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雨の彼岸入り

2011.09.23.22:17

今日は、朝からいいお天気でした。
仕事は休みでしたが、気持ちが良かったので、
ご飯を作って食べてから、
布団を干したり、シーツを洗ったり、
家の掃除やたまった郵便物のチェックなど、
いろいろと済ませてしまいました。

9月に入って、台風が通るたびに、
ここ釜石も、どんどん気温が下がってきました。
9月の10日ごろまでは、最高気温が30度を超えるような日もありましたが、
今では、最高気温は20度ぐらい、最低気温は15度弱です。
そんな、ひんやりとした、でも、からっとした、秋の空気を最も楽しめる方法、
それは、外に出ての運動だと思います。
ということで、今日は、ジョギングをすることにしました。

当初は、家から山の方に向って走ろうと思ったのですが、
なんとなく、町中の方に向って走ることにしました。
釜石の町は、川に沿って伸びていて、僕の住んでいる官舎は
かなり山寄りにあります。
家から町の中心部の方に向かい、釜石駅を通り過ぎると、
そこからは、津波で壊滅した、釜石の中心部、
いや、「元」中心部になります。

ちょうど半年前、初めてこの釜石の風景を見て、
ショックが大きすぎて、目の前に迫る光景に対し、何も言えませんでした。
その時とほぼ同じ光景が、半年経った今も、まだ目の前に広がっています。
もちろん、当時と比べると、
たくさんの車が走るようになったし、人気(ひとけ)もみられるし、
電気だって通ってる建物ものある。
でも、基本的な輪郭は、なにも変わっていない。

元・中心部を超えて、山を登ると、当時は避難所になったであろう、立派な神社がありました。
尾崎神社という神社。
震災直後、釜石の神社にはいきませんでしたが、
避難所になっていた大槌の神社はいくつか回りました。
今、始めてくる神社であっても、当時のことが鮮明に蘇ってきます。

その時、ぱらぱらと雨が降ってきました。
朝はあんなに天気が良かったのに・・・

今日は、お彼岸。
亡くなった方の魂が、この世に戻ってこられる日です。
そして、今日、釜石で、合同慰霊祭がありました。

いつになっても、多くの人が亡くなった事実は存在しつづける。
半年間も、何も変わってない、崩れかけた建物が、山のようにある。
未だに行方が分かっていない人も大勢いる。

今日の雨は、皆さんの、そして自分の心の、
涙雨だと思います。

慰霊祭をしたからといって、
皆さんの心の中で一区切りがつくわけでもないし、
皆さんの心の中が晴れやかになる訳でもない。

でも、とりあえず、多くの人が集まって、
お互いに慰めあいながら、
話をして、話を聞いて、
そういう作業が、ここではまだまだ必要なのかもしれません。

家から尾崎神社までの、片道6.7km
時間があれば、何度も何度も、同じルートを走って、
建物が、風景が、そしてそこにいる人たちの表情がどうなっていくのか、
見ていきたいと思います。
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患者さんの過去と未来

2011.09.21.21:15

あいかわらず、なかなかブログが更新できなくてすみません。

う~ん、やはり、想像してたとおり、毎日大変です。
特に先週までは、状態が不安定な患者さんが入院したりで、
いろいろ大変でした。
しかも、家に帰ると、独りでご飯をつくったり掃除をしたり・・・
ごはん食べて、お風呂に入ったら、もう何もする気力もございませんです。

久々に日本で真面目に医者の仕事を診察するのは大変です。
そして、大人の診察、大人の治療というのは、子ども以上に大変。

何が大変かっていうと・・・

考えなきゃいけない病気の種類が多いとか、
検査の結果の解釈の仕方も違うとか、

大学を卒業してから、ほとんど使ったことのなかった知識を、
久々に動員しなきゃならない。

個人的には、これはそれなりにトレーニングになるのですが、
患者さんから見ると、そんなことを言われると困るわけで、
僕が担当したから、治療がうまくいきませんでした、とならないように、
毎日必死。

でも、以前にも少し書きましたが、
大人の医療と子供の医療で、一番違うのは、その患者さんの背景です。

子どもの場合、少なくとも、子どもを育てる親、もしくは保護者がいることが前提です。
親と一緒に、子どもの将来を豊かなものにするために、全力投球でがんばります。
だから、そこには一種の一体感があって、患者さんと医療者でチームになって、
子どもの病気と闘います。
もちろん、子どもの未来に対する責任を100%背負い込んでの仕事なので、
責任感は半端ではありませんが、方向性は至ってシンプルです。
未来に目をむけて、家族と一緒にがんばるだけです。

一方、大人の、特に高齢者の医療の場合、
認知症のせいで本人とコンタクトが取れないことが多々あるし、
だれも家族がいないことも多々あるし、
そして、病院の診察室や病室に持ち込まれるのは、
患者さんの過去、つまり、患者さんが辿ってきたこれまでの人生です。
もちろん、将来を見据えて治療方針を建てて、
目指すべき未来を目指して、退院するわけですが、
そこには過去がついて回ります。

昔だったら、自宅で「老衰」としてなくなっていたであろう方が、
自分の意志というよりは家族の意思で病院に連れてこられ、
治療を受けて、自宅ではなく施設に行く。

初めのうちは、この流れがなかなか理解できませんでした。

でも、人の命って、その人のものだけではなくて、
家族やその人の周りの人間のものでもあるような気もします。
いろんな人に支えられての命であり、
家族なり地域なり会社なり、何らかの社会の一員としての命であるなら、
誰かの命というものは、その人に関係する人全員のもの
そのように、少しずつ思えてきました。

この病院に来て、直接、誰かが亡くなる瞬間にまだ立ち会っていませんが、
患者さんの世話に汗を流している家族の人たちや、
面会に来たお見舞いの方たちを見ていると、その思いはより強くなります。

これまで生きてきた過去があって、今がある。
それを踏まえて、今後のことを考えなければならない。
どのように残りの人生を生きて、どのように死んでいくのか。

ビルマ難民との生活では、人の死はそれなりに身近でしたが、
安らかな死に方、ということに関しては、全く何もできなかった。
人が死ぬということを皆が避けて生活している日本で、
いかに、みんな一丸となって、残された人生を
少しでも良いものにできるか、
医学の勉強と並行して、もっと毎日考えていかないといけません。

・・・と思いながら、毎日疲れて寝てしまってるんですけどね。。。

新たな挑戦

2011.09.11.21:57

岩手の釜石に来て、二週間がたちました。
その間に、
大きな被害をもたらした台風が去り、
ここでは、ちょっとひんやり、そしてからっとした
秋の匂いの風が吹くようになりました。

今日、ようやく自宅でインターネットが使えるようになり、
こうして、ブログを好きな時間に書くことができるようになりました。

今日は、津波から半年の記念日。
はるか遠い昔のような気もするし、この半年間、時間がほとんど動いていないような気もする。
半年を告げるサイレンが、不思議な響きを持って聞こえてきました。

そして、釜石にある病院で働き始めて、10日が経ちました。
これまでは、小児科医として、子どもばかりを診ていましたが、
ここでは、小児科医としてではなく、大人を診る、
いわゆる内科医として働いています。

新しい組織、新しい環境の中で、全く新しいことを始める、というのは、
予想以上に大変なことでした。
職場の中の人の動きを把握して、
職場の外、つまり、病院の外での人の動きを把握して、
同時に、新しい仕事を覚えていかねばなりません。

大人と子供とでは、
同じ症状、同じ訴えであったとしても、
疑って、考えなければならない病気というものが全く異なります。
でも、病気の診断や治療の違い以上に、
「患者さんが何を求めているか」
「病院での治療のゴールをどうすればよいのか」
といったことが、大人と子供では違うのです。

子どもの病気の場合、基本的には、
病気になる前の状態に戻す、ということがゴールになります。
元通りに治せないような病気の場合は、
学校に行って勉強したり友達と遊んだり、という生活をおくりながら、
いかに病気と付き合っていくか、ということになりますが、
いずれにしても、できることはとことんやって、
医療者も患者さんも、最大限に頑張って、ゴールを目指します。

でも、大人の場合は、そうではない。
人生でやりたいことをやりつくして満足な人もいれば、
まだまだ長生きしたい人もいる。
とりあえず早く仕事に戻りたい人もいる。
「新米」内科医には、こういった希望を聞きだすのは、
なかなかうまくいきません。
内科の医者は、「子どもとコミュニケーションをとるのは難しい」と言いますが、
ぼくにとっては、子ども(とその親)とコミュニケーションとるほうが、はるかに簡単に思えます。

じつは、こういう仕事は、「ぼくの手には負えない」として、
これまで僕が避けてきたことです。
人生の大先輩達の、老い、そして、迫りくる死。
患者さんと一緒に向き合う作業は、かなりの覚悟を要します。
そして、その作業を通して、自分の未来がそこに映し出されます。

人を「生かす」小児科の医療。
そして、患者と一緒に「死んでいく」大人の医療。

まだまだどうしたらいいか分からずにバタバタしている毎日ですが、
新しい分野への挑戦が、始まりました。
いつになっても、どんな時でも、
新しいことに挑戦できるのは、幸せなことです。

なめんなよ東京・東京都横断マラソン2011

2011.09.04.12:15

しばらくブログの更新が空いてしまいました。
いつも見てくださってる方、申し訳ございません。

前の月曜日に、とうとう岩手県の釜石にやってきました。
で、その時にあったイロイロなことをブログに書きたかったのですが、
インターネットが使えず、しばらく放置してしまいました。

で、もう10日前になってしまいますが、
先週の金曜日(8月26日)に、東京で、
自分で勝手にマラソン大会をすることにしました。

東京都に引っ越してきて、1年数か月。
世田谷に引っ越して、9か月。
短い間に、東京について思ったのは、、、、

やっぱり人が多い。
そして、息苦しい。。
何というか、街としてキレイなところは多いのですが、
人工的というか、規格的というか、
人間らしさを感じることができない空間が多い。
そして、「ここは東京ですから」「私は東京の人ですから」
という顔をしている人が、とっても多い。
そんな人たちと一緒に乗る満員電車が、本当に苦痛でした。

よく探してみると、人間的な空間も、いろんなところにあって、
人間の、心と心、肌と肌の付き合いも、各地で触れることができて、
それは、「ちい散歩」をみれば分かるのですが、
よそものは、どうしても、東京のいやな所に目が行ってしまう。

そんなとき、うちの息子が、ふとしたことから
「うちから高尾山まで歩いてみたい」なんて言い出して、
距離を測ったら、40km前後。
それなら、40kmを走ってやろう、
どうせなら、少し回り道をしながら、フルマラソンの42.195kmを走ろう
世田谷から高尾山まで走って、東京を横断して、
生意気な顔をしている、東京という所を制覇してやろう
なんて考えが浮かんできました。
時間をみつけて、google mapsを使って、
何かトラブルがあったらすぐに電車で帰れるように、
京王線沿いの道で、且つ、交通量が多くなさそうな道を選んで、
自宅から高尾山口駅まで、46kmのルートを決めました。

残念なことに、天気が悪く、なかなか決行に至らなかったのですが、
もうタイムリミットということで、
蒸し暑く、不安定な天気の中、8/26に走ることにしました。

実際に走り始めると、いろんな発見があります。
気取った街、落ち着いた住宅街、庶民的な、昔ながらのおんぼろアパート。
電車や地下鉄の路線図を見るだけでは分からない、生の風景が広がります。
馬事公苑の近くでは、通勤通学する人ごみの中を、
乗馬用の馬が街中を連れられて歩いていてびっくり。

気取った高級スーパーから、昔ながらの八百屋さん、そして、
日本の田舎ならどこにでもありそうなスーパー。
どんな人がどこで買い物をしているかを見るだけでも、面白い。
金持ちから貧乏人まで、世田谷は、奥が深い。

そのあと、炎天下の中、多摩川の土手の上を、延々と走ったのですが、
やっぱり、平日の昼間にもかかわらず、
老若男女、いろんな人が走ったり、チャリをこいだり、犬の散歩をしたり、
みんなそれぞれ自由に生きているんだなあ、と改めて実感。

世田谷を超えた後は、延々と炎天下の多摩川の河畔を走ります。
一度、多摩川の土手の上を走って、
「等々力=轟」という地名まであるぐらいの、関東の大河を体感したかったのですが、
当たり前ですが、当日は至極穏やかな流れで、轟くような地響きなどありません。
炎天下の中、だんだん退屈してしまって、一気に疲れてしまいました。

京王線の聖蹟桜ヶ丘まで辿り着いて(この時点で25kmぐらい走った計算)
もう疲れたから帰ろうか、と思って嫁に電話をしたのですが、
電話をしてるうちに、だんだん元気になってきて、
もう少し先まで走ることに。
ここからは、道路がどんどん登り坂になっていきます。
そして、東京都とは思えない、田舎と同じ空気が流れて、空気が一変します。
なので、アップダウンが激しいのですが、意外と気持ちがいい。
田舎の空気が気持ちがいいというより、
京王線沿線といえど、東京もこんなに田舎だったんだ、ということが分かって、気持ちがいい。
結局、さらに10kmぐらい走って、京王線の北野駅まで走って、そこでゴールとすることにしました。

こうやって、「東京」という土地、「東京」という存在、
それは物理的な存在でもあり、精神的な、僕の心の中の存在でもあるのですが、
この東京というものと、
全力で、がっぷり四つになってとっくみあいの喧嘩をすることで
ようやく、東京を、単にバカにしたり、冷めた目で眺めたり、接するのを避けて通ったりせずに、
存在を認めることができるようになりました。
大好き、とは言えないけど、いいところもいっぱいあるんだ、ということがよく分かりました。
やってることは、子供の喧嘩レベルですけど、
やっぱり、全身で実感、という行為は、非常に大事な体験です。

これで、心おきなく、東京を離れることができました。
これからは、岩手県民の釜石市民となってがんばります。
でも、今回は残念ながら42km走れんかったから、またいつか、
リベンジ、という名目で、東京と遊んであげよう!!
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プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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