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ただいま日本

2011.07.26.22:34

バンコクで、5日間のマッサージスクールの研修を無事に終了し、
先週土曜日に、日本に帰国しました。

日本に帰ってきて、意外と涼しい毎日にびっくり。
なんだか、色彩といい、気候といい、タイと比べて迫力がない。
経済が右肩上がりのタイ、メソットと、
不透明感ばかりの日本では、しょうがないのかな。

でも、今回は、珍しく、嫁が成田まで迎えに来てくれました。
荷物が、50kgぐらいあって、とても持って帰るのが大変だから・・・
と言って、なんとか朝早くにもかかわらずお願いしたら来てくれたのですが、
二日酔いと寝不足のためグロッキーで、一番軽い荷物を一つお願いするのがやっと。
でも、来てくれただけでもありがたいものです。

実は、明日というか、日付変わって今日から、
再度釜石と大槌に行きます。
その準備もあり、たまった事務仕事(税金やら年金やら)もあり、
引っ越しの準備も始めて、
なんだか、毎日バタバタで、
いまひとつ現実感がないというか、
自分がどこで何をしているのか、何をしようとしているのか
自分自身が一番分かっていないような気がしますが、
そんな中でも、嫁と息子は一緒に生活してくれて、
それだけが、現実世界とのつながりのような感じです。
やっぱり、PCの画面ではなく、
生の人間と心を通わすことは、頭も心も、受ける刺激が違いますね。

さて、釜石・大槌に行くのは、
一つは、9月から働く予定の病院の担当者の方とお会いして、
就職「内定」を「決定」に変えること。
そして、もう一つは、
7/30に、大槌町の、読み聞かせの会をされていたお寺で、
読み聞かせ&大人も子供もみんなで楽しもう会が催されるので、
それに参加することです。
この会、一応「読み聞かせ」もするのですが、
それ以外にも、工作や絵、大人たちも楽しめるバーベキュー、
そして、夜はお寺という地の利を活かした(?)肝試しと、
なんでもアリな会のようで、とっても楽しみ。
大槌町では、復興を支えてくださった自衛隊が撤収し、
仮設住宅もほぼ建設が終わったらしく、
復興は新たなステージに入ったようです。
なので、ぜひともみなさんの様子も見てみたいですね。

しばらく、バタバタが続くので、
たまに、とりとめのない文章が突然出てくるような、
そんなブログになってしまいそうですが、
とりあえず、ご報告しなければいけないことは、ご報告いたします。
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呼吸を感じる、心を合わせるマッサージ

2011.07.21.20:08

今週は、バンコクでタイ古式マッサージを勉強しています。

バンコクにある、ワット・ポーというお寺の中に、
タイのマッサージの総本山となるタイ伝統医学校があり、
そこで、外国人もマッサージを勉強できるようになっています。
そのワットポー・マッサージスクールには、
日本人街に日本人向けの分校があり、そこに毎日通っています。

授業はいたってシンプル。
一通り手順が記載された、簡単なテキストがあって、
それにそって、先生がお手本を見せてくれて、
あとは生徒同士でお互いに練習台となりながらひたすらマッサージの練習をします。
基本コースは、毎日6時間の授業を5日間受け、明日の最終日に実技試験があって、
受かれば、はれて修了証をゲットです。

で、授業ですが、
先生のすごく気持ちいマッサージを受けながら、
それに心酔することなく、「ここで相手の太ももをこうやって押さえて、次には背中を押さえて・・・」
と必死にメモをとります。
お互いに練習する段になると、あーでもない、こーでもない、と
時々相手を痛い目に合わせながら、試行錯誤の繰り返しです。
(午前も午後も、マッサージを受けながら睡魔に負けてしまう生徒が続出してますが)

4日目の今日になって、ようやく手順をだいたい覚えて、
(基本マッサージコースを一通りすると、全部で時間弱かかるのですが、
その手順を全て丸暗記するので、結構大変)
少しマッサージしながら、マッサージを受けている相手のことを考える
余裕が出てくるようになりました。

お互いにいろいろ練習して気づいたのは、
マッサージって、相手の心の動きに合わせるのが非常に重要なんですね。
相手が落ち着いているときに、速いペースでマッサージを進めると、
すごく適当にあしらわれている気がするし、
自分の心のペースよりゆっくりされると、少しイライラする。
どちらかというと、相手をリラックスさせなければならないので、
相手が焦ってそうな時は、相手のペースより少しだけゆっくりにしてあげるのが、理想かな~なんて思います。

相手のペースって、どうやったら分かるんや?って思いますが、
一つは、相手の呼吸するスピードが重要じゃないか、って勝手に思ってます。
もちろん、脈がとれたら一番ですが、マッサージ中に脈なんてみないから、
一番感じやすいのは、呼吸でしょう。
相手が息を吸ったり吐いたりするスピードに合わせて、
体の中のラインに沿って指圧をしていきます。
そうやって、相手が気持ちよさそうにしていると、自分もものすごく気持ちが良い。
不思議な一体感が生まれます。

とはいえ、2時間近くも集中力を維持して、同じペースで指圧を続けることは
今の僕にはとても無理。
すぐに精神的にも身体的にも疲れてきて、
あるいは、手順を忘れて焦ってしまって、
自分の呼吸が速くなり、思わずマッサージのペースも上がってしまいます。
そうなると、相手は、とても落ち着いてリラックスした雰囲気にはなれません。

自分の呼吸をコントロールする、そして相手の呼吸を感じる。
剣道でも、弓道でも、他のスポーツでもマージャンでも、
それはとっても重要なこと。
もちろん医療でも非常に重要です。
思わぬところで、大事なことを思い出させてもらいました。

いよいよ明日の夜に日本に向けてタイを出国しますが、
しばらくはうちの嫁さん相手に練習させてもらおうっと。。

最後の日

2011.07.18.20:38

昨日は、メータオクリニック最後の日でした。

朝、いつもどおり、まずは新生児の回診。
日曜日は、ベテランスタッフが一人しか来ないので、
往々にして状態の悪い赤ちゃんや、
悪くはなくてもまだまだ生まれたばかりで不安定な赤ちゃんが、
文字通り「放置プレイ」になってることが多く、
必ず回診に行くようにしています。

案の定、生まれたばかりの未熟児の赤ちゃんが、
低血糖のままほったらかし・・・
低血糖があるかないかを調べるために血糖値を測ったんだから、
低血糖があるって分ったら、それを治すようにしないと・・・
と配属されたばかりの新人スタッフに言ってもしょうがないので、
まずは、上のスタッフを探して、彼女がやってる処置が落ち着くのを待って、お願いします。
「この赤ちゃんよろしくね。。。」

でも、今週末は大勢の赤ちゃんが生まれて、
みんな忙しくて大変だって分ってたみたいで、
なかなか病棟に顔を見せない婦長さんや、実質的なリーダーや、
いろんな人に会うことができました。
「今まで1年間ありがとう。一緒に働けて楽しかったよ。」
といろいろ挨拶をしたかったのですが、
みんな忙しいので、ゆっくり挨拶どころではなかったけど、
とりあえず、もう会えないと思ってた人達に思わぬ形で会えて、
一言二言でも挨拶も出来て、
病棟の仕事を忙しくした、大勢の赤ちゃんたちにありがとうと言いたい気持ちでした。

次は、小児科病棟。
小児科病棟も、昨日はなぜか大忙し。
日曜日は、外来が閉まっているので、
病棟のスタッフが、救急外来の代わりになって、病院にきた患者さんの診察もして、
普段の仕事である、病棟の患者さんの治療もして、
と、いつも以上に忙しいんです。
そんな中、「ぜひ最後に僕の講義を聞きたい」と、
病棟スタッフがレクチャーの時間を作ってくれました。
しかも、外来の婦長さんもぜひ話を聞きたいと言ってくれたのです。

そこまで言われて、うれしくてうれしくて、
「もう今でも充分やってるから、大丈夫だよ」と言いたかったけど、
それでは皆の期待には応えられないので、
「小児の救急」というテーマで、
急な治療を要するシチュエーションを取りあげて、話をしました。
わざわざ日曜日に、夜勤の人たちや外来の人たちが来てくれて、
しかも、いろんなお土産もいっぱいくれて。
ほんまに人を泣かすのがうまいなあ。。

いつもはだいたい30分でみんなが疲れてくるから、
長くても1時間以内で講義を終えていたけど、
今回は、みんなやる気まんまん(僕のあげたお菓子が効いたかも?)で、
1時間半にわたって、話をしたり、質問したり、質問されたり、
熱い講義を行うことができました。
この熱意があれば、時間はかかっても、
必ず知識も技術もよくなっていくだろうし、
みんなの知識が増えれば、
いろんな器材も欲しくなるだろうし、
そうしたら、あげれるものは送ってあげるよ!!

この1年間、現地のスタッフにも、
日本のいろんな方にも、
たくさんお世話になりました。
本当に感謝しております。
頂いた分と比べると、
僕ができたことは、ほんのちょっとでした。
今ここで、こうした海外での医療協力の活動を辞めてしまうと、
ほんのちょっとの成果でおしまいですが、
今までにできあがった、このほんのちょっとの成果を、
引き継いで、大きくして、
皆様にも、現地のスタッフにも
お返ししたいと思いますし、しなければいけないとも思っています。
とりあえず、いったんはメータオクリニックでの活動を終えて、
日本に帰ります。
9月から、岩手県で働く予定にしていて、今は手続きを進めているところです。
メータオクリニックでの現状の報告や改善すべき点など、
今データを分析してレポートにしようとしているところで、
ある程度まとまった段階で、一度皆様にもお知らせしようと思います。
なので、一応このブログも続けていこうと思いますし、
9月からは、岩手での日々の報告になるかもしれません。
「何をやりたいのか、何をやっているのかよく分らん」
というご意見もあるかもしれませんが、
僕にとっては、毎日の生活が全てであり、
現在、今この瞬間をどう生きるかで、未来は変わってくると思っています。
だから、「こう生きるべき」というレールは僕にはありません。
それがいいか悪いかは別にして、
一瞬一瞬の積み重ねでしか、未来を描けない。
だから、自分の中にある、こうありたい未来、に向けて、
毎日の生活を考えていくつもりです。
そして、そんな毎日をブログに書いていくつもりです。

改めまして、これまで、ご支援・応援・ご指導、本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

最後の晩餐

2011.07.17.08:42

昨日は、メソット最後の夜。
といっても、実際にメソットを発つのは今夜の夜行バスなので、
今晩もメソットでご飯を食べるのですが、
落ち着いて「最後の晩餐」になるのは、
やっぱり昨日の夜が最後です。

というわけで、いつもは予算もカロリーもなるべく抑えてご飯を食べてましたが、
昨日はちょっと豪勢に、リッチに御飯を食べました。

何を食べたかというと・・・
メソットに一軒だけある、日本料理屋!!
そう、いくらまずくても、おかしな雰囲気でも、
海外、特に途上国にある日本料理屋さんというのは、
貧乏旅行で放浪するバックパッカーにとってあこがれの的。
何となく怖いもの見たさというのもあるし、好奇心を惹かれます。
実は、以前、
当時一緒にメータオクリニックで働いていた日本人の内科の先生と一緒に
ドキドキしながら食べに行って、
「意外といける!」という感じでした。

で、どうしても、もう一度だけ、食べてみたい!ということで、
改めて、昨日行ったんです。

お店の名前は、「シカゴハウス」
ん??なネーミング・・・(笑)

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入口には、なぜかミシュランガイドが飾ってあって、
「シカゴ」というお店が紹介されていますが、
このお店とは関係なさそうな気が・・・?

店中はこんな感じになってます。

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謎の着物が飾ってあるステージは、夜遅くになると、
大音量のカラオケ大会の会場と化します・・・

まずはじめに頼んだのは、やっぱりお寿司。
握り(並)で160バーツ=500円
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安物のスーパーのお寿司か回転寿司レベルのお寿司ですが、
怪しげな味ではありません。
お漬物の代わりになぜかキムチ(笑)
味噌汁は、かなりまともな味噌汁です。

そして、次は、天ぷら盛り合わせと月見うどん。
天ぷらは、なぜか「エビ天盛り合わせ」になってしまったけど、
これで120バーツ=400円ぐらい。
これは、かなりおいしくて日本で食べるよりお得です。
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うどんは、のびのびでしたが・・・ちゃんと”うどん”を使ってるところがエライ!
実は、海外の日本料理屋さんで、一番悲惨なのが麺類です。
というのも、たいてい、日本料理屋さんをやってるのが、日本人ではないので、
うどんやそばといっても、スパゲティだったりラーメンだったり、
つまり、本物の日本の麺料理を知らないんですね。
なので、一応合格。これで60バーツ=200円。

締めに、カツ丼。
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このボリュームで100バーツ=350円。
これもかなりマトモな味で、おいしかった。
これで350円はお得。

ということで、ありえない組み合わせの料理をオーダーしましたが、
とりあえず、全部完食。ごちそうさまでした。

バンコクに行けば、
日本人に囲まれて、日本と同じ雰囲気で、
日本で食べるのと同じおいしさで、
でも、同じ値段で、
日本料理を食べることができます。
でも、それじゃあ、ぜんぜんつまんない。
やっぱり、ふつうじゃありえない場所で、
あり得ない物を食べて、
それでこその海外生活です。

地元のタイ人も結構このお店に来ているので、
しばらくは潰れずに営業してると思います。
メソットに来られた時は、ぜひおすすめ!
そして、今度僕が来る時まで、残っててほしいですね~

お別れ昼食会

2011.07.16.21:56

小児科外来の婦長さん、メーソーといいますが、
時々お昼を御馳走してくれます。

たいがいは、メーソーが、同居している親類に頼んで、
ご飯を準備してもらい、
みんなでご馳走に行く、という形なんですが、
今日は、「私が準備するから、今日の午前中は仕事に行けないのでよろしく」
と言い残して、買い物~料理まで頑張って作ってくれました。

彼女の家は、以前に洪水の被害の話のところでちょろっと紹介しましたが、
病院の敷地内にあって、
歩いて数分でたどり着きます。
今日は、めずらしく午前中の外来が忙しかったのですが、
一区切りついた後、みんなでお昼を食べに行きました。

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この人が、小児科外来のリーダー、メーソーです。

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今日の料理は、ビルマの麺料理、モヒンガー。
お米でできた、そうめんみたいに細い麺に、
魚でダシをとったスープをかけて食べます。

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こういうとき、ビルマの人たちは、ビルマ人であれカレンジンであれ、
いい意味で、遠慮をしません。
会場に着くなり、食べていいよ、の言葉もなしに、
ひたすら自分の分をがっつきます。
で、おなかいっぱい食べ終わったら、帰っていきます。

「今日は、ビルマ風ではなくカレン風にしてみたの。おいしいでしょ?」
と言われて、普段食べてるビルマ風とカレン風の違いはよく分らなかったけど、
とにかく、やさしい色のスープからは、やさしい味と香りが伝わってきました。

いつも何かと目をかけてくれて、
何度もおいしいご飯をごちそうになり、
外来では、患者さんのことが半分、プライベートのことが半分、
いろいろよくしゃべりました。
そんな彼女とも、明日でお別れです。
一年間、お世話になりました。
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満月の日

2011.07.15.17:31

今日は、満月です。

なぜ、自信を持って言えるかというと、旧暦8月の満月の日は、
仏教にちなんだタイの大事な休日なのです。
タイだけでなく、ビルマでも休日になります。

なので、メータオクリニックは明いてはいますが、
やってくる患者さんの数はとっても少なくて、
お寺にお参りに行くために、スタッフも勝手に帰っていきます。

そんな感じで、外来はとってものんびり穏やかなんですが、

産科病棟だけは違います。

そう、満月の日は、日本でもタイでも、赤ちゃんがいっぱい生まれる。
病棟の入口には、「出産したお母さんと生まれた赤ちゃん」の表があるのですが、
20人分の枠がある表が、あっという間にいっぱいになりました。
双子の赤ちゃんも、立て続けに2組も生まれた!
(しかも、うち1組は早産で赤ちゃんがよりちっちゃい!!)

いっぱい赤ちゃんが生まれると、
当然、確率的に、具合の悪い赤ちゃんの数も増えます。
なので、病棟では、朝から、
数が限られている酸素ボンベを、どの赤ちゃんに使うか、
保育器をどの赤ちゃんに使うか、
際どい選択を迫られていました。

海外からきた学生たちが、
「この赤ちゃん(体重1300グラム弱)を保育器から出すなんて信じられない」
「なんでこの赤ちゃんに酸素を使わないの??」
と突っ込んでくるけど、ないもんはない。しょうがいない。
重症すぎて手が出せない赤ちゃんは諦めることもありますが、
頑張れそうな赤ちゃんの場合は、基本的に重症な赤ちゃんに優先的に器材を割り振ります。

必死になって、産婦さんと赤ちゃんの対応を続けているスタッフでしたが、
そんな中、大きな事件が起きてしまいました。

赤ちゃんを産んで1時間ぐらいしたお母さんが、突然、
「呼吸が苦しい、胸が痛い」と言ったきり、倒れてしまったのです。
僕のところに連絡が来たのは、それから1時間たった後。
スタッフたちが、立ってるだけで汗ばむほど室温が高い分娩室の中で、
汗を振り絞って、
心肺蘇生法(いわゆる人工呼吸や心臓マッサージ)を1時間以上頑張った後でした。
僕も心肺蘇生に加わりましたが、
結局、お母さんの意識が戻ることはなく、心臓が動きだすこともありませんでした。
原因は分りませんが、羊水塞栓症といって、
お母さんの血管の中に赤ちゃんの羊水の成分が混じってしまうものか、
あるいは、心臓や肺の血管がつまってしまったか、
その中のどれかでしょう。

日本で、お産の後にお母さんが亡くなってしまう率は、
お産10万件当たり、5~6件。
それが、このクリニックでは、1000件に1件当たり、
10万件当たりだと100件ぐらい、になってしまいます。
ちなみに、ビルマの奥地では、
10~16%、10万件当たりだと1万~1万6千、
つまり6~10回のお産に1回、お母さんが亡くなってしまうという
恐ろしい数字になっています。
6人以上の子どもを持つお母さんはビルマでは珍しくはありませんが、
計算上は、6回お産をすると、お母さんは亡くなってしまうのです。

お母さんのお母さんと姉妹、
赤ちゃんから見るとおばあちゃんとおばさんになりますが、
彼女たちに説明をして、自分の命と引き換えに赤ちゃんを産んだお母さんの、
治療を終えました。

幸い、赤ちゃんのほうは、今のところ全く無事なので、
お母さんの家族に、赤ちゃんのこれからを託すしかありません。
本来ならば、ありがたい休日であるはずのこの日、
赤ちゃんがこれを乗り越えて、無事に育っていくことを祈るしかありません。

手作りマラソン大会

2011.07.14.20:29

今月3日に、本当なら、タイ北部のメーサリアンという町で
マラソン大会に出場する予定でした。

で、直接それとは関係ないのですが、
去年の年末ごろ、
マラソン大会に向けてもくもく走ってる、と
当時同僚だったカナダ人の看護師のクリスに話したところ、
「じゃあ時々一緒に走ろう」
ということになり、月に何度か、一緒にメソットの郊外を走ってました。

単なるジョギングだけでなく、景色の美しいところ、
空気のきれいなところ
そういうところを探しに行こう、という目的もありました。
(メソットの街中は車も人も埃も多くて、あまり落ち着きません。)

で、そのクリスが2月一杯でメータオクリニックを辞める、ということで、
クリスと同じアパートにいたデンマーク人の臨床心理士夫妻が、
「みんなでハーフマラソンを走ろう!!」と提案。
単なる思い付きかと思いきや、なんとグーグルマップを使って
きっちり正確に21キロ強を測って、地図を渡してくれました。
(ちなみに、当時、メソットに、
捨てられた子どもを拾って育ててるんだけど、どうみても子どもが栄養失調になっている、
だから、きちんと医学、栄養学的に介入しなきゃいけないんだけど
外部からの介入を一切拒んでいる、
素人目には精神疾患患者にみえる、某ヨーロッパ人の50代の女性がいて、
子どもたちや女性をどうすべきかについて、彼と一緒に仕事をしていました。
タイの国籍がない、ビルマ人の捨て子をタイで拾って来て、子どもを虐待しても、
それを犯罪とするのはとっても難しいのです)

参加者は、僕とクリス、デンマーク人の臨床心理士(夫だけ)
そして、デンマーク人の知り合いのアメリカ人が二人。
デンマーク人の嫁さんと、アメリカ人の医学生が、
バイクで伴走してくれることになりました。

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まだ走る前の、元気な時に記念写真。
左から、僕、デンマーク人のキャスパー、カナダ人のクリス、アメリカ人二人。
僕が一番中年体型だ・・・

まだ当時は乾季の真っただ中だったんですが、
珍しく薄曇りの空の元、暑さを避けるため夕方5時にスタート。
とっても美しい夕焼け色の、メソット郊外の田んぼや畑の中を、
感動しつつもひたすら必死に走って走って・・・

ゴールした時は、とうに日が沈んで、郊外の田んぼの中の道だから、当然街灯もなく、
かなりまっくらなゴールインとなりました。

で、すぐさまビールをぐびぐび。
みんなのゴールを待ち切れなかった伴走バイクの二人は、
すでに途中でビールを何本も空けてました。。。おいおい。。。
残念ながら「疲れた」ぐらいしか英語を知らない僕は、
あまりみんなの会話に参加できなかったけど、
まあ、いい思い出になりました。

ちなみに、クリスはこの翌日、メソットを離れたのですが、
僕もメソット残り3日。
こんな懐かしい記憶を思い出しながら、今日も一人でメソットの町外れを走ってます。
さすがに一人で20キロは走れないけど、
何度も走った道をいくつか選びながら、メソットの大地の感触を楽しみました。

最後の授業

2011.07.13.23:46

今週でメータオクリニックでの仕事も終わりということで、
これまで自分が働いていた各部署で、
最後の授業をさせてもらうことになりました。
昨日は小児科外来で、「喘息の治療と吸入治療のやり方」
今日は、産科病棟で、「新生児の救急蘇生法」
本当は、明日、小児科病棟で「緊急を要する症状」の授業をやる予定でしたが、
病棟のスタッフが、急遽別の授業を
今日から4日間連続で受けなければならなくなったらしく、
「それなら大変やろうから中止しようか」と言ったけど、
今週の日曜日に、僕がメソットを出る直前にやることになりました。

実は、産科病棟のリーダー、日本で言うなら婦長さんにあたる人は、
新生児の救急蘇生法に関してはかなり詳しくて、
だから、病棟のスタッフも、中堅以上のスタッフは、
みんな結構上手に蘇生の手技を行うことができます。

だから、別にあえて僕が講義をする必要はなかったのですが、
みんな馴染みのあるタイトルのほうが、
みんな来てくれるかな?
話を聞いてくれるかな・・・?
なんて期待して、蘇生に関する講義を始めました。

で、蘇生そのものに関するポイントは、
すでにみんなが知っていることがほとんどなので、
あまり言う必要もなかったのですが、
何てったって、一番大事なポイントは、
「いかに緊急事態を避けることができるか」
この一点に尽きます。

野球や、あるいはサッカーのキーパーについて、
「本当にうまい選手は、ファインプレーが少ない。
予め計算したり予測して、一つ一つの動作を地味に、確実にこなす」
と言います。
医療に関しても全く同じで、
初めから命が危ないような状態で病院に来た患者さんの場合は違いますが、
入院している患者さんに関しては、
いかに、今後一番起きやすい変化、一番起きては困ること、
そういったことを予測して、対処できているか、
その準備によって、治療成績が全く変わってきます。

先日、各病棟での患者さんの治療記録を調べている、と書きましたが、
新生児に関して言えば、
出生持の体重が1キロ未満の赤ちゃんは、この半年で、2/3が亡くなりました。
出生時の体重が1.4キロあると、ようやく半分が無事に退院までこぎつけています。
また、頻度はそれほど多くはありませんが、
成熟児でも、生後数日以内に亡くなっている例がありました。

もちろん、メータオクリニックにある医療器具は限られていて、
しかも、きちんと保守・点検もされてない。
でも、いくらいろんな器材がそろっていても、
それを使いこなせる知識と技術がないと、何にも意味がないし、
今手元にある器材だけでも、もうちょっと、赤ちゃんの命を助けることができるはず。
それは、とても地味な作業で、
こまめに赤ちゃんを観察して、何か異常があればすぐに対処する。
たったこれだけのことです。

おそらく、日本で未熟児・新生児の医療に携わっている人が
メータオクリニックに来ると、目を丸くして驚くはずです。
「こんなに器材も何もないところで、決して清潔とは言えない環境で、
きちんと教育を受けたわけでもないスタッフしかいない中で、
それでもこんなに赤ちゃんが生き延びているとは!!」

正直言うと、今、赤ちゃんが生き延びているのは、
半分はスタッフによる懸命の治療、半分は赤ちゃん自身の生命力
この賜物です。
今でも結構頑張っている人に、
もっと頑張れ、というのは、言うのは簡単でも、
大丈夫かな?逆ギレしないかな?と少し心配ですが、
それでも、自分たちで勉強して、もっと進歩していこうと
高いモチベーションを保って頑張っている姿を見ると、
どうしても、もうひと頑張り、お願いしたくなります。

今後、メータオクリニックの新生児医療がどうなっていくのか、
僕には分りません。
一番心配なのは、
これまで少しずつ進化してきた過去を全く知らない人が突然やってきて、
ダメな点ばかり指摘して、改善させようと無理強いして
みんながやる気をなくしたり疲れてしまったりすることです。

いろいろ講義でみんなに質問したり話をしていると、
思ったより時間をとってしまって、
最後に、”みんなよく頑張ってるよ~!!”という時間があまりなくなってしまいました。
一番言いたかったことが言えなくて、ちょっと残念でしたが、
最後の挨拶は、最後の日にとっておくことにします。

宝の山・第二弾

2011.07.12.08:03

以前、昨年末だったか今年のお正月明けぐらいに、
「宝の山」という記事を書きました。
海外から寄付された医療器具というか廃棄物というか
使い物にならない山のような「寄贈物」のなかから、
使える物資をこまごまとよりわけたのですが、

今度の「宝の山」は全く別の話です。

この病院には、途上国の病院には珍しくカルテというものがあって、
きちんと保管されて、過去の治療記録が分るし、
どこに住んでる誰それがいつ病院に来た、という記録も残ります。
(繰り返しますが、タイは途上国ではありません。
タイの病院は日本の病院並、あるいはそれ以上にきれいで設備もしっかりしてます)

なので、一日の患者数が何人で、どんな病気の人が多くて・・・
ということも、分ります。
しかも、データはパソコンに入っているので、
いろんな情報がすぐに取り出せます。

・・・というのは建前で、
実際は、なかなか情報が取り出せない。
こういったデータは、
病院の運営を考えるときも、この地域の病気の広がりを考えるときも、
ものすごく重要で貴重なデータなんですが、
そのことをなかなかスタッフに理解してもらえないので、
下手な英語でいくら説得しても、なかなかデータをもらえない・・・
もちろん、データの重要性をわからないまま記録を残したりするので、
どうしてもデータの脱落がおきてしまいます。

ならば、ということで、
パソコンにインプットする前の、紙の台帳をホコリまみれの棚から引っ張り出して、
データの収集をすることにしました。
6月半ばから初めて、ようやく先週に一段落。
この作業のため、毎日残業+睡眠不足になりながらデータの分析をしてました。

でも、やっぱり、データは大切です。

患者さんが実際に何人来てたのか、
どのような病気の人が来てたのか、
「印象」と実際の「記録」には、やっぱり差があります。
また、赤ちゃんがどのような原因で亡くなってしまったのか、
どうすれば防げるのか、
データにすると、方向性がみんなに伝わります。

こういう、機械的なデータの収集と分析、「疫学」といいます。
こういう常日頃からのデータがないと、
たとえば、毎月のはしかの患者数が分かっていないと、
「いつもよりはしかの患者が多い」
とは言えないですし、
普段患者さんがどこから来ているかが分からないと、
「隣の町からの患者さんが急増した」
とも言えない訳です。

というわけで、
残り一週間の間に、
なるべくデータの分析をすすめて、レポートにして、
皆に情報を配って、
今後どのような点を改善していくべきか、
みんなに今後の課題として考えてもらえたら。。。

というわけで、ラストスパートはかなりハードになりそうですが、
もともと数字を眺めたりいじったりするのが好きなので
(医者じゃなくて株や資源の投資でもやればもっと儲かったかもしれない)
意外と楽しいんですよね。
一か月以上寝不足だけど、このままラストスパートがんばっちゃおう!!

残り一週間

2011.07.10.14:30

いよいよ、メソットでの滞在も残り一週間です。

本当は、「残り一か月」の段階で、この記事を書こうとしたんだけど、
ちょっと寂しくて、書くのを先延ばしにしてました。

緊張してメソットに来たのが、
つい最近のような、
でも、遠い過去のような、
昔の記憶がオレンジ色に輝いて頭の中で再生されます。

朝、病棟を回診して、10時前には仕事が終わり、
病院のすぐ近くにあるバスターミナルで、
来週日曜日の、帰りのバスの切符を買いました。

この一年の間に、何度もメソットとバンコクを往復したけど、
もうそれも最後だな~。

日本に帰って、9月から、津波で被害に遭った地域にある病院でしばらく働くことにしました。

当面、慣れない大人の内科や救急をメインにやることになり、
それまでにあれこれ勉強しなくては、と思っていたのですが、
いろんな感情が邪魔して、全然勉強はすすみませんね。

でも、2週間前までは、「津波の被害のため、やむなくメソットから撤退」
という気分が強かったのですが、
最近は、少しずつ、前を向いて、将来を楽しみにできるようになりました。
まずは、家族で一緒に暮らしたいなあ。

余裕が出てくれば、あとは、残りのタイでの生活を楽しむだけです。
好きだったお店でご飯を食べたり、
日本では買えない物を買ったり、
少しでも、メソットでやり残したことがないようにしないと。

実は、来週一週間は、バンコクに滞在する予定です。
バンコクで何をするのか・・・?というと、「マッサージの勉強(笑)」
バンコクにあるマッサージの学校に一週間行って、
基本知識と技術を勉強する、予定です。
ほんまに一週間でできんのか??
とも思いますが、とりあえず楽しみ。

泣いても笑っても、あと一週間です。

遙かなるインパール・後編:タイ日友好記念館

2011.07.06.00:46

翌朝、メーサリアンでひたすら自分の世界に浸った後、
メーサリアンからバスで2時間半の距離のクアンユムという小さな町にある、
「タイ日友好記念館」に行ってきました。

第二次大戦中、当時中立国だったタイに日本軍が押し寄せ、
国を占領し、
タイの人たちにひどいことをした、というのが
一般的な理解ではないでしょうか。
映画「戦場にかける橋」の舞台、カンチャナブリというところも、
タイの西部に位置します。

でも、僕の勝手な推測ですが、
大半の兵士は、タイの人たちに、悪いことをするわけでもなく、
タイの人たちも、とりあえず初めのうちだけでも、
温かく迎えてくれたのではないか、
そういう気がしていたのですが、
それを伝える建物が、クアンユムにある、
「タイ日友好記念館」です。

DSC05643.jpg

その前に立つ大きな看板には、
DSC05647.jpg
「第二次大戦は、多くの人にとって残酷な?記憶である。
(誰かbluetalの意味分かる方おられますか?)
しかし、私のようなタイ人にとて、戦争が友情をもたらし、
タイ人と日本の兵士に強いきずなをつくってくれた。
私はそれを忘れはしない・・・」
とあります。

記念館自体は、現在改装工事中なのですが、
裏手に行くと、日本軍が放棄した車両の残骸のほかに、
慰霊碑が建ってありました。
DSC05654.jpg
これはトラックの運転席?

DSC05663.jpg
これは軽戦車の残骸??よく分りません。違ったらすみません。

DSC05652.jpg
まるでラピュタの遺跡にある巨神兵の残骸・・・ほどの迫力はありませんが、
ラピュタ以上に、生々しく心にぶつかってきます。

そして、慰霊碑。
DSC05673.jpg

慰霊碑自体は、日本人が建てたものでしょうが、
日本人に、慰霊碑を建てる場所を提供するのみならず、
毎日、地元の人が掃除をしてくださっているそうです。
残虐な侵略軍、などというものは微塵も感じられません。

当時の日本軍の兵士が、何を考えていたのか、
私には分りませんが、
軍命に従うだけではなく、
アジアを解放し、共存共栄を夢見たものも、少なからずいたのではないでしょうか?
そんな兵士なら、現地の人に対し、
きちんとした態度で接し、なるべく苦楽を共にする、
おそらくそのようにふるまっただろうし、
そうでないと、まがりなりにも「友好」だなんて、
現地の人が思わないと思うのです。

日本軍が起こした戦争が良かったと言いたいわけではなくて、
軍の上層部は、現地の人たちとの触れたいなど一切考えていないだろし、
軍も政府も、基本的には自分たちの利益の追求が第一にあったと思いますが、
ただ、そのような「上層部」や「上司」の下で働きながらも、
現地の人たちと仲良く生活する兵士がいた、
そのことが、僕には非常に大きなことに思えます。

そして、日本軍の子孫である自分が、今タイにいる。
今、自分にできること、そして、自分がすべきこと。
それは何だろうか?
自分の先祖に対して、
日本軍兵士を受け入れてくれたタイの人たちに対して、
恥ずかしくないことをやっているだろうか?
これは、中国であれタイであれビルマであれ、
アジアを旅行する度に常に自問してきたことです。
その答えは、日々変わっていくと思います。
だからこそ、これからも、毎日、この答えを追い求めねばなりません。

遙かなるインパール・前篇

2011.07.05.23:52

先週末、タイに来て初めて、ちょっとしたタイの国内旅行に行きました。
昨年9月にメソットに来て以来、近くの町までふらっと旅行に行く、なんて
そんな時間的余裕も精神的余裕もなかったんですが、
7月3日は、人生初のフルマラソンに挑戦!!
ということで、メソットから北に向って山道を6~7時間車で走ったところにある、
メーサリアンという町に向かいました。

実は、7月3日は、タイの総選挙と重なってしまい、
マラソンは、地元当局の圧力なのか、中止になってしまったのですが・・・

でも、タイとビルマの国境地帯にある、落ち着いた田舎町・・・というのを想像して、
ここ数週間、毎日病院で残業(といっても7時までには帰ってますけど)続きなので
一度リフレッシュしたい、という思いがあって
マラソン抜きで、メーサリアンに向かいました。
メーサリアン、って、音の響きもいいですよね。。
天気が良ければ、一人で勝手にマラソンしようか、と
一応スニーカーだけはリュックに入れて持っていきました。

メーサリアンは、想像通り、落ち着いた、静かな田舎町で、
想像以上に、観光客が少なく、もちろん、観光客向けの施設もなく
周囲は雨期の青青とした山に囲まれ、
どうどう、と音が伝わってくるような、力強い流れの川が町中に流れています。
4時前に、早めにこの川沿いのホテルにチェックインしました。
この川は、サルウィン川という大河の支流で、
ホテルのテラスから見える川の向こうの山を越えると、
そのサルウィン川が濁流となって水しぶきをあげているはず。
そんなことを想像しながら、時間がゆっくりすぎていきます。

DSC05639.jpg
これがそのサルウィン川の支流。写真で見ると、ただのちいさな川ですが、
かなりの勢いで流れており、間近で見るとけっこうな迫力です。

DSC05642.jpg
なかなかきれいなホテルのテラス。奮発して、一泊500バーツ=1800円弱と
普段僕が泊まる宿の2~3倍のお金を払いました。

僕がこの地域に惹かれる理由、
それは、一つは、落ち着いた時間が流れているからですが、
もう一つは、かつての第二次世界大戦で、多くの日本兵がこの地を通ったこと。
松本零士の短編集「戦場漫画シリーズ」でも、
幾度もこのタイ~ビルマが舞台となって出てきています。
その、かつての日本兵が歩いた道を歩き、吸った空気を吸い、眺めた景色を眺めたい。
そうして、今の、平和な、とても平和な日本を生きる日本人として、
自分を見つめなおしたい。
当時の兵士の思いを想像しつつ、
今も激しい戦闘が続く、サルウィン川の対岸のビルマ奥地で、
毎日戦闘に明け暮れる兵士の思いも想像してみる。
普段の仕事を離れ、タイとビルマの国境地帯でしかできない、
こんな時間の使い方は、とても贅沢だと思います。
学生の時以来、度々タイやビルマに足を運ぶのは、
何をするわけでもなく、ただこんな風に思いに耽りたいからに他なりません。

旅のお供に持って行った本は、
イギリスによるビルマの植民地政策から、日本軍の侵攻、
対日蜂起からビルマ独立、そして現在に至るまでの近代・現代ビルマ史を説く、
根本敬著「抵抗と協力のはざま」
そして、戦記文学の傑作、伊藤桂一著「遙かなインパール」

宿に入ってからは、
ひとしきり窓の外の川の流れを眺めた後、
ただひたすら、本を読みました。
読み終えると、テラスに出て、暗闇に響く川の流れの音を耳にしながら
再び心の中の、想像の世界に潜っていきました。

幸か不幸か、メーサリアンはひたすら雨が降り続き、
翌朝は、とてもマラソンを走ろうと思える状態ではなかったのですが、
雨のおかげで、静かな町がより静かになり、
川はより一層激しく流れ、
僕は、ひたすら自分の世界に浸ることができました。

次の日のことは、また別の文章として書きます。
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プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
facebookはこちら↓
Toru Yoneda

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