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西のおそらへ向かって

2012.03.28.21:14

昨年の2月、まだ僕がMae Tao Clinicで働いていたころ、
このブログで紹介した子がいました。

白血病の男の子。

ずっと、順調に抗がん剤の治療を受けにチェンマイまで通っていたので、
いつかチャンスがあれば顔を見に行こうと思っていたのですが、

昨日亡くなったそうです。

急な知らせでした。

とても残念で、とても悲しくて、そんな気持ちです。

あの子の病気を診断して、本人とご家族に病名を伝えた以上、
あの子のこれからの人生に、僕は責任がありました。

病気の治療に関しては、治療を受けられるようになっていたけど、
それ以外の面で、何かできることはなかったのか。
何かしてあげられなくても、
ただ単に、話がしたかった。

救いだったのは、
大勢の人たちが、あの子を助けるために、一つになって、支えたこと。
彼の周りに大きな輪ができました。

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ご両親の写真です。

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Mae Tao Clinicにて、おねえちゃんと。

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トラックの荷台に乗って、救急車を持っている民営の病院までの移動中。
母の強い愛が、全身から出ています。


Zin Ko, よくがんばったね。
普通の人が一生かかっても体験しないほどの辛い戦いを、
よくがんばりました。

お父さん、お母さん、おねえちゃん、
みんなが助けてくれて、みんなと一緒にいることができて、
よかったね。

もうこれからは、辛い思いはしなくてもいいから、
お空の上から、
大好きだったおかあさんやおねえちゃんを毎日いっぱい見て、
ゆっくり休んでください。

もう一度会って、いろんなお話をききたかったけど、
これからは、西のほうのお空を見るようにします。
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久しぶりの結婚式

2012.03.24.21:32

先日、同じ病院・同じ病棟に勤める同僚の看護師の結婚式に呼んで頂きました。

新郎は釜石で働いているわけですが、新婦は大槌の病院の看護婦さん。
入籍は震災前にしていたそうですが、
震災もあり、ようやく式を挙げることができたみたいです。

自分の結婚式を挙げてから10か月、
最初の結婚式でした。

呼んでもらっておいて、なんだか申し訳ないんですが、
なんだか、自分の結婚式を思い出しますね。
様式は違えど、ハートの部分は同じ。
主役とは別の部分で、なんだかじ~んときてしまいます。

自分の、嫁さんに対する気持ちを再確認。

で、
主役の新郎新婦。
新郎の彼とはいつも同じ病棟で働いているわけですが、
頭がとてもいい人なんですが、
何より、素直で心が熱い!!
いいことはいい、悪いことは悪い。嫌なことはイヤ、
それをとっても素直に、そして全身で表現できる人です。
今はともかく、一病院の一看護師にしておくだけではもったいない。
ていうか、たぶんそのうち自分で飛び出していきそうな、そんな人です。

新婦は、新郎より年上で、連れ子がいて、
なんだか誰かさんとよく似た状況なんですが、
こどもをとっても大事にしてて、
式の途中では、その子に
「ぼくのおとうさんになってくれてほんとうにうれしいです」
なんて手紙を読んでもらって、みんなで号泣でした。

震災のあと、何日間も家族がバラバラで連絡がとれないなか、
がれきをかき分け感動の再会を果たし、みんなで泣きながらよろこんだ、
そんなエピソードも教えてくれました。

やっぱ、あいつは、ええやっちゃな~

他人の結婚式に出ると、幸せになれるよ、とこれまでよく言われて、
そうかな~
ふぅ~ん・・・
ぐらいにしかこれまでは思ってなかったけど、
今回が、一番感動できました。
自分の結婚式をダブらせたこともあるけど、
やっぱり、彼の人柄がそうさせたんだろうな。

一夜漬けで覚えたマルモリダンスをみんなで踊って、
感動をありがとう、をこちらも全身で表現させてもらいました。

4月から、奥さんも同じ釜石の病院に来るそうで、
夫婦で同じ病院で働くところも、
僕と同じ境遇です。

お互い、がんばろう!

ベルトコンベアで走りながら

2012.03.17.22:59

今週は水曜日が当直で、
木曜日は一日働いた後、病院の医師だけで集まっての送別会。
終わる間際に新しい入院患者が入ったと呼び出しがあって、結局帰ったのは深夜。

そしたら、金曜日は、体も心も、ダルダルで、全然動けない・・・
体が重いのなんのって、
いや、実際に体はどんどん重たくなっているのですが・・・

今日土曜日は、病棟の回診をした後は、患者さんが来ない限り仕事はなかったので、
こんな時は、体を動かそう!ということで、
新日鉄が持っている、社員向けのトレーニングルームに行ってきました。
以前、同僚の先生から、
「釜石シーウェイブス(ラグビーチーム)のサポーターになれば、自由に使えるよ」
という情報をゲットして、
今日、念願の初トレーニングルームになりました。

タイのメソットにいた時から、約1年ぶりのジム。
いつも、まずはランニングマシン(ベルトコンベアーみたいなやつ)で走るのですが、

以前と比べ、格段にスピードが遅くなってることに気付きました。
最近、夜の町中や山道でのジョギングをすることがめっきり減ってきたのは確かですが、
それより、普段、全くのマイペースで走ってるから、
どんどんスピードが落ちてきたんでしょう。
ジョギングのはずが、ベルトコンベアの上を真剣にバシバシ走っているような感覚です。

かつてのジョギングのスピードに合わせて、
必死になって走りながら、ふと考えたのですが、
ジョギングにせよ仕事にせよ、
最近、誰かに強制されながら、必死になって何かをする、ということそのものが、
全くなかったな~って気付きました。
全てがのんびりマイペース。
英語を含め、外国語に至っては、ほとんど勉強すらできていません。

いろんなことに関して、
周りの人を巻き込みながら、
そして、周りの人たちの目線を気にしながら、
もう少し、勉強するなり仕事するなり、がんばりたいですね。
学会で発表するとか、論文書くとか、
本をもっと読んで勉強するとか、
一定の期間に、目に見える形で何らかの成果を残す、
そうありたい、あらねばならない、
自分に甘いから、自分一人で何とかしよう、っていうといつも失敗するから、
いろんな人に自分の見張り役になってもらわないと!

というわけで、やる気だけは、気合い十分な、
春の一日でした。

お香の香りと笑い声

2012.03.11.19:43

今日は、みなさんご存知のとおり、3月11日。
あの地震と津波から1年が経ちました。

地震発生の時刻の時は、
外に出てると、津波に襲われそうな気がして、
家から出れませんでしたが、
その時間が過ぎると、もう一度大槌の町を見たくなって、
大槌に向かいました。

2時46分は、地震発生の時刻であって、津波襲来の時間ではないのですが、
不思議ですね。

途中、何台もの車やバスとすれ違いました。
被災した釜石の集落や、大槌の町に来ると、
そこには、大勢の人が集まっています。

震災後この土地を去って行った人も、
ここに残って、山奥の仮設に住んでいる人も、
かつては町だった、被災現場に集まって、
花を供えたり、
お香を焚いたり、

まるで、町全体が、
お彼岸のような、
そんな感じでした。

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大槌町の旧役場前には、行くあてのない車の残骸が並んでいます。

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地震直後からこの役場の前で会議をしていた大槌町では、町長をはじめ幹部の多くが亡くなりました。

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建物の基礎だけが残り、古代遺跡のような、かつての町並み

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大槌駅の駅舎はなくなり、そこに駅があったと知らないと、駅の跡地に行くのは困難です。

でも、確かに、今はだれも住んではいませんが、
それでも、この地には、大勢の人が訪れて、
お花を供え、
お香を焚いて、
子どもたちは、元気に走り回っていました。

鮮やかな色彩と、お香の香りと、子どもたちの笑い声。

コンクリ色の静寂が支配するこの空間が、
少しだけ、明るくなったような、
そんな一日でした。


明るいほうへ
明るいほうへ。

一つの葉でも
陽の洩るとこへ。

やぶかげの草は。

明るいほうへ
明るいほうへ。

翅は焦げよと
灯のあるとこへ。

夜の虫は。

明るいほうへ
明るいほうへ。

一分もひろく
日のさすとこへ。

都会(まち)に住む子らは。

ー金子みすず 「明るいほうへ」



少しでも多くの人が、
明るいほうへ向くことができますように。

一年がすぎて

2012.03.10.22:54

あの震災から一年が経ちました。

別に、一年という時間の長さそのものには、何の意味もないのですが、

震災後一週間では、まだ落ち着いていなかったし、
一か月後でも、まだまだみんなの生活が落ち着くことはなかったし、
3ヶ月とか半年後とかになると、さすがに生活が落ち着いては来てたけど、

一年後というのは、
ちょうどあの時と同じような気候で、同じように寒くて、
嫌でも一年前を思い起こします。

東風吹かば匂い起こせよ梅の花
主なきとて春な忘れそ

という歌がありますが、
多くの被災者にとっては、
忘れたい、思い出したくないけど忘れられない
お願いだから思い起こさせないでほしい、
そういう気持だと思います。

ある子どもは、「雪が降ると、津波の跡が消えるからうれしい」
そうです。
3月の釜石は、一番雪が多い時期。
今だに窓や壁が破れたまま建物が立ちすくんでいたり、
みんなの思い出がつまったものが、ガレキとして山のように積まれていたり
にぎやかだったはずの町が、ただの草むらになったり、
そういう「イヤな景色」が見えなくなります。

でも、やっぱり、
僕を含め、地震や津波を実感しないで来れた多くの日本人には、
忘れないでいてほしいと思います。

全滅した集落は、
今も、全く人気のないまま、
古代の遺跡のように、家の基礎だけ残っています。
そうでない地域でも、
多くの建物が、いつ取り壊されるのか見通しも立たないまま、
放置されています。

梅の花は匂い起こすことができるのでしょうが、
津波の被災地を実感するには、
ここに来るしかないと思います。
多くの人にとって、それが無理なのはよく分っていますが、
それでも、
この景色を実感できるのは、
今しかない。
生々しい話が聞けるのも、今しかない。
だから、僕は、訴え続けようと思います。

ぜひ、被災地に来てください。

日本人なら
日本人でなくても、日本を愛する人なら、
ぜひ、この地に来て、目で見て、耳で聞いて下さい。

1年前とあまり変わらない景色が、
あなたをお迎えすると思います。

1年前と違い、
今は、簡単にできるボランティアの職種が少なくなりました。
でも、被災地の支援というのは、まだまだ必要だと思います。
なぜ必要なのか
何が必要なのか
それは、この地を体感した人にしか分からないと思います。
体感した人としていない人が話し合っても、
議論がかみ合わないと思います。

もし釜石・大槌に来られる方がいれば、ぜひご連絡ください。
ご案内いたします。

薬を飲む前に

2012.03.04.05:51

小児科から内科に変わって半年近く、
患者さんに薬を出してて、いつも思うのが、

「なんでこんなにたくさんの薬を飲んでるの??」

たいていの場合、
血圧の薬に始まり、胃薬、そしてどこかの痛み止め、高脂血症・・
肩こりの薬、
精神安定剤、

おそらく、患者さんが何かを訴えると、
それについて薬が一つ増え、
でも、薬を増やしてもあんまり効かない、いや、ちょっと良くなったかな?
ぐらいだと、そのまま続けましょう、という話になる。

昨日、西洋医学は「科学」の医学だと書きました。
患者さんを、ただの機械のように扱うのが基本だと。

でも、みなさんお気づきのように、そうではない。

たとえば、高血圧。
「血圧が高い人の中に、心臓病や脳卒中などの病気が多い」
というのは、事実です。
では、血圧の薬をのみましょう、という話になる。
血圧の薬というのは、血管を拡張させる、というのが基本です。
何千、何万人と集めてきて、薬を飲んだ人と飲まない人を比べると、
当たり前だけど、薬を飲んだ人たちのほうが平均の血圧が低い。
だからこの薬は効きますよ、と。

でも、実際、患者さんに出してみると、
そうはうまくは下がらない人も多い。

なぜでしょうか?

だって、体は、自分で血圧をコントロールしています。
「自律神経」と言って、
自分の意思とは関係なく、血圧をコントロールしたり、
心臓を動かしたり、息を吸ったり吐いたり、食べ物を消化したり、
何も考えなくても、生きていくための非常に重要な体の働きを司っています。

だから、自律神経が「血圧を上げよう」としてしまうと、
いくら薬を使っても、なかなか下がらない。

たとえば、精神的なストレスだったり、緊張したり、天気だったり、
自律神経は、外部からの刺激や環境で、容易に影響されます。
そういう
「体本来の働き」と、
「患者さんを取り巻く環境」
を無視してしまっても、なかなか思い通りにはなりません。

製薬企業は、ハイリスク・ハイリターンなビジネスをやってます。
開発した薬は何が何でも売りたい。儲けたい。
そこで、製薬企業がいろんな国の政府と、マスコミと、医者の集まりに、
薬を飲んだほうがいかに健康になれるか、をささやきます。
その結果、目標の血圧は、年を追うごとに、下がって行って、
「○○の病気を持つ人は、これぐらいまで血圧を下げましょう」
というような文句が散乱しています。

医者は基本的に科学を勉強してますが、
自律神経の働きは、科学的にはよく分かってないところが多い。
だから、自律神経の働きというものを「無視」します。
自律神経の働きどころか、患者さんの環境だとかストレスだとか、
そういったものも全部無視しようとします。
そして、「科学的なデータ」がそろってる薬だけで、
なんとか患者さんを治そうと、
あるいは、「予防医学」の名のもとに、どこも調子が悪くない人に薬を出します。

予防医学という考え方は非常に大事だし、
血圧を下げる薬で恩恵を受けている人は、何億と世界中にいます。
でも、まずは、「自律神経」
つまり、
ストレスだとか、
環境だとか、
なかなか数字に表れない、そういうところを治していかないと、
薬だけでは何ともならない。

多くの患者の「胃が痛い」という訴え、
肩の凝りや張り、
眠れないという不眠、
頭痛にめまい、
手足の冷えやのぼせ、
便秘や食欲低下。
こういった症状は、自律神経の働きが大きいところです。
自律神経が悪い人が飲んでる薬を飲むと、
これらをことごとくカバーしています。
薬を出してる医者が、こんなに大量の薬を出すことに
何の抵抗もなくなっていることが、末恐ろしいところだし、
見て見ぬふりをしたいのか
「このお薬は○○病院でもらってください」なんて言いますが、
冷静に一人一人の患者と向き合うと、
薬を飲む前に、
生活習慣を変えたり、
食生活を変えたり、
温泉やマッサージ、鍼やお灸を使ったり、
体に備わっている、自分で自分の体をコントロールする働きを、
もうちょっと使ってあげてもいいんじゃないかな?と思います。

日本の医者、特に内科医は、
自分がよく分からない分野だから、こういう話を非常に敬遠します。
でも、外科系の医者のほうは、
体が自分で治す力をうすうす実感していて、
どんなに薬を使っても栄養が足りてないと病気が治らない、という
一見当たり前の考えを医学の世界に持ち込んだのは、外科医でした。
ここに、僕が尊敬する、アメリカで働く外科の先生のHPを紹介します。
苦心して科学的に効果を証明しようとされている先生です。
http://kenkodojoclinic.wordpress.com/


こういう話は、「胡散臭い」のが多数あるのも事実です。
一番嘘っぱちなのは、
「○○さえ食べれば万病に効く!」「これでガンが消えた!!」のようなものです。
単純に病気を治す力は、科学に基づいた薬に軍配があがります。
だから何かを食べたり飲んだりするだけで全てがうまくいくはずはありません。
世の中そんなに甘くはない。
でも、体のコンディションを整えるだけで、
「病気」は治らなくても「病気だと思っていた症状」はある程度良くなります。
頭痛だったり、めまいだったり、腹痛だったり。
薬を飲む前に、まずは自分の体が持つ力を、
最大限に引き出してあげましょう。

近い将来、日本の医療経済は破綻すると思います。
そうなると、患者さんに、
今みたいに、湯水の如く薬をだすようなことはできなくなります。
一人の患者さんが使える医療費が制限される日も近いと思います。
そうなったときにも、あるいは、そうならないようにするためにも、
医者も患者さんも、薬に安易に頼ることはやめないといけないと思います。
そして、このことを、
「医療の崩壊」ととらえるのではなく、
「医療の変革」とみんなが前向きに捉えられたらいいなあ、というのが僕の願いです

「科学」が届かないところ

2012.03.03.22:04

ここ3日間ほど、病院に泊まり込みです。

今担当している、がんの患者さんが、末期の状態になって、
いつお亡くなりになるか分からない、そんな状況だからです。

別に病院に泊る必要もないのですが、
いよいよ最期が来た時に、
寒い夜中に病院まで来るのが大変なのと、
そもそも起きれないかもしれない、という不安があって、
時々家に帰ってご飯をつくって食べたりお風呂に入ったりしながら、
病院で夜を過ごしています。

この患者さんに対して、
僕が何かできるわけではありません。
ずっと家で過ごされて、往診してもらいながら様子を診てもらってたけど、
なかなか具合が良くならなくて、
うちの病院に紹介されて来た時には、がんが見つかって、
体のあちこちに転移している状態でした。

手術による治療にせよ抗がん剤による治療にせよ、
本人も家族も希望しない、というより、
とても治療ができない状態だったので、
ひたすら「苦痛をとる」ことだけをやってきました。

自宅とは勝手が違う病院の一室に、
ご家族がずっと付き添われて、
お花を愛でるのが好きだったこの方のために、
お花を持ってきてもらったり、写真を飾ったり、
もちろん、息が苦しくならないように酸素を使ったり、
痛みを取るための痛み止めを使ったり、
そういうことはやりましたが、
お部屋に入ると、ものすごいニコニコの笑顔でいつも迎えてくれた
この方と、
手をつないで、お話をして、
落ち着いたのかほっとしたのか、
すやすやと眠りに入ったら、部屋を後にする、
毎日これの繰り返しでした。
ちょうど、小児科で働いていた時代に、
寝付けない子どもを寝かすような、そんな感じです。

ご家族の目には、どう映ってたかわかりませんけど。

時々、「医者として、こういう時に何をすべきか」って思いますが、
この時、「医者」という言葉をどのような意味で使うかによって、
何をすべきかが変わってくる、
そう思うようになりました。

すなわち、
「科学者としての医者」と「人間としての医者」
です。

西洋医学は、その基本は科学、scienceです。
サイエンスというのは、
計測が可能で、それによって比較が可能で、
再現性があって、
条件をそろえれば、いつどこで、誰がやっても同じ結果がでる、
というのが基本です。
そして、その対象は、ただの物体であって、
対象自らが自分の意思で行動しては困ります。
だから、どんな分野の医学であっても、
それが臨床心理だとか精神科だとかであっても、
基本的に、医者と患者の間には、
完全に壁で遮断されて、大きな溝があります。
だから、患者本人の意思と、医者の側の考えが違う方向を向くことは、
至極当然の成り行きです。

今の病院で、成人を診療するようになることが決まって、
仕事が始まる前に買った本があります。
大井玄先生の「人間の往生」という本です。
仕事を始める前に読んでも、なかなか実感が湧かなかったのですが、
何人か看取って、いろんな患者さんやご家族とお付き合いをさせてもらって、
ようやく書いてあることの意味が少しずつ分かるようになりました。

まだまだ、「人間の往生」を語れるほど、経験も知識もありません。
そもそも緩和医療に知識が必要なのかも分かりません。
医者だから、何かを分かってるかのように語らなければならない、
そのように期待されているに違いない、
そういうプレッシャーの中で、
結局、できることは、
手を握ったり、お話を聞いたり、
なるべく患者さんやご家族が僕に話ができるように、質問をふってみたり、
そして、知ったかぶりなことは話さないようにして、
でも、正直、思ったことは話してみて、
そういうことの繰り返しです。

なくなってしまうと、
もう患者さん本人とも、ご家族とも、
会うことも、話をすることもできなくなるので、結構寂しいものです。
それでも、患者さんも、ご家族も、みんなが納得して、往生できたなら、
それはよかったというべきなのか、やりがいがあったと言っていいのか、
不謹慎かもしれないし、なんと表現したらいいのか分かりませんが、
とにかく、僕自身が少し救われます。
一人では受け止められない、魂の重みを、
ご家族みんなと一緒に受け止められることができれば、それが願いです。
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♥. ♠. ♣Alice
プロフィール

ハマダラカ

Author:ハマダラカ
職業:元小児科医、現在なんでも屋的医師を目指して修行中
日本を、そして海外を、自由に移動しては、
働いたり遊んだりの、
自称フリーター医師。
しばらくタイにあるビルマ難民向け病院でボランティアしてましたが
現在岩手県の被災地にある病院に来ました
関西人のつもりですが、心のふるさとは北九州市
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Toru Yoneda

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