救急外来にて
2011.11.02.22:03
今の病院に移って、2か月が経ちました。
大人の患者を診るようになって、2か月。
この短い間にも、いろいろ印象に残ることがありました。
特に、夜の救急外来で、いろんなことが起こります。
体の調子がずっと悪かったのに、ずーっと病院には来ずに、
家で我慢して、我慢して、我慢して、
とうとう我慢できなくなってくる患者さんは、たいてい夜中に来ます。
夜中に病院に来ても、検査も治療もあまりできないんだけれども、
独りで夜を越すのが心配で、心細くて、わざわざ夜中に来てしまう。
多分、日本全国そうなのだと思う。
仕事が忙しいから、とか、
お金がなかったとか、
何とかかんとか、いろいろ言い訳を言うのですが、
おそらく、基本的に、
1)自分の病気はたいしたことがないと思っている
もしくは
2)実は重たい病気が隠れているような気がして、
怖くて病院に行けない
のどちらかだと思います。
言い訳なんて、後からこじつけたようなものばかりで、
どんなに忙しくたって、大事な用事や仕事が控えてたって、
本当に自分の病気が心配なら、人は病院に来ます。
体調が悪いのに病院に来ないというのは、
病気に目を向ける必要がないと思っているのか、
病気に目を向ける勇気がないのか、
どちらかなのです。
で、自分の病気はたいしたことがないと思ってる人は、
自分が重症だと知ると、驚いて、後悔した後、
頑張って治療しよう、ということになります。
でも、自分は重傷だとうすうす感じていた人は、
ああ、やっぱり、という顔をします。
そして、改めてその事実に落ち込む人もいれば、
これで自分のつらさを誰かに分かってもらえる、とでも言うような、
安堵の表情を浮かべる人もいます。
でも、ここからが、問題。
ここまで病気が進んでしまうと、入院してがんばっても、治らないかもしれない。
あるいは、たぶん治らない。
それでも、あなたは、入院して治療を受けますか?
僕は、最近、必ず、こういうことを訊ねるようになりました。
本来なら、自宅で、近い将来、
「老衰」として、あるいは「大往生」ということで、
亡くなっていたであろう、患者さんを目の前にして、
この人を、病院で、点滴やら栄養チューブやら、
いろんな管を体中に突き刺して、
それで亡くなってもらうのがいいのか、
自宅で、自然の経過に任せるのがいいのか、
いろんな思いが交錯します。
本人にも、家族にも、
「死」というものが、漠然とした遠い未来ではなく、
目の前に迫っている、ということを、理解してもらわねばなりません。
そして、自分の未来に、自分の死に方に、
責任を持って関わってもらわねばなりません。
でも、そんなことを急に出来る人はあまりいないわけで、
結局、多くの方が、自分の未来をあいまいにしたまま、
入院して治療を受ける、という選択をします。
夜中に、病院に来て、あなたは病院に何を求めますか?
つらい症状の原因を知りたい。
それが分ったら、次は何を求めますか?
治療できるものなら、治療したい。
治療できないかもしれない、そんな時はどうしますか?
とりあえず、入院して、何ができるか、一緒に考えましょうか・・・?
患者さんが、他人に甘えたい気持ち、
それを尊重できる医者になりたいと思います。
大人の患者を診るようになって、2か月。
この短い間にも、いろいろ印象に残ることがありました。
特に、夜の救急外来で、いろんなことが起こります。
体の調子がずっと悪かったのに、ずーっと病院には来ずに、
家で我慢して、我慢して、我慢して、
とうとう我慢できなくなってくる患者さんは、たいてい夜中に来ます。
夜中に病院に来ても、検査も治療もあまりできないんだけれども、
独りで夜を越すのが心配で、心細くて、わざわざ夜中に来てしまう。
多分、日本全国そうなのだと思う。
仕事が忙しいから、とか、
お金がなかったとか、
何とかかんとか、いろいろ言い訳を言うのですが、
おそらく、基本的に、
1)自分の病気はたいしたことがないと思っている
もしくは
2)実は重たい病気が隠れているような気がして、
怖くて病院に行けない
のどちらかだと思います。
言い訳なんて、後からこじつけたようなものばかりで、
どんなに忙しくたって、大事な用事や仕事が控えてたって、
本当に自分の病気が心配なら、人は病院に来ます。
体調が悪いのに病院に来ないというのは、
病気に目を向ける必要がないと思っているのか、
病気に目を向ける勇気がないのか、
どちらかなのです。
で、自分の病気はたいしたことがないと思ってる人は、
自分が重症だと知ると、驚いて、後悔した後、
頑張って治療しよう、ということになります。
でも、自分は重傷だとうすうす感じていた人は、
ああ、やっぱり、という顔をします。
そして、改めてその事実に落ち込む人もいれば、
これで自分のつらさを誰かに分かってもらえる、とでも言うような、
安堵の表情を浮かべる人もいます。
でも、ここからが、問題。
ここまで病気が進んでしまうと、入院してがんばっても、治らないかもしれない。
あるいは、たぶん治らない。
それでも、あなたは、入院して治療を受けますか?
僕は、最近、必ず、こういうことを訊ねるようになりました。
本来なら、自宅で、近い将来、
「老衰」として、あるいは「大往生」ということで、
亡くなっていたであろう、患者さんを目の前にして、
この人を、病院で、点滴やら栄養チューブやら、
いろんな管を体中に突き刺して、
それで亡くなってもらうのがいいのか、
自宅で、自然の経過に任せるのがいいのか、
いろんな思いが交錯します。
本人にも、家族にも、
「死」というものが、漠然とした遠い未来ではなく、
目の前に迫っている、ということを、理解してもらわねばなりません。
そして、自分の未来に、自分の死に方に、
責任を持って関わってもらわねばなりません。
でも、そんなことを急に出来る人はあまりいないわけで、
結局、多くの方が、自分の未来をあいまいにしたまま、
入院して治療を受ける、という選択をします。
夜中に、病院に来て、あなたは病院に何を求めますか?
つらい症状の原因を知りたい。
それが分ったら、次は何を求めますか?
治療できるものなら、治療したい。
治療できないかもしれない、そんな時はどうしますか?
とりあえず、入院して、何ができるか、一緒に考えましょうか・・・?
患者さんが、他人に甘えたい気持ち、
それを尊重できる医者になりたいと思います。
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