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復興の坂道を登り切る!

2011.10.31.20:06

昨日は、「釜石仙人峠マラソン」がありました。
仙人峠というのは、文字通り、仙人が住んでそうな険しい山の中、
釜石と遠野をつなぐ、険しい山道です。
かつては国鉄の線路だけで、
車が走れる峠道が開通したのは、昭和30年代だったか、意外と最近。
そのうち、実際にマラソンで走るのは、
高低差は400m、距離にして片道9キロ弱。
途中から出発し、いったんふもとまで下ってから、
9キロ弱の急坂を、ひたすら峠の頂上まで駆け上りて、
最後はまた坂の途中まで駆け降りる、
けっこうハードと言うか、
狂気の沙汰というか、crazyなマラソン大会です。
坂道の斜度は最大で10%前後。
車で登るのも大変な急坂です。

初めに、このマラソン大会のことを聞いたのは、
まだ4月、大槌の避難所で寝泊まりしてた時でした。
こういう、無茶なイベントやプランを耳にすると、
猛烈に参加したくなるのが、悲しい性。
タイでのボランティアを切り上げて、釜石に引っ越してきたのも、
このマラソン大会に出たいがため、といっても
あながち過言ではありません。

でも、初めて、峠を車で走った時には、絶句しました。
「ここを走るのか・・・」
ちょうど、スキーで滑り降りるのに、ちょうどいいぐらいの斜度。
シーズンオフのスキー場のゲレンデを走って登った経験のある方には、
僕の言ってる意味が分かるかもしれません。

でも、自分と同じ、無茶をするのが楽しい、
そんな種類の人間が、どこにもいるもんで、
同じ病院の中に、そんな人たちによるマラソンチームがあり、
僕もその一員に入れてもらいました。

峠は、ちょうど紅葉の季節。
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これはスタート・ゴール地点のあたり

前日に、この周辺を10キロぐらい試走して、
この美しい空気と景色を満喫したので、今日は走るのに専念・・・
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スタートしてみると、みんな走るのが速い!!
さすがに、こんな過酷な大会に、気楽に参加できないのか、
恐ろしく、みんなに抜かれていきます。
そして、何より、下り坂を速く走るということが、僕はできません。
よく考えてみると、コースの半分は下り坂なのに、
そこでは、アクセルは踏まずに、ギアをニュートラルに入れて降りてくる、
そんな走りしか、僕はできないのですが、
みんなは下りでもガンガンアクセルを踏んで、飛ばしています。
あんな真似、僕にはできません。
上り坂で、えっちらおっちら、前の人を追い抜いても、
下りになった途端にみんなに追い抜かれてしまいました。

走っていると、地元の方たちから、温かい声援を頂くのですが、
よく考えたら、みんな、毎日の生活だけで大変なはずなのに、
こんなイベントを企画して(ちなみにこのマラソン大会は去年からの第2回目)
実行して、盛り上げてくれる、地元の人に、本当に感謝です。
だから、ガシガシ走るというよりは、
この苦しい登り坂を、一回も止まらず、一回も歩かずに、
前を向いてひたすら、走って登り切る、ということを目標に頑張りました。

結局、一番先頭でスタートして、ゴールした時は、後ろから数えたほうが早いぐらいでしたが、
それでも何とか、上り坂を立ち止まらずに登りきって、なおかつ完走という、
自分の中の目標は達成できました。

R1012840.jpg

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自分が走るのをサポートして、応援してくれた、
同じ職場の人たち、そして地元の方々に、本当に感謝です。

そして、おそらく、すべての参加者が、同じことを感じたはず。
「復興の道のりは、この登り坂と同じ。辛いときも大変な時もあるけど、
一歩一歩頑張れば、いつか頂上にたどり着く
それまで、お互いに助け合って、励ましあって、頑張っぺし」
そういう意味でも、本当に貴重な体験でした。

どうもありがとうございます!!
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視界良好

2011.10.30.21:49

ここ数日は、久しぶりに、病院の仕事が落ち着いていて、
それほど遅くなく家に帰ることができました。
そして、昨日土曜日は、とってもいいお天気。
外は、暑くもなく、寒くもなく、心地よい風が吹いています。

そんなときは、そう、ジョギング。
いつもは、家の前の川べりを、ずっと上流の方に走って行って、
だいたい片道30~45分ぐらい走って、帰ってくるのですが、
今は、紅葉のシーズンなので、
少し山のほうまで車で走って、駐車場に停めて、
そこから、山の中の峠道を走ることにしました。
実は、翌日がマラソン大会で、
そのマラソン大会の下見も兼ねていたのですが、
それがなくても、なんてったって、
心地よい風の中、色づく山の木々の合間を縫って走るのは、
この上なく気持ちがいいものです。
それに、マラソン大会となると、
大勢の人間がドヤドヤと走って、山の木々よりも
隣や前後を走る他のランナーのほうが気になるので、
この贅沢な空間を味わうには、むしろマラソン大会以外の方が、
ゆっくりと堪能できます。

で、
ほんまに気持ちええわ~

と、山の空気を、そして紅葉を、独り占めして楽しむことができました。

カメラを持っていかなかったので、山の写真は明日載せますが、
いろんな悩み事も、ストレスも、全部吹き飛んでしまいます。
悩みが吹き飛ぶというより、近いうちに順調に解決できそうで、気にならなくなって、
世の中のいろいろなことから、解放された気になります。
一気に、視界がひらける、そんな感じでしょうか。
こんな感覚を味わうのは、ジョギングが一番いいような気がします。

この日は、峠道を下って登って、合計9キロぐらい走りました。

明日は、いよいよ、この峠道を17キロも走る、釜石仙人峠マラソンです。

ドライブ to 岩手県沿岸南部

2011.10.11.21:08

前の記事に書いたとおり、
先週末、家族でドライブに行ってきました。

今の愛車は、先日30歳を過ぎた、ランクル60です。

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以前から、クラッチの調子が悪くて、だましだまし乗っていたのですが、
せっかくVIPがいらした訳なので、ちょっと無理言って、頑張って走ってもらいました。

で、コースは、釜石から、南へ向かって、
平田(へいた)、唐丹(とうに)、吉浜(よしはま)
といった集落を抜けて、大船渡へ。
大船渡から、陸前高田を経て、住田町、遠野と
岩手県の沿岸部の南半分をぐるりとまわって帰ってきました。

なかなか、被災地の一つの場所にいると、
別の場所に行く機会がないんですね。
今自分がいる場所で、やらねばならないことが山積みだし、
交通の便は悪いし。
でも、この岩手県沿岸南部の中心都市、大船渡という街が
どれほどの街なのか、
そして、大槌町と同じく、「全てが流された」と言われる陸前高田が
どんな状況なのか、非常に興味がありました。

大船渡は、中心都市とはいえ、人口は4万ちょっと。
でも、釜石より、いろいろなお店が並んでいて、
賑わっています。
商業の中心部が壊滅した釜石と違って、
大船渡は津波の被害を免れたのかな、というように見えます。

でも、一部の地域は、かなり広い面積にわたって、地盤が沈下して、
海の水がそのまま押し寄せてきそうな感じ。
もちろん、広い範囲で冠水しています。

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写真だと見にくいですが、土嚢を積んで、かろうじて海の水が流れてくるのを防いでいます。

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そして、陸前高田に行くと、そこには、何もありませんでした。
正確に言うと、海岸に高々と積まれたガレキ以外は、何もありませんでした。

震災から7か月、全く復興の「ふ」の字もないような、そんな感じです。

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4階まで水が入った、アパート。

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荒野に並ぶ電信柱。チベットや、インド北部、ヒマラヤの麓のラダック地方を思い出します。

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何かの建物の基礎。精一杯の人工物。

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国道45号線沿い

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はるか彼方に、残った街並みが見えます・・・

でも、陸前高田の人たちは、山沿いに、
仮設商店街と仮設ショッピングセンター!を建てていたのです!
そこに行けば、スーパーに屋台、銀行のATM、クリーニング、
いろんなお店が集まっていて、
街中の復興の遅さは大槌以下に見えたけど、
自分の街の中で、お店を再開しているあたりは、さすがです。
その仮設ショッピングモールの中心をなすのは、
大槌と同じく、やっぱりローソン(笑)

したたかに、粘り強く、
復興に向けて前進していく姿をみれたのは、何よりでした。

貴重な当たり前

2011.10.11.20:15

先週末の連休に、嫁と息子が東京から釜石まで
はるばる会いに来てくれました。

嫁が来るのは三週間ぶり、息子が今の家に来るのは
下見の時を除くと、初めてです。

やっぱり、嫁が来るとなると、少し緊張。
毎日の部屋の掃除や片付けも、
いろいろな家具や雑貨を買い揃えるのも、
こういう特別な日のためかもしれません。

滞在中に、嫁が好きな料理を作れるように、
いろんな野菜を買いそろえて、
さらに、
家族みんなが大好きな三陸特産のイクラ、
タッパーのような容器に入って、2000円で地元のスーパーで売ってるのですが、
今までずーっと買うのを我慢してたけど、
みんなが来るから、という名目で、イクラも解禁。
いつもの買い物も、ちょっと贅沢しちゃいます。

こちらに来て、
以前からお世話になってる、大槌の開業医の先生に
焼肉をごちそうになったり、
絵本の読みきかせサークルのみなさんと遊びに行ったり、
家族3人でドライブに行ったり、
いろいろ、日常では味わえない楽しみを味わいました。

でも、息子が、一番楽しかったのは、

家族3人で遊んだトランプだったそうです。

なんてことはない、
家族3人でだらだら遊ぶ、
ただそれだけのことなんですが、
我が家では、なかなかそれができてない。
当たり前の楽しみを、息子に味わせることができてない。

そうだったんだ・・・
今さらながら、気づくことができました。

普段ひとりで暮らしている今の家。
突然住人が3人に増えても、全く違和感がなく、
もう何年もこうやって暮らしてるかのような、そんな自然な空気が流れていて、
やっぱり、家族みんなで住むように設計されているんですね。

最終日、二人を駅に送った後、
家に帰ると、また、いつもの広い家。
家族三人が一緒に生活した、この家に、また自分一人になりました。

掃除をすると、嫁の長い髪の毛が床に落ちていたり、
洗濯物の中に、忘れていった洗濯物が残っていたり、
そして、結局ほとんど使わなかった野菜を、
傷む前に、毎食三人分ぐらいのペースで食べないといけません。

家族がいるありがたさと、
離れて暮らす寂しさと、
普段はあまり強くは感じないけど、
家族に会って別れた後は、
いつも津波のように僕の心を呑み込んでいきます。

本当に、好きなように生きている人生、
一緒になれる家族がいるのは幸せです。

世界につながる場所

2011.10.02.20:32

今日は久々のダブルヘッダーで行きます。
大したことがない記事を2つ書いて、足しても決して1にはならないですが。

釜石に限らず、
日本で、家と職場の往復の毎日を過ごしていると、
どんどん、外の世界に疎くなります。
そして、ものぐさな私は、
日本語以外の言語で書かれた記事なんて、
どんどん読まなくなります。

でも、今も、世界のどこかで、
大きな出来事が起きているわけで、

タイでは、去年に続き、今年も洪水がひどい。
去年タイにいたときは、9月から12月まで、ほぼ毎日
洪水関連のニュースばかりを流していた。
でも、たいていの建物は、洪水が来ることが前提なのか
高床式でつくってあることが多いので、
意外とみんな、普通に暮らしています。
被害に遭うのは、普通の家に住めない、貧しい人なんですけどね。。。

ビルマでは、
軍事政権と、民主化を求めるアウンサンスーチーさん率いる政党との交渉がもたれて、
その成り行きに非常に興味あります。
アウンサンスーチーは、ビルマ人で、民主化を求める人。
これまで、軍事政権に反発していたのは、
そのような民主化を求めるビルマ人と、
自分たちの文化を守りたいビルマ人以外の少数民族たち。
この二つの勢力は、全く違う立場にいる人たちなので、
この先どうなるのか、期待半分、不安半分。

そして、そんなビルマでも、今でも毎日内戦によって多くの人たちが命を落とし、
その北隣の中国~チベットでも、
多くのチベット人が亡命しようとして毎日中国人に殺され、
余りにも毎日毎日続くものだから、海外へはニュースとして伝わりません。

逆に、今、釜石や大槌で起きていることは、どれほどニュースになっているのだろうか?
東京や大阪や福岡の人たちは、どれぐらい情報を手に入れることができるのか?
どれほど情報を手に入れようとしているのか?
そして、海外の人たちは、
日本で地震があったことを、津波があったことを覚えているのだろうか?
多くのお金が動く、巨大なビジネスである、原発のことはみんな関心があるんだけれど・・

だから、せっかく自分が釜石にいるんだから、
もっともっと、情報を発信しなければだめですよね。
日本語でも、英語でも。
残念ながら、英語でブログ計画は挫折しましたが
(日本語ですらあんまり書いてないし)
facebook程度なら、英語でもなんとかなりそう。
ていうか、なんとかしなきゃ。

桂浜に立った坂本竜馬ではありませんが、
目の前に太平洋が広がるここ釜石で、
地球上の一つの地域としての釜石・大槌、という意識をしっかり持ちたいものです。

p.s.この記事を書いてる15分の間に3回も余震がありました。
まずは、今でも一日5~10回ぐらい余震が起きていること、言わなきゃね

一ヶ月がたちました

2011.10.02.20:08

釜石に来て、一ヶ月が経ちました。

当初は夏色だった空も、今はすっかり秋の真っただ中。
羊雲が広がる空に、
夕日がこれでもかというぐらい、鮮やかな色を映して沈んでいきます。

岩手県三陸地方の最低気温は、10度を下回るようになりました。
シャワーでは寒くて眠れない毎日です。
去年はタイにいたから、秋という季節を感じることがなかったなあ・・・
それなりに気温は下がるんですけどね。

仕事の方も、少しずつ慣れてきて、
自分なりの”ルーチンワーク”を増やすことができるようになりました。
患者さんの状態をある程度自分なりに分類して、
こんな状態ならこの検査、こんな状態ならこの治療、
という感じに、以前よりはレスポンス良く動けるようになったと思います。
ある程度動けるようになると、ようやく、周囲からも、
スタッフの一員として認識されるようになるので、
仕事も増えるけど、やりがいもでてきます。

なんて偉そうに書いていますが、
ここまでは、人間でなくても、ロボットでもできる仕事。
おそらく近い将来には、ロボットが医者の代わりに患者を診察したり、
医者の代わりにはならなくても、アドバイザー的な存在にはなるでしょう。

この先からは、人間でなくてはできない仕事。
同じような病気の人たちでも、一人一人が抱える背景は全く違うんですよね。
そして、多かれ少なかれ、今回の震災が、
いろんな部分で影を落としています。
それを、一人一人の希望を聞きつつ、
一番いいと思われる方法を提案して、ゴールを決めるのが、
我々医者の仕事です。
ある人にとって最良のゴールでも、
別の人にとってはそうとは限らない。

少なくとも、病気が治ったから、じゃあ退院、さようなら、では
背景に横たわる問題が解決されない限り、
患者さんは、近いうちに、同じ病気で病院に舞い戻ってきます。

だから、近頃は、時間があったら、
まずはこの釜石・大槌という土地を知るために、
あちこちドライブに行って、
いろんな風景を見て、
人の流れや道の険しさを体感しています。
それと同時に、いろんな人たちと
まずは話をして、
ここがどういうところで、どういうところが問題なのか、
教えてもらうようにしています。

車でのドライブだけでなくて、
ジョギングしながら、実際に釜石の町の中のいろんなところを走ったりすると、
どこにいろんな病院や医院があるのか、
薬局はどこにあるのか、
普段の買い物はみんなどこに行っているのか、手に取るように分りますし、
思わぬところに仮設住宅が建っていて、
こんなところに住んでいて、どうやって仕事や買い物に行くのか、
ストレスを解消できるのか、
ここからどこの学校に子どもたちは通っているのか、
いろいろ考えさせられることも多々あります。

食欲の秋、運動の秋、旅行の秋(?)
義務感ではなく、楽しみながら、釜石の町を体感できるのは、
ここの美しい風景と、おいしい食材と、温かい人々のおかげなんですが、
そんな体験ができるのは、幸せですね。
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♥. ♠. ♣Alice
プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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Toru Yoneda

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