なんてこった
2011.03.11.21:24
実は、ブログではまだ書いていなかったのですが、
僕は、先週の土曜日に日本に帰ってきてました。
それは、単純にバイトをして生活費を稼ぐためだったので
主婦ならぬ主夫をしつつ、4日間で3日の当直なんぞしてました。
今日は、久々に仕事もなくて、
朝から一家のご飯を作り、ゴミを出し、
洗濯機をまわし、大掃除をしてました。
お昼過ぎに、近所の小さなアーケードのある商店街に買い物を行った時・・・
グラグラグラ!!
辛うじて立つことはできましたが、激しい揺れがオンボロアーケードに襲い掛かりました。
幸い、その場にいた人はみんな無事だったんですが、
はじめゆっくり横向きに揺れて、だんだん激しくなって縦に揺れて・・・・
そう、震源地はかなり遠くにありそう。
かなり遠くの地震で、こんだけ揺れるなんて!
おそらく、震源地はもっと大変なことになってるはず、とすぐに分りました。
そして、ラジオや携帯からのインターネットの情報をいくら調べても、
一向に震源地の情報が入ってきません。
ますます、いやな予感です。
関西人はみんな知ってますが、
阪神・淡路大震災の時、神戸の状況がわかったのは、
地震発生から半日ぐらい過ぎてからでした。
京都からの情報ばかり伝わったので、
多くの人が震源地は京都だと思ってました。
慌てて買い物を終わらせて家に走って帰り、
被害の状況を確認。
本棚の本や花瓶、それに食器なんかは散乱してましたが、
火事にはなっておらず、窓ガラスも割れておらず、たいした被害ではありません。
息子は学校に行ってるから、このオンボロアパートよりは無事なはずですが、
やっぱり心配です。
度重なる余震が、さらに不安を増幅させます。
とりあえずパソコンを立ち上げて情報を集めつつ、
息子の帰りを待ちます。
その間に、風呂桶に水をためて、断水に備えます。
息子は、「防空頭巾」をかぶって(今の世にこんなものがあったんだ!!)
無事に帰ってきました。
ふ~っ
嫁さんも、仕事場からメールをだしてくれて、無事に働いているらしい。
良かった良かった。
ガスが使えないので、あわててスーパーにお惣菜や冷凍食品
そして僕の主食、カロリーメイトなんかを買いに行き
(日本は水道水がそのまま飲めるのが、本当にありがたい)
メールとスカイプでみんなと連絡をとって、安否を確認。
嫁は、電車が止まってるから次の勤務の人がなかなか来れず、
ようやく夜の8時に仕事から解放されたらしく、
電車が止まってるから数時間かけて歩いて帰ってくるらしい。
しょうがないから、ティファールでお湯を沸かして、味噌汁を作り、
息子と二人で晩御飯を食べて、
怖がる息子を寝かして、今に至ります。
全くの偶然でしたが、日本にいれて、良かった。
こんな時は、そばにいることが、一番大事です。
特に、携帯も通じない、連絡がとれない状況下では、
声の届く範囲にいることが重要。
地震が起きたことは本当に残念ですが、
僕を日本に帰してくれていた、自分の運命には感謝です。
本当は3.21にタイに帰る予定でしたが、
多摩にある病院での勤務が終わったら、そのまま東北に行って、
できることがあれば、ぜひやりたい。
極寒の中、水も電気も暖房もなく、避難している人たち。
今すぐ行って何かをしたいけど、残念ながら物理的にそれはできません。
また、自分のやるべき仕事がどうしても優先になります。
でも、それが終わったら、おそらく来週か再来週になると思いますが、
長期にわたって避難している人たちに、何かできることがあるなら、
ぜひその「何か」をしてきたいと思います。
僕は、先週の土曜日に日本に帰ってきてました。
それは、単純にバイトをして生活費を稼ぐためだったので
主婦ならぬ主夫をしつつ、4日間で3日の当直なんぞしてました。
今日は、久々に仕事もなくて、
朝から一家のご飯を作り、ゴミを出し、
洗濯機をまわし、大掃除をしてました。
お昼過ぎに、近所の小さなアーケードのある商店街に買い物を行った時・・・
グラグラグラ!!
辛うじて立つことはできましたが、激しい揺れがオンボロアーケードに襲い掛かりました。
幸い、その場にいた人はみんな無事だったんですが、
はじめゆっくり横向きに揺れて、だんだん激しくなって縦に揺れて・・・・
そう、震源地はかなり遠くにありそう。
かなり遠くの地震で、こんだけ揺れるなんて!
おそらく、震源地はもっと大変なことになってるはず、とすぐに分りました。
そして、ラジオや携帯からのインターネットの情報をいくら調べても、
一向に震源地の情報が入ってきません。
ますます、いやな予感です。
関西人はみんな知ってますが、
阪神・淡路大震災の時、神戸の状況がわかったのは、
地震発生から半日ぐらい過ぎてからでした。
京都からの情報ばかり伝わったので、
多くの人が震源地は京都だと思ってました。
慌てて買い物を終わらせて家に走って帰り、
被害の状況を確認。
本棚の本や花瓶、それに食器なんかは散乱してましたが、
火事にはなっておらず、窓ガラスも割れておらず、たいした被害ではありません。
息子は学校に行ってるから、このオンボロアパートよりは無事なはずですが、
やっぱり心配です。
度重なる余震が、さらに不安を増幅させます。
とりあえずパソコンを立ち上げて情報を集めつつ、
息子の帰りを待ちます。
その間に、風呂桶に水をためて、断水に備えます。
息子は、「防空頭巾」をかぶって(今の世にこんなものがあったんだ!!)
無事に帰ってきました。
ふ~っ
嫁さんも、仕事場からメールをだしてくれて、無事に働いているらしい。
良かった良かった。
ガスが使えないので、あわててスーパーにお惣菜や冷凍食品
そして僕の主食、カロリーメイトなんかを買いに行き
(日本は水道水がそのまま飲めるのが、本当にありがたい)
メールとスカイプでみんなと連絡をとって、安否を確認。
嫁は、電車が止まってるから次の勤務の人がなかなか来れず、
ようやく夜の8時に仕事から解放されたらしく、
電車が止まってるから数時間かけて歩いて帰ってくるらしい。
しょうがないから、ティファールでお湯を沸かして、味噌汁を作り、
息子と二人で晩御飯を食べて、
怖がる息子を寝かして、今に至ります。
全くの偶然でしたが、日本にいれて、良かった。
こんな時は、そばにいることが、一番大事です。
特に、携帯も通じない、連絡がとれない状況下では、
声の届く範囲にいることが重要。
地震が起きたことは本当に残念ですが、
僕を日本に帰してくれていた、自分の運命には感謝です。
本当は3.21にタイに帰る予定でしたが、
多摩にある病院での勤務が終わったら、そのまま東北に行って、
できることがあれば、ぜひやりたい。
極寒の中、水も電気も暖房もなく、避難している人たち。
今すぐ行って何かをしたいけど、残念ながら物理的にそれはできません。
また、自分のやるべき仕事がどうしても優先になります。
でも、それが終わったら、おそらく来週か再来週になると思いますが、
長期にわたって避難している人たちに、何かできることがあるなら、
ぜひその「何か」をしてきたいと思います。
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