伝わらないので、二度、三度と繰り返して)
診断した病気に対する対処、治療が常にセットになっているべきです。
僕の今のボキャブラリーでは、診断はできても、説明は他人任せ、もしくは通訳、
非常に片手落ちな医療で、まさにそれが問題になってしまいました。
ちなみに、今回は結核に対する薬を持ってきてくれていたので、
改めてお父さんに説明をした後、
うちのクリニックで、栄養を摂らせつつ治療を続ける予定です。

もう一人は、9歳の男の子で、筋ジストロフィーという難病の子です。
全身の筋肉が少しずつ壊れていくので、立ったり歩いたりができなくなり、
しかも呼吸をする筋肉や、心臓も筋肉が傷んでいくので、
非常に恐ろしい病気です。
生まれてすぐに症状がでる「先天性筋ジストロフィー」ではなく、
5歳から10歳ぐらいで症状がでてくるタイプのものです。
このようなタイプでは、男の子の兄弟だけ症状がでる、ということが多く、
この子のお兄ちゃんも、おそらく同じ病気で、今は車いす生活だそうです。

この病気の場合、病気そのものを治せる薬は今のところありません。
ただ、病気の進行を遅くする、という治療法はあります。
もちろん、治療には副作用が出てくる可能性もあります。

こうなると、まず、本人と家族の人に、
病気の説明をして、今後の見通しを説明して、
根本的な治療がないことも説明した上で、
なるべく副作用がでないような少ない量にするが、副作用がでるかもしれない、
病気を治すことはできないが、進行をゆっくりにすることはできる、
だから治療を受けるとなると、何年も薬を飲み続けなければならない、
といった説明が必要です。

ちょうど結核性髄膜炎の患者さんに対する話が終わった後だったので、
念を入れて、いくつかのタイミングで、別々のスタッフに通訳してもらって、
数回説明を繰り返して、本人と家族の意思を確認した上で、
治療をはじめることにしました。
もちろん、治療をはじめてもどんどん症状が良くなることは期待できません。
来月に、治療の経過観察のためにクリニックに来る予定ですが、
その時にどんな反応がくるのか、
自分の説明がどのように理解されていたのか、今から内心どきどきです。

お祭り騒ぎ

2010.12.02.01:40

ここしばらく、小児科は外来/入院患者ともに激減し、
非常にのんびりとした毎日ですが、
クリニック全体の中も、お祭りが続いています。

先週日曜日はアウンサン・スー・チーさんの解放を祝うセレモニーがあり、
今日は・・・

そう、「世界エイズデー」の式典がありました。
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参加者たちは、数キロの道のりをみんなで行進し、クリニックにつくと、
そこから歌やダンスの始まりです。

タイ‐ビルマ国境地域では、HIVの陽性率が非常に高くなっています。
日々の診療でも、HIVを疑う子供は頻繁に受診します。
下痢が続いたり、肺炎を繰り返したり、体重が全然増えなかったり・・・
どこにでもありがちな症状だけど、いつまでたっても良くならない、
そしていつまでたっても大きくならない、小さくて病弱なまま、
そんな感じですね。

治療には、非常に高価な薬を使うのでいろいろと問題点があって、
患者さんをみつけたから、さあ治療を、という訳にはいきません。
小児の場合、1歳半をすぎないとここでは確定診断ができないし、
診断して、ではどうすのか、と言われると、
定期的に病院に来てもらって、診察して、
病気が進行してきたら、薬を毎日、必ず毎日、飲んでもらう必要があります。
子どもがHIVにかかっているということは、
ほとんどの場合、両親のどちらか、あるいは両方がHIVにかかっているので、
だれが子どもの面倒をみて、薬をのませるのか、そこから問題が始まります。
だから、確定診断をするのか、
親が、相当な精神的負担を受ける覚悟があるのか、
子どもの未来と自分の負担との間で、悩み続ける人も見かけます。

ちなみに、メータオクリニックでは、お金の問題があり、
HIVの治療を受けられるのは、ほんの一握りの人だけです。
一度治療を開始したとなると、途中では絶対にやめられないので、
欧米の援助団体の決め台詞
「○○万ドルで3年間予算があるから治療をしてあげたい」
なんて言われても、3年後に治療をやめるわけにはいきません。
支援が続く保証がない状況では、治療を始めるのは実際には困難です。
(薬を飲んだり止めたり、と繰り返して中途半端に治療すると、
ウイルスが耐性化してしまって、薬が効かなくなるんです)
タイの居住権をもっていれば、タイの公立病院で、
持っていなければ、ビルマの病院で、薬をもらうことができます。
ビルマに住んでいる人々は、普通の病気の治療を受けるのは、ビルマでは非常に高価なので、
みんなうちのクリニックまでわざわざやってきて治療を受けるんですが、
HIV(と結核)だけは、うちのクリニックでは治療が受けられず、
逆にビルマに帰ると無料で治療がうけられる、
そんな歪(いびつ)な構図が、ますます患者さんの混乱に拍車をかけています。

派手なパフォーマンスで、お祭り騒ぎをしている裏では、
アジア最悪と言われる、HIVと結核の蔓延に歯止めがかからない、
不安定な政治状況のため、歯止めの掛けようがない、
そんな現実があります
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プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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Toru Yoneda

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