夏草と赤ちょうちん
2011.08.06.09:56
お久しぶりです。
2週間前に帰国してから、岩手→群馬→北九州と移動を続けているため、
なかなか更新できずすみません。
気がつけば、8月6日、広島の原爆の日になってしまった。
とりあえず、原爆とは何の関係もないけど、
岩手に行ったことから、順番に記事を書いていきます。
7月の30~31日と、1か月半ぶりに大槌町に行ってきました。
絵本読み聞かせサークルの方たちによる、夏祭りイベントに参加するためだったのですが、
釜石から大槌まで、津波の被害の大きかった地域をバスの車窓から眺めると、
・・・前とほとんど変わっていない・・・
確かに、細かな部分を見ると、壊れた建物が撤去され、がれきもさらに撤去され、
片付けが進んではいるのですが、
「復興」「再興」の前に、津波で壊れた建物の「片付け」すら終わっていない。
全く何も片付けを手伝ってはいない自分が偉そうなことは言えませんが、
ちょっとがっかりしてしまいました。
そして、さらにショックだったのは、
建物が立っていた跡地、かつては町の繁華街だった土地に、
草が生していたこと。
以前は、建物の基礎部分だけが残っていて、
そこにかつての人々の営みの跡を感じることができたのですが、
今では、草に覆われてしまい、どこに家があったのか、
どこに集落があったのか、
判らなくなってきている。
海岸沿いに不自然に広がる「平地」の存在だけが、
辛うじて、かつてここに集落があったことを暗示していました。


以前は、おびただしいがれきやゴミとなった生活用品、壊れた家、残った基礎部分が、
そこに人々が住んで、働き、愛し合い、語り合ったことを生々しく伝えていました。
家を取り壊し、がれきを撤去しても、
建物の土台が残っていると、生活のにおいは感じることができました。
でも、そこに雑草が生い茂り、基礎も隠されてしまうと、
そのにおいが消えてしまったのです。
これでは、かつてこの家に住んでいた人たちの魂が、
どこに自分の家があったのか、見た目も、においでも、分からなくなってしまい、
迷子になってしまいそうな気がします。
ふと心に浮かんだのが、
「夏草や兵どもが夢の跡」
この句は、はるか昔の侍たちのことを思う時には、はかないイメージを感じますが、
つい数か月前の惨禍を思う時には、この上なく残酷な句に思えます。
これまで人々が流してきた汗も涙も、交わしてきた言葉も、
全てが過去の歴史として、封印されようとしているように感じます。
もし自然が神によって動いているものだとしたら、
巨大な地震と津波で町を襲わせ、その跡地に蓋をして、何もなかったことにしようとする、
なんと残酷な仕打ちだろうか。
今回は、大槌に行くたびにお世話になっている、地元の開業医の植田先生に、
北隣の山田町、宮古市まで連れて行って頂いたのですが、
残った建物を立て直して、復興が進む山田、宮古と比べ、
ほとんど再建が進んでいない大槌は、その復興の遅れが目立っているように見えます。
少しでも人々が集うよりどころがあると、そこを中心に町は再興していきますが、
今回のようにほぼ100%壊滅してしまうと、人間の体もそうですが、
それを元に戻していくのは、非常に困難で時間がかかるでしょう。
そんななか、広大な荒地と化した、大槌のかつての中心部で、
一軒の居酒屋が、屋台の形で、営業を再開していました。




この屋台の赤ちょうちんが、
灯台のように、
目印となって、
生き残った人も、なくなった人の魂も、
この地に集えるようになってほしいと願います。
長くなりますが、
北九州・山口地域の郷土の偉人、金子みすずの詩の中から、
一つの詩を引用させてもらいます。
「明るいほうへ」 金子みすず
明るいほうへ
明るいほうへ。
一つの葉でも
陽の洩る(もる)とこへ。
やぶかげの草は。
明るいほうへ
明るいほうへ。
翅はこげよと
灯のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るいほうへ
明るいほうへ。
一分もひろく
日のさすほうへ。
都会(まち)に住む子らは。
2週間前に帰国してから、岩手→群馬→北九州と移動を続けているため、
なかなか更新できずすみません。
気がつけば、8月6日、広島の原爆の日になってしまった。
とりあえず、原爆とは何の関係もないけど、
岩手に行ったことから、順番に記事を書いていきます。
7月の30~31日と、1か月半ぶりに大槌町に行ってきました。
絵本読み聞かせサークルの方たちによる、夏祭りイベントに参加するためだったのですが、
釜石から大槌まで、津波の被害の大きかった地域をバスの車窓から眺めると、
・・・前とほとんど変わっていない・・・
確かに、細かな部分を見ると、壊れた建物が撤去され、がれきもさらに撤去され、
片付けが進んではいるのですが、
「復興」「再興」の前に、津波で壊れた建物の「片付け」すら終わっていない。
全く何も片付けを手伝ってはいない自分が偉そうなことは言えませんが、
ちょっとがっかりしてしまいました。
そして、さらにショックだったのは、
建物が立っていた跡地、かつては町の繁華街だった土地に、
草が生していたこと。
以前は、建物の基礎部分だけが残っていて、
そこにかつての人々の営みの跡を感じることができたのですが、
今では、草に覆われてしまい、どこに家があったのか、
どこに集落があったのか、
判らなくなってきている。
海岸沿いに不自然に広がる「平地」の存在だけが、
辛うじて、かつてここに集落があったことを暗示していました。


以前は、おびただしいがれきやゴミとなった生活用品、壊れた家、残った基礎部分が、
そこに人々が住んで、働き、愛し合い、語り合ったことを生々しく伝えていました。
家を取り壊し、がれきを撤去しても、
建物の土台が残っていると、生活のにおいは感じることができました。
でも、そこに雑草が生い茂り、基礎も隠されてしまうと、
そのにおいが消えてしまったのです。
これでは、かつてこの家に住んでいた人たちの魂が、
どこに自分の家があったのか、見た目も、においでも、分からなくなってしまい、
迷子になってしまいそうな気がします。
ふと心に浮かんだのが、
「夏草や兵どもが夢の跡」
この句は、はるか昔の侍たちのことを思う時には、はかないイメージを感じますが、
つい数か月前の惨禍を思う時には、この上なく残酷な句に思えます。
これまで人々が流してきた汗も涙も、交わしてきた言葉も、
全てが過去の歴史として、封印されようとしているように感じます。
もし自然が神によって動いているものだとしたら、
巨大な地震と津波で町を襲わせ、その跡地に蓋をして、何もなかったことにしようとする、
なんと残酷な仕打ちだろうか。
今回は、大槌に行くたびにお世話になっている、地元の開業医の植田先生に、
北隣の山田町、宮古市まで連れて行って頂いたのですが、
残った建物を立て直して、復興が進む山田、宮古と比べ、
ほとんど再建が進んでいない大槌は、その復興の遅れが目立っているように見えます。
少しでも人々が集うよりどころがあると、そこを中心に町は再興していきますが、
今回のようにほぼ100%壊滅してしまうと、人間の体もそうですが、
それを元に戻していくのは、非常に困難で時間がかかるでしょう。
そんななか、広大な荒地と化した、大槌のかつての中心部で、
一軒の居酒屋が、屋台の形で、営業を再開していました。




この屋台の赤ちょうちんが、
灯台のように、
目印となって、
生き残った人も、なくなった人の魂も、
この地に集えるようになってほしいと願います。
長くなりますが、
北九州・山口地域の郷土の偉人、金子みすずの詩の中から、
一つの詩を引用させてもらいます。
「明るいほうへ」 金子みすず
明るいほうへ
明るいほうへ。
一つの葉でも
陽の洩る(もる)とこへ。
やぶかげの草は。
明るいほうへ
明るいほうへ。
翅はこげよと
灯のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るいほうへ
明るいほうへ。
一分もひろく
日のさすほうへ。
都会(まち)に住む子らは。
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