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繋がる幸運、繋げる希望

2011.02.28.19:09

ここ10日間ほど、白血病疑いの患者さんを含め、重症の患者さんが多数入院したり、
精神的に大きなトラウマを抱えて病院に来たと思われる女の子が入院したり、
(これについては、後ほどご紹介いたします。)
その他いろいろと深刻な背景を抱えた問題が山積みで、
かなり大変な毎日を過ごしていました。

そんな中、先日ご紹介した、白血病が疑われる患者さんですが、
かなり「ツキ」を持っていたように思います。

普段はなかなか血液検査をしたがらない(お金がかかるから)スタッフが、
珍しく早い段階で検査を、しかも、再検査までしてくれて、
うちの病院に入院してからはすぐに疑わしい病気が見つけらて、
家族も、二つ返事で検査や治療を受けることに同意してくれて、
「白血病」=不治の病としてなかなか検査や治療をすすめることが難しい中、
たまたまチェンマイまでの患者さんの搬送を受け持つ団体が、
検査や治療をすすめることに同意してくれて、

そして、昨日、患者さんをチェンマイまで送ることができました。

本来なら、車の順番待ちでチェンマイまで行けるのが2週間以上たってから、
だったのですが、
とてもそこまで体調が持ちそうになく、
そのことを察してくれたスタッフが、なんとか早めに搬送しようとしてくれたところ、
たまたま、昨日なら、地元の私立の病院で小児科の先生が外来の当直をしてくれる、という情報を入手し、
それとは別件で、たまたま、帝王切開をするために一人患者さんを地元の公立病院まで搬送するので、
メータオクリニックの患者搬送用の車に便乗して、地元の私立病院まで搬送してもらい、
そこからは、私立病院の救急車でチェンマイまで搬送してもらう、
という、まさにミラクルが重なり、
なんとかチェンマイまで搬送することができました。

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搬送車(といってもトラックの荷台に幌を付けただけですが)で
地元の私立病院に向かう患者さんと、
しっかりと守るように抱きしめるお母さん。

もちろん、土日なのに、軍や警察の許可を得るために
スタッフたちがひたすら電話を掛けまくってくれて、
軍や警察がすんなり「不法入国者」の搬送を許可してくれたことも、
感謝以外の何物でもありません。

痛い検査を受けて、つらい治療を受けたとしても誰もが助かる病気ではありません。
でも、幸運が重なって治療を受けるところまでようやくたどり着いたので、
これからも、幸運が重なってくれるような気がしてなりません。

まずは、第一関門を突破したので、
次は、無事に治療が始められるように、祈るばかりです。
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応援部隊

2011.02.25.01:11

先日ご紹介した、白血病疑いの男の子ですが、
以前、高い熱が続いています。
初めからお母さんがずっと付き添っていたのですが、
お父さんも頻繁に付き添うようになりました。
はじめは、病気の状態を説明するために、
ビルマから来てもらったのですが、
心配なのか、家に帰れないようです。

そして、お父さんと一緒に、お姉ちゃんも来てくれました。
もちろん、ビルマに一人で残してはおけないから
お父さんが連れてきたのですが、
常に笑顔ではしゃいでいて、
暗くなりがちな家族の雰囲気を明るくしてくれてます。
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家族との触れ合いは、今後の治療を考える上で、一番大事なものになります。
今のところ、チェンマイの病院まで行って確定診断のための検査を受けられるのが、
3月の初めになりそうですが
チェンマイに行くと、またお母さんと本人の二人きりになります。
本人の支えはもちろんですが、
お母さんを支えてあげられるのは、お父さんであり、お姉ちゃんです。
今のうちに、少しでも家族一緒の時間を楽しんでほしいなあ、と願います。

それぞれの試練

2011.02.23.00:00

先週、一人の男の子が入院しました。
6歳の男の子で、熱が2週間も続いているそうです。
きつくて、動けなかったのですが、
ひどい貧血があって、輸血をしたら、かなり元気になりました。
39度の熱が続いても、解熱剤を飲めば元気になって、
他の子どもたちと笑いながら遊んでいました。

この地域は、マラリアの患者さんが非常に多くて、
マラリアにかかると、ひどい貧血になることもしょっちゅうなのですが、
この子はマラリアではありませんでした。
そこで、貧血と熱の原因を調べるために、
血液検査をしたところ、貧血以外に、
血が出た時に出血を抑える血小板という細胞が非常に少なくて、
どうもおかしい。
もう一度再検査をして、近くの公立病院まで検査を依頼したところ、
「芽球」とよばれる白血球が多数見つかりました。

血液の中に芽球が増える病気・・・・
まっ先に思いつくのは、白血病です。白血病とよく似たリンパ腫という病気もあります。
白血病というのは、本来細菌やウイルスと闘うはずの白血球という細胞が
全く役に立たないできそこないのようなものになってしまい、
数ばかり増殖してしまい、ほかの重要な細胞ができなくなる病気です。
血液の中の、酸素を運ぶ赤血球や血を止める血小板、
そしてちゃんと働く白血球ができないので、非常に重篤な病気です。
治療しなかったら、まず助かることはありません。

でも、治療もとっても大変。
抗がん剤を何か月も使って、多くの副作用に悩まされて、
痛い検査も何度もされて、
それでも、生き延びるために、子どもたちも、家族も、必死になって、闘います。
以前よりは格段に治療は良くなってきましたが、
それでも、がんばって治療したからと言って100%助かる病気ではありません。

今日は、まず、ご両親を呼んで、
白血病が非常に疑わしいこと、
診断を確定する検査するにも、治療するにも、
チェンマイという都会まで行かねばならないこと、
治療をすると、最低でも数年間は、数か月単位の入院を何度も繰り返すこと、
合併症や副作用も非常に重たいこと、
などを説明しました。
その後で、
もし、診断を確定させるための検査を受けるつもりがあるなら、
そのお金はビルマ子ども医療基金という団体が出す、
そして、診断の結果、治る見込みが高いタイプの白血病やリンパ腫などであれば、
寄付を世界中から募って、お金やタイ国内の滞在許可証などを提供する、
もし、診断の結果、治療しても治る見込みが低いのであれば、
残念ながらそれ以上私たちは援助できない、

という、冷酷な話をせねばなりませんでした。
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話をしながら、予算がなくて治療ができなかった、
3ヶ月の肝臓のガンの赤ちゃんの顔を何度も思い出しました。
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今なら、とりあえず検査を受けて診断を確定させるまでは予算があります。
確かに話の内容は冷酷ではあるけど、可能性もある。

検査や治療を受ける本人が一番の試練ですが、
仕事を辞めて、言葉も通じない見知らぬ土地で、
その本人に付き添って励ます家族にも大きな試練です。
そして、日本円で何百万円というお金を、
しかも診断が確定してから短期間で集めなければならない
私たちにも大きな試練です。
(何年にもわたる治療の途中で予算がなくなりました、とはいかない)

実は、白血病やリンパ腫の患者さんを都会に送って治療を受けさせることは、
我々の団体でもあまりできません。
多くの場合、数年にもわたって治療を受けることはできない、と家族が諦めるか
治療をしても助かる見込みが少ない、と周囲が諦めるか
のどちらかです。
そして、治療を受けた子どもたちの、生存率も、約半分、50%です。

でも、本人も家族も覚悟を決めた今、やるしかありません。
できる限り、我々にできるかたちで、応援するしかありません。
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「ペシャワールにて」

2011.02.21.00:59

今日(2/20)は日曜日でした。
朝8時半に病棟に回診に行って、11時ごろに仕事も終わり、
早めにお昼を食べた後、久しぶりに本を読みました。
「ペシャワールにて」
福岡が生んだ、偉大なカリスマの中村哲先生の本です。

ご存知の方も多いと思いますが、
中村先生は、パキスタンからアフガニスタンにかけて、
癩(ハンセン病)の患者の治療から始まり、
度重なる内戦、旧ソ連や欧米諸国の「侵略」により
荒廃した地域社会を立て直すべく、
医療活動のみならず、運河を引き、水をひいて、農地をひらき、
荒れた故郷で再び農耕ができるように、今も活動されてる方です。
国際医療に興味がある日本人なら誰でも知っている人です。
伊達にパキスタンやアフガニスタンで、
多くの人たちとともに話し合いながら働いて来られただけあって、
話し方が非常に面白くてわかりやすいので、
講演を聞くだけで幸せになれる、そんな方です。

でも、白状すると、まだ本を読んだことがなかったのですが、
突然、読みたい気分になって、今日はひたすら本にかじりついてました。

この本の時代背景は、1980年代後半
ソ連がアフガンから撤退し、パキスタンに逃れた難民が帰ろうとしたけど、
国土が荒れて耕作ができないため帰るに帰れない、そんな時です。
自分の読んでた「小学五年生」に、アフガン難民の話が載り、
アフガンが舞台のランボーも上映され、
しかし、石油権益のため、第一次湾岸戦争が始まり、
アフガニスタンなんて忘れられてしまいました。
国内では、「売上税導入」に揺れ、バブル景気に差し掛かる頃、
一部の人間たちがお金の使い方に困るほどお金を稼ぎ
繁栄を謳歌していたように見えた、そんな時代でした。
海外協力と言えば、内戦がほぼ終結しかかっていたカンボジアで、
警察官に続き、自衛隊が海外に初めて派遣されたころ、
でも、民間による国際協力はまだまだで、
海外で働く=一部のビジネスマンと帰国子女、というイメージだったと思います。

冒頭で、中村先生が、パキスタン・アフガニスタンに関わりを持つようになったのが、
パキスタンの山に登る登山隊に同行したこと、
途中の村々で診療を行ってはいたが、
限られた薬品だけではどうすることもできなかったこと、
歓迎されるたびにかえって心が痛んだこと、
その件(くだり)は、僕も経験があるので、非常にわかります。
ただ、すごいのは、
再びパキスタンに来る機会をつかみ、
そこでパキスタンやアフガンから来る難民達に、
相手のプライドを尊重し、現地の文化、慣習に則り、
大勢の人たちを巻き込んで、医療活動、さらには
現地の地域社会を立て直していった、
その忍耐力、というより包容力、そして行動力です。

相手のプライドや文化を尊重する、言うのは簡単ですが、
このメータオクリニックに来て、実際に行うのがいかに難しいか、
よくわかりました。
自分のやり方のほうが明らかに効率が良くても、
それを押し付けてはいけない、
でも、放置して諦めてもいけない。
彼ら流のやり方で、効率を良くしていく必要がある。
中村先生の本を読んでいると、少し、自分の中で、
ここの医療について、諦めていた部分があったな、と気づきました。
そして、短期間で、人に受けそうな、
多くの成果を上げようとしていたことにも気づきました。
海外で働くにあたって、自分の名前、自分の業績を残そうとするのは、
一番避けなければならない、やってはいけないことです。

まだまだ、これから地道に長くかかわっていくことで、
いろんな可能性が見えてきそうな気がして、
自分で何をしたわけでもないのに、なんだか嬉しくなってきました。

無数に難民が押し寄せる中で、地道に医療活動を続け、
難民の出所の生活を立て直すことで、生活全体のレベルを上げて、
予防できる病気を予防する。
これは、今のメータオクリニックにもそのまま当てはまる課題です。
たいていの病気は、薬がなくても、
充分な食料ときれいな水があれば治ってしまうわけですから。

「古典」になりつつある本でしたが、
こんなに楽しめるとは、失礼ながら予想外でした。
また、これから、改めて仕事が楽しくなりそうです。

正真正銘「ゴミの山」

2011.02.21.00:05

メソットには、多くのビルマ難民が住んでいます。
「難民」・・・業界用語では、難民というのは、
正式に政府や国際機関に認定された人のことであって、
認定されていない人のことは「移民」と呼んだり「避難民」と呼んだりしますが、
日本語にすると、「移民」より「難民」のほうが悪い環境に住んでそうですが、
実際には、難民は難民キャンプにいて、食料も住むところも確保されて、
まるで多くの人たちから見ると天国のような暮らしをしているにもかかわらず、
「移民」と呼ばれる人たちは、住むところも仕事も食料もなく、
最底辺の暮らしを続けています。
ということで、自分としては、身分にかかわらず、「難民」と呼ぶことにしています。

で、多くの難民たちは、住むところも仕事もないので、
一部の難民たちは、ゴミ捨て場に住んで、
まだ使えそうな、お金になりそうなゴミを拾っては町に売りに歩いています。

先日、そんなゴミ捨て場を案内してもらえる機会があったので、
仕事の昼休みを利用して、ちょっと行ってきました。

今は乾季なので、一年のうちで一番環境が良いそうですが、
それでも、ゴミの臭いが鼻をつき、無数のハエが飛び回っています。

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池もゴミだらけで、すっかり汚染されています。
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風が吹くと、ゴミが舞い上がって飛び散ります。
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これはゴミ漁り用のカゴ

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この一家は、数年前にビルマを脱出した後、ここに住んでいるそうです。
お父さん、お母さんと子どもが4人。
お父さんと一番上のお姉ちゃんが二人で使えるごみを拾って町まで売りに行き、
一日の稼ぎが50~80バーツほど。日本円で200~300円程度です。
ちなみに、本来なら一番上のお姉ちゃんは学校に行く年齢ですが、
稼がないといけないので、それができません。
2番目のお兄ちゃんと3番目のお姉ちゃんが、移民向けの学校に通ってるそうです。
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3番目のお姉ちゃんは、いつも笑顔で一番下の子どもをあやしてました。

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意外なほどに悲壮感も疲労感も感じられない、
生きる意志と意欲に溢れた一家でした。

カレン族の村・続編

2011.02.17.22:22

今回は、秘境に暮らす(なんて本人たちは思ってないでしょうが)
カレン族の村人たちの生活をご紹介します。

村の朝は、4時半~5時ぐらいから始まります。
女性たちが、臼を使ってお米を精米したり、唐辛子をつぶしたり、
「トン・・・・トン・・・・・」
という音が、やさしく響きます。

でも、実は、
ニワトリが鳴いたり、牛や犬が鳴いたり、
赤ちゃんが夜泣きしたり、と
夜通しいろんな鳴き声が響いているんですが。

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各家で、一斉にかまどの火をおこすので、
村は炊煙で煙たくなります。

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キッチンの屋根から煙がいっぱい上がってるのが分りますか?
家の中は、当然めっちゃ煙たくなります。

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分りにくいですが、煙が充満している「キッチン」です。

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これが精米用の臼。これでお米をトントンと叩いて精米します。
いい感じの、「三分づき」ぐらいのお米が出来上がります。

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標高が1000m近くあるので、朝はけっこう冷えますが、
家は風通しがいいというかスカスカな造りなので、そとで焚き火をしてあったまってます。

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これが、一回の食事。
山盛りのご飯と、野菜(というかその辺りに生えてそうな草?)の煮物。そして唐辛子。
私たちは特別な「お客様」なので、煮物中に、川で捕ってきてくれた小さなエビが入ってます。
冷蔵庫も何もないので、
一度食材が手に入ったら、全部食べるまで、同じ食材を朝昼晩と食べます。
つまり、しばらくはずっとほとんど同じメニュー。
果物のように見えるのは、ジャックフルーツという食べ物。かすかに甘酸っぱい。
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これは、同じく特別メニューの、魚の干物入りかぼちゃの煮物。若干カレー風。
めっちゃうまい!!

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女性の仕事の一つ、機織り。
基本的には、自分の家で使うものだそうです。

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子どもの仕事:妹や弟の世話。

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男たちは、村人総出で、ある一家の家を建ててました。
常に、お互い助け合って、共同で家を建てたり改築したりするそうです。
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この若い人が、村長さん。一仕事終えて一服。

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村によって、宗教が決まってます。タイ~ビルマにかけては、19世紀から、
キリスト教の宣教師(もちろん政治工作員でもありますが)が布教活動に来ていたので、
村によっては、キリスト教の教会もあります。
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教会に来ていた子どもたち。
奥におられるのが神父様です。

もちろん、仏教の村もあるし、
シャーマン(祈祷師)による伝統的な精霊崇拝の村もあります。

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一応、医者っぽく働いているところ。

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お母さんに薬の飲ませ方を教えているところです。

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検診に来た子どもたち全員集合!!

秘境・カレン族の住む村々

2011.02.16.00:29

先週末、カレン族の村々に連れて行ってくださったのは、
カレン族出身のローシャンさんです。

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村は、標高500~1000mの山々にあります。

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そして、周囲との接触を避けて、ひっそりと暮らしています。
そう、道なき道、という訳ではないですが、とっても道が悪い。

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砂にはまるとスリップしてしまい、足で地面を蹴りながら坂を登ってるところ。

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狭いオンボロ橋を渡ってすぐの急な坂を登り切れずに、押して登ってるところ。
狭い道で、しかも谷底に向かって道が傾斜しているので、落っこちそう・・・

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今は水が少ない乾季ですが、それでもいくつも川を渡りました。
苔がツルツルすべったり、石がグラグラしたり落とし穴があったりと
川を渡るのはドキドキです。
見た目は絵になるんですけど。

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こんな道でも立派な道。

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今回の一番の難所。急坂をダッシュしながら、
アクセル全開のバイクを押して上がろうとして、上がれずに滑り落ちてるところ。

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でもたまには気持ちのいい景色を楽しめるときもあります。

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川原でタイ風ちまきを食べてる、同僚のクリス。

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このつり橋は、ちょっとでも真ん中から外れると、橋げたが傾くという、
テレビゲームみたいな橋でした。
バイクの教習所で、「一本橋」という課程があって、
こんなところ走る訳ないやろ、って思ってましたが、まさにそんな所を走るとは。

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仕事帰りのカレン族の人たち。

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あたりには、「棚田」が広がってます。

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村に入ると、そこは巨大な養豚場+牛の放牧場、
そして犬や猫や鶏が縦横無尽に駆け回ってました。

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もちろん、子どもたちも。

まずは、この辺で、いったん終了。
今度は、村人たちの生活、そして一応医者っぽいこともやったので、
その写真を載せますね。

タイのカレン族の村

2011.02.14.00:01

金曜日から、2泊3日で、タイのカレン族の村に行く機会がありました。
カレン族というのは、ビルマの”少数民族”として知られていますが、
彼らは、ビルマだけではなく、タイにももともと住んでいました。
自分たちとは関係のない人々が、勝手にタイとビルマの国境を決めたので、
ビルマ政府からみても、タイ政府から見ても、
”辺境に住む少数民族”という扱いを受けています。

メータオクリニックの小児科外来で働くカナダ人の同僚クリスの住む
アパートの管理人が、タイに住むカレン族の人で、ローシャンというのですが、
もともと観光ガイドをやっていて、
さらに、定期的にカレン族の村々をまわって、医療活動を行っていて、
今回はそれについていったわけです。

医療活動といっても、定期的にビタミンAや寄生虫剤(いわゆる虫下し)を出して、
少しでもみんなの基本的な健康状態をあげておこう、というのと、
肺炎や下痢、皮膚の感染症など、簡単な治療のみだけですが、
一番の目的は、「みんなの顔を見て回sる」ことです。

昔からタイに住むカレン族というのは、
難民としてビルマから逃げてきたカレン族同様、
複雑な立場にいます。
もともとタイ政府とは関係なく住んでいたので、
ほとんどの人は、タイ政府の住民登録、つまり戸籍がありません。
基本的に、自給自足の生活をしていて、
現金収入は、木を切って売るか、家畜を売るか、ぐらい
多くの家では、電気もなく、もちろんテレビもラジオもないので、
今日が何月何日か、住民たちは知らなかったりします。
自分の村で生まれ、育ち、働いて、結婚し、家庭を持ち、年をとって死んでいく、
ほとんどの人が、一生村から出ることがないそうです。
一応、タイの王室や警察が建てた学校があり、
そこに通うことができるのですが、
卒業しても、卒業証書はもらえません。

彼らの住む村は、標高1000メートル近くの山々の中の、
とんでもなく辺鄙なところにあるので、
ふもとまで歩いていくには、数日かかります。
トラックやバイクに便乗してふもとまで行ったとしても、
戸籍がないため公立病院では診療を受けることができません。
タイ語が分からないので言葉も通じません。
44ある村の中で1か所だけ診療所がありますが、
たいていの村からは、歩いて1泊2日、あるいは2泊3日もかかり、
診療所についても看護婦が一人いるだけ、しかも、
看護婦がふもとの病院から来るのは、トラックが走れる乾季だけです。
6月から11月まではお休み。
それどころか、戸籍=身分証明書がないので、
警察に見つかると、罰金を要求されたり(つまりは小遣い稼ぎ)
ひどい場合には、カレン族=ビルマ難民としてビルマに追い出そうとします。
だから、むやみに出歩くわけにもいきません。

そんな境遇の彼らのために、
観光ガイドのローシャンさんは、数か月ごとに村々をバイクで回っています。

簡単に、「バイクで回る」と書きましたが、これが、想像を絶する道。
基本的には車が走れる幅がありますが、
20度から25度ぐらいの傾斜はざら、もちろん舗装はされてなく、
砂利道だったり、フカフカの砂だったり。
村によっては、完全にあぜ道しかないところもあって、
人が一人通れる幅しかなくて、しかも30度近い傾斜の、砂や泥の道を、
汗だくになりながら
アクセル全開のバイクを押してかけ登ったりします。
そして、下りになると、まさに絶叫。
全力でブレーキをかけてもスピードが殺せないこともしばしば、
アクセルやブレーキ操作の度に後輪が滑ります。
嫌らしいことに、たいてい、急勾配の直後に深い砂の急カーブがあって、
道から外れると深い谷底までまっさかさまです。
昔、スキー場で、上級者向け下山コースを
泣きそうになりながら滑り降りた記憶がだぶります。

実は、こちらで見かけるバイク(スクーター)は、
ほとんどがセミ・オートマといって、
ギアを自分で変えるけど、クラッチ操作はいらない、
(日本では郵便屋さんや新聞屋さんやお蕎麦屋さんが使ってるカブがそうです)
というやつなんですが、
全身泥まみれになりながら、山道を駆け巡って、
セミオートマの必要性がよく分りました。
日本で走ってる無段階変速のスクーターでは、
この坂を登ったり降りたりはできないだろう。。。

もちろん、こんな急傾斜の砂や赤土の道、
雨期になると一面泥になります。
当然、車は登れなくなるので、
村人たちが命がけでバイクで移動して、
家畜を売ったり必要物資を買ったり、
病人を運んだりしているそうです。

だから、医療活動は、「治す」が目的ではなくて
「予防する」「なるべく普段の生活を健康にする」
がメインになるんですね。

今日は、帰ったばっかりでへとへとなので、
また明日以降、写真の準備ができたら
(走るのに必死だったのであまり撮れなかったけど)
また紹介していきます。

ヒヤヒヤ「誤診」

2011.02.10.00:10

先日、3ヶ月の赤ちゃんを連れたお母さんがうちのクリニックを受診してきました。
どうやら、数日前から咳をし始め、だんだん元気がなくなり・・・

と、ここまでは、よくある話なのですが、

「泣き声が出なくなった」

えっ!?

人間が息をする時に空気が通る道(気道)の中で、
一番狭くなってるのが、声を出す声帯があるあたりです。
このあたりが炎症を起こして腫れてしまうと、あっという間に息ができなくなって、
最悪亡くなってしまうこともあります。
日本だったら、慎重に、気管挿管といって、呼吸をするチューブを口から気管まで入れて
窒息しないようにするのですが、ここでは何もできません。

熱がそれほど高くない割に、呼吸が苦しそうで、顔色も悪くて、
これはホンマにヤバイ・・・

ということで、大慌てで小児科病棟まで連れて行って、とりあえず入院させたのですが、

病棟のスタッフは、「ビタミンB1の欠乏症じゃないの?」と平然としてます。

とりあえず、人間の体の構造の説明から始めて、
ここがこうなって、狭くなってるから、治療を急がなきゃ・・・
とスタッフを説得して、
もちろん気管挿管はできませんが、薬でできるだけ、喉の腫れを取るように
治療を始めました。

さらに、
お母さんに話を聞いてもらうと、生まれつき顔色が悪い、だなんて言い出して、
「ひょっとしたら心臓の病気か?」
ということで、心電図を取ったら、確かに異常な心電図。
生まれつきの心臓の病気よりは、のどの腫れのほうが、命に直結する病気なので、
まずはそれを落ち着かせて、
それからじっくり心臓を検査するか・・・
と、その日は久々にヒヤヒヤ、バタバタしながら一日が過ぎました。
ビタミンB1が足りなくなると、確かに心臓も悪くなることもあるので、
とりあえず、同時に使ってみたのですが・・・

次の日には、本人はけろっとして、おっぱいを飲んでます。

マジで!?

いくらなんでも、のどの腫れがとれたにしては、良くなるのが早すぎる。
そして、顔色も良くなり、呼吸も落ち着き、心電図の異常まで元に戻ってます。

いや~、重症のビタミンB1欠乏症、昔は脚気と言いましたが、
3歳や6歳の子供や、普通に仕事をしている大人で、突然心臓があまり動かなくなって、
もちろん本人も家族も、そんなことは分らないから、
ただ単に「体調が悪い」とだけ訴えてくる、
心臓の音をよく聞いてみると、明らかに心臓の調子が悪そう、
心電図や超音波で調べてみると心臓の働きが落ちている。
ということは、ここのクリニックにいると結構あります。
そして、心臓の音に雑音がない場合は、多くが、脚気だったりします。
(心臓の音に雑音がある場合は、貧血とリウマチ熱という病気が多いのですが)
でも、3ヶ月の赤ちゃんでも、脚気になるとは、
聞いてはいたけど、実際に見るのは初めてでした。
そして、声がでなくなる、だなんて、知らなかった!!

患者さんが一つ、あるいはそれ以上の症状を持っているとき
医者は、いきなり「診断は○○です!!」だなんてあまり考えません。
いや、口先で断言することはあっても、
常に、必ず、いくつかの候補を頭に思い浮かべて、
頻度が高い病気と、重症になるかもしれない病気から順番に考えていきます。
そういう意味で、いくつか思い浮かべた病気のうち、
心配した病気より軽いほうに外れたら、
「良かった良かった」ということに(医者は)なるんですが、
(患者さんから見ると、振り回された、とかなり腹が立つでしょうが)
まさに、そんな体験でした。

どこの職場にいても、毎日勉強できることには事欠きませんが、
なかなか日本では体験できない、ひやっとした一日でした。

会議に初参加

2011.02.09.00:42

これまで、メータオ・クリニックに来て5か月、
目の前の患者さんをみんなで治す、ということばかりやっていて、
会議というものには全く出席していなかったのですが、
先日、初めて会議に参加しました。

クリニックの中の一室でやった会議ですが、
主催は、クリニックのスタッフではなくて、
子どもたちを都会の病院に搬送する、ということをやっている
「ビルマこども医療基金」の方々。
そして、この団体に搬送を依頼するのは、
メータオクリニックだけではなくて、
近辺の難民キャンプや集落で医療活動を行っている団体もいくつかあり、
その関係者の方も来ていました。

新しく登録された患者さんが何人で、
治療が終わったりして登録を外れた患者さんが何人で、
今月は何人搬送して・・・

なんて言う話は、大事なんですが、
徹夜明けの夕方に数字ばかり聞くと、やっぱり眠くなりますね・・・

自分がべらべら話すのは大好きですが、
人の話を黙って聞くのはかなり苦手。
会議でも学会でも、手をあげて質問するのは大好きですが、
初参加の会議で、バックグラウンドが良くわからない内容も多く、
質問しようにもできないし・・

けど、
「二分脊椎という病気の患者さんがほかの国や地域より多い気がするけど、
原因を調べたほうがいいんじゃないか?」
「赤ちゃんを搬送するだけではなくて、
赤ちゃんが生まれる前に、お母さんを搬送するのはどうなんだ?」
「○○という病気の手術をしても障碍が残ってしまうことが多いから、
この病気の子供に対する援助はやめて他のことに回したほうがいいんじゃないか?」
といった、興味深い話題から倫理的な問題、そして深刻な現実的テーマまで
話題は尽きませんでした。

参加者は、欧米人数人とアジア人(ビルマ人、タイ人、そして僕)が5~6人で、
あまり激しい議論もなく、対立もなく、
お菓子を食べながら、アジア人の必殺技「結論は先送り」で、
会議は予定時間をちょっとすぎたぐらいで終了。
そう、みんなで情報を共有しておいて、
会議の議題や結論は、会議が始まる前に作っておくもの?なのでしょう。

知らない人と会って話をしたり何かをするのが苦手なので、
基本的に引きこもりの毎日ですが、
やはり、人と会って話をすれば、話をしただけ、世界が拡がります。

事件は会議室で起きているのではなく、病気は病院でおきているのではありません。
保健・医療の9割は病院の外、いわゆる「患者さんの家」や「地域・集落」の問題です。
あまり急いでいろんな人と会ってると、自分がパンクしちゃうので、
少しずつ、人とのつながりを拡げていこうと思います。

先人達の歩みにならう

2011.02.05.23:56

今日は、ビルマ人の医者で、
長年このメータオクリニックに関わっている先生と
晩御飯を一緒に食べてきました。

この先生は、88年のビルマの民主化運動の際に、
仕事を失い、友人を頼って外国に移り住み、
そこで医者をしつつ、保健分野で研究をしつつ、
ビルマの民主化運動をサポートしつつ、と
多忙な生活を送っているそうです。
その多忙な生活の中で、
毎年、1か月だけ、メータオクリニックにやってきて、
スタッフの教育を主にされてるそうです。

今のうちのクリニックの、特に新生児領域は、
記録システムやガイドラインなど、
この先生が長年かけて残してきた財産に負うところが大きくて、
それだけで、尊敬してしまいます。

そう、その先生のおかげで、
正直言って、スタッフはそれなりに高い技術と知識を持っているので、
知識そのものを教えるような「講義」はあまりしなくてもよくて、
僕が教えられるとしたら、その知識の「使い方」ぐらい。

つくづく思うのは、
やっぱり、ある程度の期間、一つのことに携わらないといけないな~、っていうこと。
出たり入ったりではあるけど、4、5か月ここのクリニックにいて、
ようやく、何がどうなっているのかが、少しずつつかめてきた気がします。
それが分ってからでないと、ここの医療をどうしていくのか、
スタッフと突っ込んだ話ができません。
でも、まだまだ、突っ込んだ話ができるだけの信頼関係ができてない気がする。
そういう意味で、10年以上、ここのクリニックに関わって、
それなりに結果を残している、この先生が、とってもうらやましく思えます。

10年といっても、毎日毎日の積み重ねでしかありません。
毎日毎日、少しでも、ここのスタッフたちの考え、思いに関われるように、
していきたいです。

近況報告

2011.02.05.01:31

週3回のレクチャーを始めて、2週間がたちました。

結構、疲れますね~

準備に時間がかかるから、毎晩遅くなるし、
1時間、みんなの反応を伺いながらしゃべり続けてるし、
こちらに来て、すっかりぐうたらな生活が身についた僕には、
けっこうこたえます。
それに、
最近朝8時から新生児の回診があって、
それに出るために早起き(といってもしれてますが)せなあかんので、
毎日仕事から帰ったら、まずは2~3時間の昼寝(笑)

追い討ちをかけるように、
ここしばらく、旧正月でお休みの人が多いからか、
よる11時をすぎないと、ネットがあまりつながらないから、
調べものとか、メールとか、なかなか終わりません。
みなさん仕事がお休みなら昼間のうちにネットを使ってください、と
言って回りたい気分です。

ちょっと元気がないなあ・・・

で、気がついたのが、
ちょっと、病棟の患者さんに掛けるエネルギーが減ってるな・・・
ということ。
エネルギーが減るも何も、ただ今小児科病棟は開店休業状態ですが、
内科病棟には、気になる患者さんがいっぱい。
今、内科の先生がビザの申請のためにメソットを離れてるので、
難しい病気の患者さんの治療方針とか、
スタッフと相談したいことが山盛りです。
でも、内科のスタッフに声をかけようと思っても、
自分の講義の準備のためになかなか時間があわなかったりして、
ちょっと二の次にしてしまってる。

ここ数日元気がないのは、
単に寝不足のためだと思ってたけど、
やっぱり、僕には、患者さんからもらうエネルギーが必要なのかもしれません。

だからといって、病棟にいっぱい入院患者さんを連れてきたい訳ではないですけどね。

患者さんが少ないのは、本来なら、歓迎すべきこと。
(実際には、ビルマの内戦の戦闘がここ1~2か月の間激化しているせいで、
みんな病院に来たくても来れないだけなんですが。)

患者さんからエネルギーをもらうには、
自分のエネルギーを分けてあげないといけないので、
しばらくは、産科病棟の赤ちゃんだけではなくて、
内科病棟の大人の方々にも、エネルギーを分けれるように、がんばってきます。

もう一回お正月気分

2011.02.04.03:12

すっかり冬があけたような日々が続いてますが、
こちら、タイでは、旧正月のお祝いがありました。

華僑、つまり中国系の人たちは、旧正月が本当のお正月なので、
このタイミングで本気でお祝いをします。

ここ数日、メソットでは、爆竹やら花火やら、
静かな好中を狙って、騒音が響き、
そして、主だったお店は、軒並みお休み。
だから、昼間は静かで夜になるとうるさくなる。

さすが、タイの経済を支配している中国人たち。
中国人とアメリカ人は派手なことが大好き(に僕には見えます)。

そういえば、日本は節分で豆まきでしたね。
すっかり忘れてしまってました。
豆まきと言えば、自分の年齢。
20代後半の時は、自分の年齢がすぐに出てこなくて
27歳なのか29歳なのかよく覚えてなかったけど、
30代になると、数えるのが簡単になったから
(片手でしか数えられないのか!?)
すぐに出てくるようになりました。

まあ、自分の年の話はどうでもいいんですが、
どこにいても、特に海外にいると、
日本で何気なく感じているはずの季節感を大切にして、
毎日を生活したいなあ、なんて思いますね。
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プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
facebookはこちら↓
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