新しい家族in大槌
2011.04.30.17:18
自分は、今回岩手県大槌町に、一か月ちょっと滞在することができました。
一つには、自分が無職だからなのですが、
もう一つ、重要なポイントがあります。
それは、自分を受け入れてくれた方々がおられたからです。
大槌で、初めの1週間は、大きな避難所になっていた大槌高校に泊って
周辺の小さな避難所や在宅の被災者
(家には何とか住めるけど、ライフラインは全て止まっている状態)
を巡回して診療活動を行っていました。
その後は、別の避難所である、大槌町寺野体育館弓道場に泊まり込んで、
活動していました。
その避難所では、以前から大槌町で開業されていた、植田俊郎先生というお医者さんが、
被災者でありながら、ボランティアで診療を行っていて、
自分は、それの補助を行っていました。
”いちげんさん”にもかかわらず、いろいろと診察を任せて頂いただけでなく、
植田先生宛てに届いた、お見舞い品を、
これでもかというぐらい、山のように食べさせて頂きました。
植田先生は、
御自分も被災されて、普通に考えるとかなり大変な状況の中で
避難所内の被災者も、避難所にはいないけど以前からかかりつけだった患者さんも、
早朝から深夜まで、診察をされていました。
ただ、そんな状況にもかかわらず、
常に余裕が感じられるんですよね。
だから、取材に詰めかけた記者の人たちには、
「僕は別にたいしたことやってないですよ」
「津波の被害はひどいし、町もすっかりなくなってしまったけど、
避難所の生活はそれほどつらくはないんですよ」
と繰り返しおっしゃってました。
先生は、以前から登山をされていて、
それも、日本のみならず、ヒマラヤ山系やパキスタンのカラコルムなどまで足を伸ばす、
かなり本格的な登山なんですが、
寒かろうが、水や電気がなかろうが、お風呂に入れなかろうが、
最低限の装備で、あるものを活用しながら生活する、ということを
苦もなくされてしまいます。
でも、それよりも、
状況を的確に把握して、やるべきことをやっている、
そしてやるべきことができている、
その認識が、「僕は別にたいしたこをやってないよ」
という言葉を生んでるんだと思います。
自分に対して、無理にテンションを上げたり、追い込んだりすると、
「俺はすごいこと、尊敬されるべきことをやっている」
「とても困難な問題に立ち向かっている」
「おれが一番正しいことを言っている/やっている」
という錯覚や妄想を生んでしまいます。
そうなると、心に余裕がなくなり、
「俺がこんなにがんばっているのに、どうして君たちは頑張らないんだ!?」
「もっと死力を尽くして、この被災地に身を捧げて」
「俺はこんなすごいことができるから、俺にこれをさせてほしい」
という考えになり、
被災者と救援者、あるいは救援者同士で
余計ないざこざを生み出してしまいます。
そして、残念ながら、被災地では
必ずというほど、このような争いが生じています。
正直なところ、災害の被災地で、
それほど専門的な知識が要求されるとは思いません。
それより、モノもヒトも限られた、野戦病院のような状況で
100%正確でなくても、必要最低限に、的確に、
診断し、治療し、何より患者さんに少しでも安心を届けられる、
その応用力だと思います。
それには、まず、余裕のある精神状態が必要不可欠です。
そして、植田先生の、医学と登山の、知識と経験に裏付けられた、
余裕のある心に、迎えて頂き、もてなしていただきました。
もてなしていただいたというより、
家族の一員に迎えて頂いたような感じでした。
(あくまで僕の勝手な感想です)
だから、大槌にいる間、
避難所におられた方々と自分との間に壁を感じずに、
過ごせたのだと思います。
植田先生に、改めて、感謝させて頂きます。

一つには、自分が無職だからなのですが、
もう一つ、重要なポイントがあります。
それは、自分を受け入れてくれた方々がおられたからです。
大槌で、初めの1週間は、大きな避難所になっていた大槌高校に泊って
周辺の小さな避難所や在宅の被災者
(家には何とか住めるけど、ライフラインは全て止まっている状態)
を巡回して診療活動を行っていました。
その後は、別の避難所である、大槌町寺野体育館弓道場に泊まり込んで、
活動していました。
その避難所では、以前から大槌町で開業されていた、植田俊郎先生というお医者さんが、
被災者でありながら、ボランティアで診療を行っていて、
自分は、それの補助を行っていました。
”いちげんさん”にもかかわらず、いろいろと診察を任せて頂いただけでなく、
植田先生宛てに届いた、お見舞い品を、
これでもかというぐらい、山のように食べさせて頂きました。
植田先生は、
御自分も被災されて、普通に考えるとかなり大変な状況の中で
避難所内の被災者も、避難所にはいないけど以前からかかりつけだった患者さんも、
早朝から深夜まで、診察をされていました。
ただ、そんな状況にもかかわらず、
常に余裕が感じられるんですよね。
だから、取材に詰めかけた記者の人たちには、
「僕は別にたいしたことやってないですよ」
「津波の被害はひどいし、町もすっかりなくなってしまったけど、
避難所の生活はそれほどつらくはないんですよ」
と繰り返しおっしゃってました。
先生は、以前から登山をされていて、
それも、日本のみならず、ヒマラヤ山系やパキスタンのカラコルムなどまで足を伸ばす、
かなり本格的な登山なんですが、
寒かろうが、水や電気がなかろうが、お風呂に入れなかろうが、
最低限の装備で、あるものを活用しながら生活する、ということを
苦もなくされてしまいます。
でも、それよりも、
状況を的確に把握して、やるべきことをやっている、
そしてやるべきことができている、
その認識が、「僕は別にたいしたこをやってないよ」
という言葉を生んでるんだと思います。
自分に対して、無理にテンションを上げたり、追い込んだりすると、
「俺はすごいこと、尊敬されるべきことをやっている」
「とても困難な問題に立ち向かっている」
「おれが一番正しいことを言っている/やっている」
という錯覚や妄想を生んでしまいます。
そうなると、心に余裕がなくなり、
「俺がこんなにがんばっているのに、どうして君たちは頑張らないんだ!?」
「もっと死力を尽くして、この被災地に身を捧げて」
「俺はこんなすごいことができるから、俺にこれをさせてほしい」
という考えになり、
被災者と救援者、あるいは救援者同士で
余計ないざこざを生み出してしまいます。
そして、残念ながら、被災地では
必ずというほど、このような争いが生じています。
正直なところ、災害の被災地で、
それほど専門的な知識が要求されるとは思いません。
それより、モノもヒトも限られた、野戦病院のような状況で
100%正確でなくても、必要最低限に、的確に、
診断し、治療し、何より患者さんに少しでも安心を届けられる、
その応用力だと思います。
それには、まず、余裕のある精神状態が必要不可欠です。
そして、植田先生の、医学と登山の、知識と経験に裏付けられた、
余裕のある心に、迎えて頂き、もてなしていただきました。
もてなしていただいたというより、
家族の一員に迎えて頂いたような感じでした。
(あくまで僕の勝手な感想です)
だから、大槌にいる間、
避難所におられた方々と自分との間に壁を感じずに、
過ごせたのだと思います。
植田先生に、改めて、感謝させて頂きます。

スポンサーサイト