久々の地震
2012.12.08.00:05
今夜、久々に大きな地震がありました。
岩手県で震度が4~5
震度もさることながら、持続時間が非常に長い。
当時、自分は勤務先の病院にいましたが、
いつまでたってもグラグラ、グラグラ、と揺れ続けます。
これはやばい、っとすぐさま皆が判断し、
部屋のドアをあけ、
パニックになってる患者がいないか、
人工呼吸器など使っている患者がいないか、確認して回り、
ケータイの電波が入るうちにスマホで情報を集めたり、
テレビやラジオで情報を収集したり、
緊張感が病院内を支配します。
一通り、入院患者の安全を確認し、
釜石市に大きな津波が押し寄せてはいなさそう、と判断し、
一段落ついたところで考えるのが、家族の安否。
息子はちょうど学校からの下校時間。
無事に家にたどり着いたんだろうか?
妻は大槌で働いているけど、大丈夫なんだろうか??
もちろん電話はつながらないし、
メールもスムーズにはやり取りできないので、
基本的には祈るしかありません。
うちの病院は、
大きな地震があった際には、職員は病院に集合して院内で待機することが決まりです。
でも、自分の子どもがどこでどうしてるか誰も確認できない状況では、
とても働くことはできません。
病院の中のパソコンから、facebookに、自分が生きていることを投稿したあと、
同僚にごめんねといいながら、
息子がちゃんと家にたどり着いたかどうか確認するために、
一度、家まで歩いて帰ることにしました。
道中、暗い街の中、
緊急車両の回転灯の赤い光が暗闇を照らし、
津波注意報が発令されたことを伝えるサイレンと防災放送が
夜空いっぱい響きます。
このサイレンと防災放送、まるで
映画に出てくる戦時中の空襲警報のようで、
本当に、頭の中までガンガン響くんですよ。
釜石には津波は来ていないはず、と分かっていても、
吐き気がしそうなぐらい気持ち悪くて、
心の中は、どんどん不安になっていきます。
途中、スーパーで、
ライフラインが止まっても食べられるようにと、
お惣菜をいっぱい買って帰りました。
(3/11の時は、お惣菜に加えレトルト食品も買ったけど、ガスが止まって食べられなかった)
幸い、家に帰ると、部屋の窓には灯りがともり、
息子は元気に家にいてくれました。
良かったね、と言葉を交わし、
買ってきた山盛りのお惣菜を置いて、
とんぼ返りで、車で病院に戻りました。
(車には非常食や燃料の携行缶などいろいろ積んであります)
結局、9時過ぎに家に帰ったのですが、
みんなが無事に家に買ってきたのを確認しただけで、
一気にほっとしてしまいました。
もう、他のことはどうでもいいような、そんな感じでした。
・・・家事の量が減ることはないですけど。
やっぱり、何か起きた際には、
家族一緒にいられることが、一番です。
そして、電話でもメールでもなく、
実際に実物の家族と会って、話をすることが、一番です。
当たり前ですが、それを深く実感した、一日でした。
岩手県で震度が4~5
震度もさることながら、持続時間が非常に長い。
当時、自分は勤務先の病院にいましたが、
いつまでたってもグラグラ、グラグラ、と揺れ続けます。
これはやばい、っとすぐさま皆が判断し、
部屋のドアをあけ、
パニックになってる患者がいないか、
人工呼吸器など使っている患者がいないか、確認して回り、
ケータイの電波が入るうちにスマホで情報を集めたり、
テレビやラジオで情報を収集したり、
緊張感が病院内を支配します。
一通り、入院患者の安全を確認し、
釜石市に大きな津波が押し寄せてはいなさそう、と判断し、
一段落ついたところで考えるのが、家族の安否。
息子はちょうど学校からの下校時間。
無事に家にたどり着いたんだろうか?
妻は大槌で働いているけど、大丈夫なんだろうか??
もちろん電話はつながらないし、
メールもスムーズにはやり取りできないので、
基本的には祈るしかありません。
うちの病院は、
大きな地震があった際には、職員は病院に集合して院内で待機することが決まりです。
でも、自分の子どもがどこでどうしてるか誰も確認できない状況では、
とても働くことはできません。
病院の中のパソコンから、facebookに、自分が生きていることを投稿したあと、
同僚にごめんねといいながら、
息子がちゃんと家にたどり着いたかどうか確認するために、
一度、家まで歩いて帰ることにしました。
道中、暗い街の中、
緊急車両の回転灯の赤い光が暗闇を照らし、
津波注意報が発令されたことを伝えるサイレンと防災放送が
夜空いっぱい響きます。
このサイレンと防災放送、まるで
映画に出てくる戦時中の空襲警報のようで、
本当に、頭の中までガンガン響くんですよ。
釜石には津波は来ていないはず、と分かっていても、
吐き気がしそうなぐらい気持ち悪くて、
心の中は、どんどん不安になっていきます。
途中、スーパーで、
ライフラインが止まっても食べられるようにと、
お惣菜をいっぱい買って帰りました。
(3/11の時は、お惣菜に加えレトルト食品も買ったけど、ガスが止まって食べられなかった)
幸い、家に帰ると、部屋の窓には灯りがともり、
息子は元気に家にいてくれました。
良かったね、と言葉を交わし、
買ってきた山盛りのお惣菜を置いて、
とんぼ返りで、車で病院に戻りました。
(車には非常食や燃料の携行缶などいろいろ積んであります)
結局、9時過ぎに家に帰ったのですが、
みんなが無事に家に買ってきたのを確認しただけで、
一気にほっとしてしまいました。
もう、他のことはどうでもいいような、そんな感じでした。
・・・家事の量が減ることはないですけど。
やっぱり、何か起きた際には、
家族一緒にいられることが、一番です。
そして、電話でもメールでもなく、
実際に実物の家族と会って、話をすることが、一番です。
当たり前ですが、それを深く実感した、一日でした。
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