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次への一歩

2011.08.23.19:25

きちんとブログで発表するのが遅くなりましたが、
来月から、岩手県釜石市で、正式に働くことが決まりました。
本職は小児科ですが、大人の患者さんの診察もかなりやることになりそうで、
あわてて大量に教科書を買い込んでしまいました。
もちろん、ほとんど読めてはいないですけど。。。

で、今日は、東京のアパートにある荷物を、
引越し屋さんに渡す、という作業を行いました。
僕がいつも使っている引越し屋さんは、
トラックをチャーターするのではなく、
同じ方面の荷物を「相乗り」させて、いっしょに運ぶので、
安い値段で引越しができます。
その代わり、荷物をトラックに積む作業と降ろす作業が同時にはできず、
たいてい2週間ぐらい間が空きます(今回は1週間以内で運んでくれましたが)
来週初めに、釜石での宿舎に移るので、今日トラックに積み込みました。

かつては、独身なのに、ピアノやら服やら大量の本やら、4人家族分ぐらいの荷物を引き連れて
日本を西へ東へと引っ越していたのですが、
今回は、段ボール50箱と家具がちょびっと。
そして、荷物を預けた後も、きちんと住む場所と生活用品が確保されているので、
これほど楽ちんな引越しは初めてです。
もちろん、嫁さんも荷づくりを手伝ってくれました。

この東京のアパートは、6畳の和室と4畳半のフローリングの2部屋あるのですが、
4畳半の部屋のほうは、みんなの荷物で完全に物置状態、
だから、家族3人で6畳一間のワンルームでいつも暮らしていました。
これを機に大掃除を!!
と、年末からの課題をここではじめて達成することができて、
ようやく、ただいま六年生の僕の息子に、自分の部屋をプレゼントできそうです。
本当なら、年末に部屋を用意するはずが、
大掃除をする暇がなく、ちらかった状態のところに
僕の荷物をドカンと置いたため、立ち入ることすら困難な状態になってしまってました。。

これまで、みんな同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べて、同じ時間に寝る、
という生活でしたが、
息子に自分の部屋ができると、
夜中に勉強もパソコンもできる、という思いと、
みんなの暮らしがバラバラになりやしないか、という心配が
心の中で交錯します。

とはいえ、いずれにしても、
僕はまたしばらく釜石で単身赴任。
こんど会う時には、自分の部屋で自分一人の時間をすごすようになった、
ちょっと大人になった息子に会うことになるかもしれません。
ちょっと大人になったら、はたして僕(父親)と会ってくれるのか?
心配はつきませんね。

僕の仕事の、次への一歩。
そして、息子の成長の、次への一歩。
不安な気持ちと、楽しみな気持ち。
甘みと酸味、そしてちょびっと苦みが効いた、素敵なカクテルの出来上がりです。
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熱中症を防ぐ・続編

2011.08.19.08:53

先日、熱中症について、記事を書きました。

基本は、水分を摂ることと、汗をいっぱいかくこと。

たとえば、東南アジア諸国では、
唐辛子と砂糖と塩分をよく摂ります。
あんぱんやチョコレートも、ちょっと塩気が効いていたりする。
コーヒーは、いわゆるベトナムコーヒー、
コップの底に、これでもか、とタップリの練乳が入っていて、
そこに濃ゆいコーヒーを注ぎます。

唐辛子の入った料理を食べて、いっぱい汗をかいて、
汗をかいた後には、水分だけでなく、
塩分や糖分を同時に摂ると、水分の吸収が格段に良くなります。
日本でも、少し前までは、
麦茶にお塩を入れたり、砂糖を入れたりしてました。
緑茶を飲むときにも、お茶うけを同時に食べます(これはビルマでも同じ)
昔からの食生活、食習慣というのは、それなりに理屈に適ったものなのです。
エアコンは、自然の摂理を乱すものなので、
使うのは、あくまで補助的に使うのが理想的です。

で、こんなことを書いてから、ふと一番大切なことを書き忘れたことを思い出しました。

それは、「疲れたら休む」「暑いときは無理しない」

なんて素晴らしい(^^)

でも、サボってるとかじゃなく、これは本当に必要なことだと思います。

野生動物でも、犬でも猫でも、暑いときは日陰でダラダラ、ゴロゴロ。
熱帯の国々でも、暑いときは、大人たちはダラダラゴロゴロしてます。
スペイン、イタリアなどの国でも、スペイン語でいうシエスタ、
つまりは長い昼休みがあって、午後の暑い時間は働きません。

生理的にも眠くなる時間帯、そして暑い、
そんな時に、100%のパフォーマンスを発揮することは不可能です。
そういうときには、自分のためにも、お客さんや周囲の人のためにも、休んだほうが効率的です。

残念ながら、日本では、あまりそのような習慣は定着していません。
そして、暑い時間帯でも100%の能力で働けるように、エアコンが完備されています。
でも、暑くて、あるいは疲れてしまって、体がついてこないのであれば、
素直にエアコンつけて、涼しいところで体と頭を休める、
ついでにお菓子をつまんでお茶にする、
それぐらいの精神的な余裕が、ほしいですね。

熱中症を防ぐ、昔からの知恵

2011.08.17.23:34

暑い日が続いています。
病院で働いていると、多くのお母さん方から、
「熱中症ではないでしょうか?」
「熱中症にならないように、○○をしてます」
という声が聞かれます。

でも、よく考えてみると、ほんの数年前まで、
熱中症という言葉なんて、滅多に聞くものではありませんでした。
なぜ、こんなにみなさんが「熱中症」を心配するようになったのでしょうか?

一番の理由は、「熱中症」という言葉が
すっかり市民権を得て、日本中に広まったことだと思います。
去年あたりから、何かにつけて、やれ熱中症だ、それ熱中症だ、と
何でもかんでも熱中症という言葉で表現するようになった印象があります。
そして、決まって、テレビなんかで、「専門家」の先生が出てきて、
水分補給をしましょう、だとか、エアコンをつけましょう、だとか
当たり前のようなことをしゃべるようになりました。

でも、他にもいくつか理由があると思うんです。

家の中でも、エアコンをつけてないと熱中症になる、と
多くの人たちが言うようになりました。
確かに、家の中で、熱中症になってしまうケースも多々みられました。
でも、なんで??

兼好法師によると、日本の家は、
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪え難きことなり」
とあるように、風通しのよい、暑くなりにくい建物のはずでした。
それが、いつのころからか、
窓を開け、扇風機やうちわなどを使わず、
エアコンによる空調が前提で家を作るようになり、
そんな家で、「電気代が払えないから」なんてエアコンを切ったりすると、
室内は本当に蒸し風呂状態になってしまうんですね。

そして、日本でも、東南アジアでも、
夏を涼しく過ごす秘訣として、
「汗をかく」というものがありました。
汗をかくというのは、人間が本来持っている、体温調節機構です。
だから、至極当たり前の方法なんですが、
昔から、多くの国で、
暑い季節には、少しでも汗をかけるように、
風通しをよくしたり、うちわであおいだり、
熱いお茶を飲んだり、辛い物を食べたり、
方法は国や地域によって異なりますが、
とにかく、みんな汗をがんばってかいたものでした。
部活でも、夏場に動けるようにするためには、
まず体が充分汗をかけるように準備運動をしてました。

それが、今の日本では、汗をかくことが、カッコ悪いこととされて、
男女問わず、汗をかかないように努力しています。
そして、汗をかく代わりに、何をしているかというと、
ひたすら体を冷やして、エアコンを使っています。
ある時、ラジオを聞いていたら、
リスナーからの投稿で、
「熱中症を避けるために、ひたすら冷たい物を食べて、冷たい物を飲んでます」
なんていう人がいて本当にびっくりしました。
昔なら、「冷やしすぎは良くない」って、皆が知ってる常識だったのに。。。
だから、ちょっと、エアコンが使えなくなったり、
暑い日差しの中を歩いたりすると、
体が全く対応できなくなってしまうんでしょう。

これは、あくまで僕の仮説ですが、
熱中症対策には、極力エアコンを控えて、
毎日、汗をかいて、
体を慣らしていくことが大事だと思います。
冷たいものばかり飲んだり食べたりせず、
熱いものや辛い物も、ちょくちょく食べたほうがいい気がします。
もちろん、我慢できなくなれば、エアコンは必要ですが、
いつもいつもエアコンの中で生活していると、
どんどん、体の自律神経というところが持っている体温調節機能が衰えていってしまいそうです。

こんなことをマスコミに言っても、ウケは悪そうですが、
基本は、自分の体の持っている機能を最大限使って環境に対応する、
ということが大事なんだと思いますが、いかがでしょうか?

「祈りの長崎」

2011.08.15.22:03

今日は終戦記念日です。
松本零士の戦場漫画を愛読してきた僕にとって、
昔から、8月のNHKスペシャルは、涙なしには観ることが出来ません。

そのこととは直接関係ありませんが、
先週、九州に帰って、お世話になった多くの方々にご挨拶をした後、
嫁と息子を連れて、長崎に行ってきました。
原爆とは何ぞやを知らない息子に、原爆のことを少しでも伝えたかったのです。

去年、mixiのブログでも書きましたが、
元・北九州市民である僕にとって、長崎の原爆は、他人事ではありません。
それは、本来、長崎に落ちた原爆は、
北九州(正確には、小倉)に落ちるはずの原爆だったからです。
1945年8月9日、アメリカの爆撃機は、小倉に原爆を落とす計画だったのですが、
当日小倉上空に雲が多く
(前日に隣の戸畑や八幡を爆撃して、その影響で雲や煙が多かった、とも言われています。)
やむなく第二候補だった長崎に原爆を落としたのでした。
だから、多くの北九州市民は、
自分達の「身代わり」に長崎の人たちが犠牲になったと考えていて、
僕が小学生だった時分は、
夏になると何度も何度も原爆に関する授業を受けて、
いろんな映画や本やテレビを観て育ちました。

戦後の「ヒバクシャ」達の活動は、
「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と単純に分けてしまう人がいるぐらい、
広島と長崎で、若干行動が異なるような気がします。
原爆ドームというシンボルが残り、
積極的に国際社会で自分たちの受けた苦しみを訴え、平和を訴えたヒロシマの人たち。
それに対し、
浦上天主堂という、かつて東洋一の教会だった建物の崩れ落ちた壁を、
原爆のモニュメントにしようとしたところ、アメリカの圧力で撤去されてしまい、
「モノ」で他者に訴える、アピールすることで、平和を達成しようという形でなく、
「祈り」で被災者の苦しみを取り除き、祈る心を伝えていくことで、
世界の平和を達成しようという、ナガサキの人たち。
だからなのか、長崎には、原爆ドームのような建物が残されていない代わりに、
平和祈念像が立っています。

息子は、意外にも、
気持ち悪いとも怖いとも言わず、
人生で初めて見る原爆の資料を、何時間もかけて、
食い入るように見つめていました。
息子が何を感じ、何を考えるかは息子の自由ですが、
戦争となったらどのようなことが起きるのか、よく考えて、
その上で、自分の信念に従って生きてくれたら、と思います。

今回の震災で、原発事故が起き、
多くの人から、「政府の対応が悪い」という声を聞きます。
そして、過去の戦争に関しても、
「政府が悪い」「軍が悪い」と
他人の責任問題にしておしまい、と考えている人が非常に多いのが実情です。
確かに、政府の対応に多くの不手際はあったかもしれません。
(僕には、政府の行ったことが良かったとも悪かったとも判断できるだけの、
情報も知識もありませんが)

今回の原発事故が起きたのは、
過去何十年にわたって、自民党時代の政府が推し進めてきた原発政策そのものに問題があり、
そして、日本の国民は、原発政策を黙認してきた、
そのことに尽きると思います。
全ての原因を今の政府のせいにすることは簡単ですが、
だったらどうすればよいのか、どうすれば良かったのか、
ちゃんと対案を出して反論出来ている人はあまりいません。
そして、
原発や放射線のことに関して、どれだけの人がきちんと勉強したのか?
原発政策、それにまつわるカネの問題に関して、どれだけきちんと情報を集めたのか??
原発のコストが安いだなんていうけど、
廃棄物の処理費用を含めると、天文学的なコストが必要になって、
そのお金がないから、危険な放射線廃棄物が、日本の国土の上をゴロゴロしていることに、
どれだけの国民が気付いているのか???

僕が言いたいのは、
「いつの時代も政府が悪い」
と他人の責任にして、自分の責任を放置してしまうと、
政府が、気付かぬうちに、平和も安全も放置したまま、
戦争を進めたり、原発を建てたり、
そうなると、結局、自分の愛する家族も故郷も守ることができないのです。
戦争や事故が起きてから、今の政府が悪いといっても、後の祭りです。
そして、恐ろしいほどに、
第二次世界大戦当時の日本の政府・軍部と、
戦後から今に至るまでの日本政府の、
責任のなさ、場当たり的な対応、というのがよく似ているのです。
このまま、今の原発問題を放置していると、
あるいは、単純に「今の総理大臣が悪い」と言う問題だけにすると、
必ず、同じような事故や、あるいは戦争が、また起きるでしょう。
ある意味、今は、日本人にとって、
政府に対し、政策に対し、自分で責任を持って行動する、絶好のチャンスです。

実際にどのような意見、考えを持って、
どのように行動するかは、それぞれの人の自由ですが、
何らかの行動をしていくのは、ある意味義務だと思います。

震災があり、津波があり、そして原発事故があり、
皆さんはあまり注目しませんが、
福島原発からは、今も大量の放射線が飛散しているはずです。
その年の、原爆記念日、そして終戦記念日。
日本の人たちが、自分の責任で、動く。
そのような未来になることが、僕の今年の「祈り」です

久しぶりの当直

2011.08.15.02:24

ただ今朝の4時。
今夜は、久しぶりに日本の,都内某所の病院で働いています。
9月から、岩手県釜石市の病院で働くことが決まったのですが、
それまで、たまには働いておかないと、生活費が足りません。
そして、たまには働いておかないと、いろんな知識や技術を忘れてしまいます。

やっぱり、タイで働くのと、日本で働くのでは、
どちらがすごいとか大変、というわけではなくて、
求められる知識や技術がけっこう違います。

できれば、それほど忙しくなく、
無事に、平和に勤務が終わってほしかったのですが・・・

今日はけいれんの患者さんが多い!!
夏の風邪は、夜に急に熱が上がることがとても多いので、
その時に、けいれんをしてしまう患者さんが少なからずいるのです。
何年たっても、けいれんの患者さんと不整脈の患者さんは緊張します。
けいれんでも、それほど重症でなければ、そのままおうちに帰って頂くのですが、
何か気になるところがあれば、念のため入院して頂いて、経過を診ることになります。
そして、さらに重症の場合は、もっと設備の整った病院に紹介しなければなりません。

僕はこれまで、長らく、地域の最終病院、つまり、
その地域で一番設備やスタッフが整っている病院で働いていたため、
患者さんを他の病院に緊急に紹介する、ということは、実はあまり慣れてはいません。
僕が時々当直で働きにくる病院は、
スタッフの人数も設備も、ギリギリで回しています。
夜中に外来で働くことができるスタッフは、僕を含め最大で3人。
その人数で、まだリハビリしきれてない頭と体を駆使して、
患者さんの全身状態を落ち着かせつつ、点滴をとりつつ、紹介状を書きつつ、
紹介を引き受けてくれる病院に電話をしつつ・・・
というのは、かなり大変。

そんな中、電話をかけて搬送をお願いした病院の先生から、
いきなり説教や講義が始まったり、
横柄な態度で応えられたり、
「たいしたことがない病気でもそういうこともありますよ~」と
根拠のない、楽観的な判断をされたりすると、
さすがにムカっときます。
確かに中にはありがたいアドバイスもあるのですが。
だって、こちらは、重症の患者さんの処置をいったん止めて、
電話でお願いしている最中で、一刻も早く電話を終えて処置を再開したいのに、
長々と訓示を垂れられると、正直困る。
でも、電話の相手の先生を怒らすわけにはいかないから、
だまって「はい、はい」と答える(受け流す)しかありません。

最近は、そういうムカムカを、だいぶ押し殺すことができるようになりました。
でも、良く考えると、昔は僕もかなりイヤな医者をやってたな~と思います。
電話をかけてきた先生に冷たく当たったり、
搬送してきた救急隊員を叱ったり、
「みんな最新の知識に基づいて患者さんに対応すべき」
を真正直に実践して、
それができないと判断したスタッフには容赦なく怒ったりしてました。

今は、救急隊員の力がないと、
他の病院に運ぶこともできないわけで、
改めて、自分一人だけでは医療はできないんだと、
しみじみ実感します。
そして、皆が急いで、テンションも上がっている現場では、
努めて、穏やかな対応をするほうが、
結果的にみんなの持っている能力、実力を発揮できるんだなあ、
と今更ながら分りました。

九州の病院で、バリバリ第一線で働いていた頃から2年以上が経って、
その時と比べると、
いろんな知識や技術は忘れていますが、
人間的には、成長できた気がします。
昔は、自分がエースで4番になって、
自分が直接患者さんを救いたい、と思ってましたが、
今では、みんなの力を合わせて、助けるようにできればいい、
選手と言うよりは監督に近い気持ちです。
もちろん、本当の監督になるには、知識も技術も
ちゃんと身につけてないといけませんが・・・

絵本読み聞かせサークル「このゆびとまれ」夏祭り

2011.08.12.09:14

昨日は、震災から5か月の記念日。
それを記念して、「light up Nippon」という花火大会がありました。
震災で大きな被害を受けた
岩手県宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、
宮城県気仙沼、多賀城、
福島県南相馬、いわき
で、一斉に花火を打ち上げる、という、
壮大なプランの花火大会でした。
残念ながら、僕は見ることはできませんでしたが、
東北のあちこちで、一斉に花火が打ち上がるという、
これまでにない花火大会、
遠い空の上から日本を眺めたら、さぞかしきれいだったことでしょう。
そう、今回の震災で亡くなった方にも、楽しんでもらえたに違いありません。

さて、話が前後するのですが、
先月の最後の土日、7月30日~31日と、
大槌町の絵本読み聞かせサークル「このゆびとまれ」が、
夏祭りをするというので、
僕の家族と、一緒に来てくださった方がた、総勢8人が、
この夏祭りに参加させてもらいました。
主催されたのは、読み聞かせサークルの方なのですが、
他にも合唱サークルの子どもたちや、遠く盛岡から劇団の方などが参加されて、
総勢40~50人程度の大規模な夏祭りとなりました。

DSC05904.jpg
まずは、合唱サークルのこどもたち。

次は、劇団の方が、大きな布と絵具を用意して、みんなで手と足で絵を描きました。
絵のテーマは、大きな樹の四季です。
DSC05929.jpg
これは春の樹

DSC05931.jpg
これは秋。

このあと、みんなでキャンドル作りをした後、晴れて「読み聞かせ」
DSC05987.jpg
実はこの方、プロの声優さんなんです。迫真の語りに、みんな釘付け!

このあとは、夏祭り恒例のバーベキュー。子供は食べて、大人は飲んで(^^)
ここはお寺の境内ですが、だれも気にはしません。。
DSC06003.jpg

DSC06004.jpg

DSC06007.jpg

DSC06009.jpg

DSC06021.jpg
もちろん、スイカ割りもやっちゃいました。

このあと、お寺の本堂で、「リアル怪談」があり、
劇団員の方々が、迫真の演技で、こわ~い話をしてくれました。
本当は、怪談の後、「リアル肝試し」があったのですが、
怪談だけでみんな充分怖くなったので、残念ながら中止に・・・・
でも、夜は大広間でみんなで雑魚寝だったんですが、
みんな元気にキャッキャキャッキャと騒いでました。

実は、今回の震災で、やむなく転校した子もいて、
そういった子どもたちにとっては、久々に小さい頃からの友達と会える機会となったみたいでした。
残念ながら、家の事情で来れなかった子供たちもたくさんいましたが、
来れる子どもたちだけでも、
みんなで楽しんで、一緒に時間を過ごすことができたのは、
とってもよかったと思います。

そして、一番肝心なことは、
今回のイベントが、地元の人が主催したイベントであること。
僕たちは、お客様みたいな感じで、
一緒に子どもたちと遊んでいるだけで、
地元の人が、継続的に、地域の子どもたちを見守っていく、
みんなで一緒に楽しんでいく、
これがとっても大事なことだと思います。
そして、この輪に加われたことは、とっても幸せなことでした。
これからも、定期的に、参加していきたいと思います。

夏草と赤ちょうちん

2011.08.06.09:56

お久しぶりです。
2週間前に帰国してから、岩手→群馬→北九州と移動を続けているため、
なかなか更新できずすみません。
気がつけば、8月6日、広島の原爆の日になってしまった。
とりあえず、原爆とは何の関係もないけど、
岩手に行ったことから、順番に記事を書いていきます。

7月の30~31日と、1か月半ぶりに大槌町に行ってきました。
絵本読み聞かせサークルの方たちによる、夏祭りイベントに参加するためだったのですが、
釜石から大槌まで、津波の被害の大きかった地域をバスの車窓から眺めると、
・・・前とほとんど変わっていない・・・
確かに、細かな部分を見ると、壊れた建物が撤去され、がれきもさらに撤去され、
片付けが進んではいるのですが、
「復興」「再興」の前に、津波で壊れた建物の「片付け」すら終わっていない。
全く何も片付けを手伝ってはいない自分が偉そうなことは言えませんが、
ちょっとがっかりしてしまいました。

そして、さらにショックだったのは、
建物が立っていた跡地、かつては町の繁華街だった土地に、
草が生していたこと。
以前は、建物の基礎部分だけが残っていて、
そこにかつての人々の営みの跡を感じることができたのですが、
今では、草に覆われてしまい、どこに家があったのか、
どこに集落があったのか、
判らなくなってきている。
海岸沿いに不自然に広がる「平地」の存在だけが、
辛うじて、かつてここに集落があったことを暗示していました。

DSC05971.jpg

DSC05973.jpg

以前は、おびただしいがれきやゴミとなった生活用品、壊れた家、残った基礎部分が、
そこに人々が住んで、働き、愛し合い、語り合ったことを生々しく伝えていました。
家を取り壊し、がれきを撤去しても、
建物の土台が残っていると、生活のにおいは感じることができました。
でも、そこに雑草が生い茂り、基礎も隠されてしまうと、
そのにおいが消えてしまったのです。

これでは、かつてこの家に住んでいた人たちの魂が、
どこに自分の家があったのか、見た目も、においでも、分からなくなってしまい、
迷子になってしまいそうな気がします。

ふと心に浮かんだのが、

「夏草や兵どもが夢の跡」

この句は、はるか昔の侍たちのことを思う時には、はかないイメージを感じますが、
つい数か月前の惨禍を思う時には、この上なく残酷な句に思えます。
これまで人々が流してきた汗も涙も、交わしてきた言葉も、
全てが過去の歴史として、封印されようとしているように感じます。
もし自然が神によって動いているものだとしたら、
巨大な地震と津波で町を襲わせ、その跡地に蓋をして、何もなかったことにしようとする、
なんと残酷な仕打ちだろうか。

今回は、大槌に行くたびにお世話になっている、地元の開業医の植田先生に、
北隣の山田町、宮古市まで連れて行って頂いたのですが、
残った建物を立て直して、復興が進む山田、宮古と比べ、
ほとんど再建が進んでいない大槌は、その復興の遅れが目立っているように見えます。
少しでも人々が集うよりどころがあると、そこを中心に町は再興していきますが、
今回のようにほぼ100%壊滅してしまうと、人間の体もそうですが、
それを元に戻していくのは、非常に困難で時間がかかるでしょう。

そんななか、広大な荒地と化した、大槌のかつての中心部で、
一軒の居酒屋が、屋台の形で、営業を再開していました。
DSC05965.jpg

DSC05968.jpg

DSC05967.jpg

DSC05969.jpg

この屋台の赤ちょうちんが、
灯台のように、
目印となって、
生き残った人も、なくなった人の魂も、
この地に集えるようになってほしいと願います。

長くなりますが、
北九州・山口地域の郷土の偉人、金子みすずの詩の中から、
一つの詩を引用させてもらいます。
「明るいほうへ」 金子みすず

明るいほうへ
明るいほうへ。

一つの葉でも
陽の洩る(もる)とこへ。

やぶかげの草は。

明るいほうへ
明るいほうへ。

翅はこげよと
灯のあるとこへ。

夜とぶ虫は。

明るいほうへ
明るいほうへ。

一分もひろく
日のさすほうへ。

都会(まち)に住む子らは。
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♥. ♠. ♣Alice
プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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Toru Yoneda

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